責任能力と動機

 何らかの犯罪が起こり、捕らえられた犯人が処罰される時、必ずその犯人の責任能力が問われる。ある人が街角で傷害事件に見舞われたとしよう。犯人は誰で、どういう状況だったか?たとえば、腹を空かせた野良犬が噛みついた場合、あるいは、ある店に飼われていた犬の傍を通り過ぎた時、突然、その犬が噛みついた場合、さらには、誰だかわからぬ人間が出刃包丁を持って切りつけ、一種の通り魔事件が発生した場合である。

 まず、責任能力について吟味しよう。野良犬(動物)に責任能力のあるはずがない。被害者は事故に遭ったと思うしかなく、行政が野良犬の駆除に出るだろう。しかし、それは犬に責任能力があるからではなく、同じような被害者が出ないようにするための予防策である。これに対して、同じ犬であっても、飼い犬の場合はどうか?やはり、動物に責任能力を求めることはできないが、その飼い主は人間だから、飼い主に責任能力を問うことはできよう。

 さらに、出刃包丁で切りつけてきた犯人は人間であるが、その人間に幻聴があり、その幻聴が『やれ!やらないと、やられるぞ!』と脅し、その脅しのままに切りつけたという病的体験を持っていたとしよう。もし犯人が精神病(たとえば統合失調症)であり、その病気ゆえに犯行に到った場合は、責任能力を問うことはできない。しかし、もし犯人が薬物依存症に陥っていた場合、その幻聴が精神病と同じ幻聴であれば、その病的体験に責任能力は問えないが、どうして犯人が薬物依存症に陥ったかという責任能力を問うことはできよう。

 今度は、それぞれの動機について吟味する。野良犬の場合は、はじめから人間の精神に匹敵する正常心理が存在しないので、動機の発生も存在しない。お腹が空いたという本能と衝動行為だけが存在する。(たとえば、集団で狩りをするライオンの場合であっても、動機の存在を問うことはしない。)また、たとえ人間であっても、正常心理の存在しない精神病に侵された精神状態には(たとえ一時的であっても)正常心理は存在しないので、動機も発生しない。幻聴に脅された衝動行為だけが存在する。したがって、吟味を要するのは、飼い主に何らかの動機があったかどうか、さらには、薬物を摂取した犯人に何らかの動機があったかどうか・・・

 人間でなければ(責任能力はもとより)動機を問うことはできず、たとえ人間であっても異常心理に侵されていれば、(やはり責任能力と同様、)動機を問うことはできない。換言する。もし動物であれば、(不快ー防衛系だけであり、)はじめから異常心理だけであるから、責任能力も動機も問えない。また、たとえ人間であっても、精神病状態であれば、その時は(不快ー防衛系だけ、つまり)異常心理だけに侵されているので、(やはり責任能力と同様、)動機を問うことはできない。それでは、残りの場合はどうか?もし飼い犬の習性ではなく、飼い主が飼い犬に噛むように仕組んだとすれば、それは明らかに飼い主の異常心理である。また、自分が異常行動を起こす危険性のあることを承知していた薬物依存症の場合も異常心理である。はたして、これらの異常心理に、動機は存在するか?

 答えは「存在する」である。それでは、それはなぜか?飼い犬の習性と同様、精神病状態には「自分が何をする」という意志は存在せず、衝動のみである。しかし、悪巧みや危険の承知の背後には、(健康な)正常心理(不快ー制御系)が存在する。つまり、意志の発動は健康(正常)な心(不快ー制御系)から、意志の内容は病的(異常)な心(不快ー防衛系)から、それぞれ発している。これは非常に重要な点であるが、動機があって、責任能力のある犯罪のすべてが、この条件を充たしている。もし意志の内容のすべてが健康(正常)であれば、犯罪は起こらない。また、意志の発動そのものに異常があるということは、それは意志の発動がないことを意味するので、動機は存在せず、発生するのは衝動行為だけである。これらの理由を知るためには、(後述する)動機の発生メカニズムを理解しなければならない。

 

                     動機理論

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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