解離の真只中

  平成23年(2011年)3月11日、大きな地震と津波が東日本を襲った。千年に一度あるかないかという規模の災害であり、それによって東日本は壊滅的な被害を受けた。数多くの生命が奪われ、膨大な社会的損失が生じた。心に受けた痛手も大きく、今もなお、未だ悲嘆と動揺を隠せない日々が続いている。復興のためには、資金や物資をはじめとして、様々な援助が必要であり、その中には心のケアも含まれる。心のケアを行なうためには、いま心の中で何が起こっているのか、それは、どういう悩みに進んでいくのか、その辛さから解放されるためには、どうしたらよいのかという点について、しっかりとした理解を持つ必要がある。

  今回のような大規模な災害が発生すると、直接被災した人達はもちろんのこと、それによって様々な影響を受けた人達もまた心的外傷を被る。まるで福島第一原発事故によって放射能が広がるように、心的外傷もまた被災地を中心として同心円状に広がっていく。その具体的な心性として代表的なものは、恐怖、狼狽、そして不安である。恐怖は(脳内嫌悪系に属する)対象防衛因子のひとつである処罰的対象が強く活性化するために生ずる。また、狼狽と不安の発生メカニズムは同じであり、(脳内動因系に属する)不快因子のひとつである弱い自己が強く活性化するために生ずる。弱い自己の活性化には二通りの精神力動があり、ひとつは(脳内制御系に属する)誇大的自己の活性化の低下であり、もうひとつは(脳内報酬系に属する)理想的自己の活性化の低下である。前者では救いの環が停止し、後者ではナルシシズム系に自己解離(強制漏洩)が発生する。

 

                              東日本大震災の精神分析

一体感や連帯感

  恐怖は自責回路を通して、狼狽や不安に合流する。さほど大きな心的外傷でなければ、狼狽や不安は二通りの精神力動でもって処理される。第一は、一旦停止した救いの環が再び機能し始める。第二は、自己防衛因子である理想的自己によって防衛される。(外傷の防衛を解離であると考えていたのでは、継続して発生する精神力動を理解することはできない。)ところが、比較的大きな心的外傷が継続した場合には、別の精神力動が生じてくる。その際にも二通りの精神力動が発生する。第一は、自己の対象化と、それに続く対象の自己化である。第二は、ナルシシズム系前駆型閉鎖回路である。たとえ心的外傷を被っても、それまで機能していた誇大的自己の活性化がしばらく続き、はじめのうちは救いの環や巻き込み拘束が可能である。それが(後述する)対象喪失や自己喪失によって、次第に機能しなくなり、やがて不快−制御系は麻痺する。

  大きな心的外傷が持続すると、強制漏洩によって発生した解離もまた大きくなり、たとえ制御や防衛がフルに稼働しても、それだけでは間に合わなくなる。その際にまず起こってくるのは自己の対象化である。これは、自己が体験している狼狽や不安が他者に拡散するという精神力動である。本来、弱い自己は自己収斂傾向を有するが、制御や防衛が不能になると「弱い自己−対象」(未分化不快因子)として機能するようになる。つまり、その伝達経路は「弱い自己→弱い対象→弱い自己」である。自己の対象化および対象の自己化は、その共同体に強い一体感や連帯感を生ぜしめる。もし不快因子同士の連動性を誇大的自己によって拘束することができれば、一体感や連帯感は成就する。しかし、この精神力動が生じてくる時には、すでにそうした成就する能力が低下しているという前提がある。

 

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対象喪失に端を発した自己喪失

  多くの人が、被災によって家族や住まい、それに仕事を失った。その悲しみはたとえようがない。我々はいま対象喪失の真只中にいる。対象制御因子である理想的対象はいなくなり、それによって救いの環は回らなくなり、自己の主体性を失い始めている。そうした中で、主流を占める精神力動は不快因子同士の連動性である。ところが、主体性の権化である誇大的自己の活性化はすでに低下し、たとえ自己の対象化を試みても、活性化した弱い対象を誇大的自己でもって拘束することはできなくなった。それゆえ、自己の対象化も止み、今度は対象の自己化だけを活性化する(ナルシシズム系)前駆型閉鎖回路が活性化されるようになる。この精神力動は、すべての人の心の苦しみを自分の心の苦しみとして認知する特徴を持つ、救いのない精神力動である。

  ナルシシズム系前駆型閉鎖回路を構成する因子は、脳内動因系に属する不快因子と、脳内嫌悪系に属する誇大的対象、それに脳内報酬系に属する理想的自己である。その中でも理想的自己の活性化が顕著になる。理想的自己の特徴はひきこもりである。理想的自己は自己保存欲求の権化であり、動物脳においては処罰的自己と共に報酬系を占拠する。つまり、多くの人にナルシシズム系前駆型閉鎖回路が発生すると、その共同体は活気のない社会に変化する。いかにして、このような社会情勢を打開するか?そのためには、多くの人が陥っているナルシシズム系前駆型閉鎖回路を理想的自己で停止させるのではなく、誇大的対象で停止させ、今度はそこからナルシシズム系前駆型閉鎖回路とは逆の方向へ動かす力が必要である。現実的には、財政出動や支援活動によって自己愛型病的同一化を形成し、当てを充たす機能を行使させることが必要である。

 

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蔓延する絶望

  はたして、被災者すべてに行き渡る支援は可能だろうか?もしそれらが十分なものであれば、被災者に自己愛型閉鎖回路が形成され、再び誇大的自己の活性化につながる精神力動を準備することができる。しかし、もしそれらが不十分なものであれば、誇大的対象の活性化は不快の転送ルートを活性化させ、マゾキズム系にも問題が発生する。つまり、不満の処理が必要になる。さらに、その処理が適切に行われなければ、処理し損なった不満がナルシシズム系に戻ってきて、誇大的対象や弱い対象、それに弱い自己を攻撃するようになる。それにしても、誰もが不満を抱かないような現実は存在するだろうか?不満を生じない財政出動や支援活動は存在するだろうか?答えは言うまでもない。それゆえ、事態が適切に運ばなければ、さらなる窮地が被災者を襲うことになる。

  ナルシシズム系前駆型閉鎖回路を打開しようと試みたが、今や破壊的攻撃性がナルシシズム系を侵襲し、弱い自己や弱い対象を傷つけるようになった。弱い自己が傷つけば、自殺願望が発生し、弱い対象が傷つけば、絶望が発生する。絶望は鬱(うつ)の発生母体である。傷ついた自己は傷ついた対象と不快因子同士の連動性を作り、憐憫を感ずるようになる。そして、再びナルシシズム系前駆型閉鎖回路が回り始める。しかし、もはやそれをナルシシズム系前駆型閉鎖回路とは呼ばず、絶望サイクルと呼ぶ。絶望サイクルが回り続けると、回避性や反社会性は機能せず、救いのない重苦しい心的状況が持続するようになる。それを必死に食い止めようとすれば、様々な依存症を発症するための精神力動が形成される。このように、一旦心的外傷が生ずると、それは絶望サイクルにまで到る可能性があり、そこから容易に抜け出すことはできなくなる。はたして、このような心の地獄に救いはあるか?

 

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忍耐と希望

  同じ心的外傷でも、犯罪などに巻き込まれた場合は、ナルシシズム系よりもむしろマゾキズム系の問題、つまり攻撃性の処理が重要になる。しかし、今回の震災によって受けた心的外傷の場合は(不十分な防災対策という点を除けば)誰も恨みようがない。それゆえ、マゾキズム系制御システムをフルに活用することができる。つまり、それは忍耐と批判である。とにかく、できることを淡々とやり、ひとつひとつ混乱を整理していく必要がある。すでに紹介したように、忍耐はさとり(とらわれのない心)と同等の価値を持つ。人間にとって、最も崇高な心的現象である。しかし、だからと言って、すべてを耐えなければならないということではない。財政出動や支援活動が不足すれば抗議すべきであるし、なかなか示されない今後の展望については、強く公的機関に迫る必要がある。

  東日本大震災は、われわれ生命体に授かった脆さを強烈に直面させた。それまでは平穏であった日常が崩れ、われわれの精神的な健康はひどく侵されてしまった。こんな時だからこそ、冷静に考え、行なう必要がある。しかし、すでに多くを失った人にはそれもまた困難である。せめて、いま直面している心の状態を理解することによって、どうすれば立ち直れるか、そのシナリオをしっかりと身に着けてもらいたいものである。絶望サイクルは忍耐さえあれば、万人の不幸を背負う精神力動としてのナルシシズム系前駆型閉鎖回路に戻る。しかも、この精神力動は新しい理想的対象(ナルシシズム系対象制御因子)に出会うと、惚れ込みの心性を賦活する。その対象になる人は、たとえば、これからの復興のビジョンを示せるような人であるとか、あるいは元気あふれる子供達などである。そういう人達の心をもう一度吸収することによって、自分の主体性の権化である誇大的自己を活性化させることができる。誇大的自己の活性化に成功すれば、その時には巻き込み拘束(お節介)や救いの環(助け合い)が形成されてくる。こうした一連の心のあり方は、希望という新しい人生の出発になるということをよく理解しておいてもらいたい。

 

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