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<title>新しい心の分析教室</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/</link>
<description>精神病（躁うつ病、統合失調症）の原因を解明し、薬に頼らない治療法（完治）を著書「精神分析統合理論」にまとめた。「救いと許しの欠乏」がその原因であり、躁うつ病と統合失調症を完治させる方法論：「精神分析医による二人で別々に、しかも同時に行なう精神分析」を提唱している。まさに新しい精神医学である。</description>
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<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13975495.html">
<title>幻聴と情動失禁</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13975495.html</link>
<description>  許しや救いに関するメカニズムの解明は、フロイトの構造論である「エス・自我・超自我」を、そして幻聴や情動失禁に関するメカニズムの解明は、フロイトの局所論である「意識・前意識・無意識」を、過去の世代の産物として規定し始めようとしている。ここでは、もう一度、意識体験としての幻聴や情動失禁について取り上げ、フロイトの局所論よりも、むしろ私の新局所論である「前意識・意識・無意識」が、すべての精神現象の仕組みに対応可能であることを強調しておくことにする。   幻聴は、覚醒時における夢...</description>
<dc:subject>意識が関与する精神力動</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2011-04-27T19:28:03+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　許しや救いに関するメカニズムの解明は、フロイトの構造論である「エス・自我・超自我」を、そして幻聴や情動失禁に関するメカニズムの解明は、フロイトの局所論である「意識・前意識・無意識」を、過去の世代の産物として規定し始めようとしている。ここでは、もう一度、意識体験としての幻聴や情動失禁について取り上げ、フロイトの局所論よりも、むしろ私の新局所論である「前意識・意識・無意識」が、すべての精神現象の仕組みに対応可能であることを強調しておくことにする。 
</p>
<p>
　　幻聴は、覚醒時における夢現象である。多くの（統合失調症）患者は、私との（治療）面接の中で、私の話を聞く一方、幻聴からの囁きにも耳を傾ける。しかし、その時の患者は睡眠状態にあるわけでもなければ、催眠状態にあるわけでもない。換言すれば、注意散漫状態であっても、覚醒状態である。私との会話の途中であっても、幻聴が何を話しているか、絶えず注意を払っている様子であるが、時々、患者は幻聴が何を話しているかについて、私にその内容を教えてくれる。つまり、いつでも想起可能な前意識の内容は、意識「下」にあるのではなく、意識「上」にある。むろん、たとえ意識が無意識と前意識との間に割って入っても、前意識は絶えず無意識からの刺激を受けている。しかし、たとえば「死ね！」とか「殺せ！」という幻聴が、無意識からの検閲を受けているとは考え難い。このような幻聴を消失させるための根治療法では、「無意識→前意識→意識→無意識」という循環を行なっている防衛サイクルを、「無意識→意識→前意識→無意識」という循環を行なう解離サイクルに変更させることによって、治癒機転を得ることが重要である。つまり、無意識の防衛因子とつながっている前意識の様々な（人物、事物）表象を解放し、その解放された表象を前意識の制御因子とつなげる作業を行なう。こうした作業の途中、患者は（注目によって）多くの気づきや発見に恵まれるが、それはまさに意識がしっかりとした仲介役を引き受けているからに他ならない。フロイトの局所論を用いていては、いま私が話した内容を十分に説明することができないが、それでもなおフロイトの局所論に固執する研究者がいれば、そういう人達は（高度な技術と修練を必要とする）統合失調症の根治療法などやりたくないという思いを抱いているに違いない。 
</p>
<p>
　　すでに、情動失禁（や不安）は解離であると説明したが、今まで情動失禁は認知症に特徴的であると誤解されてきたようである。確かに、認知症に罹ると、前頭葉を中心とした広範囲において、ニューロンが死滅するので、不快－制御系の制御因子も消滅してしまい、その結果、情動失禁を起こすようになる。しかし、たとえ制御因子が死滅しなくても、つまり、その機能不全や形成不全であっても、情動失禁は生じてくる。たとえば、今回の東日本大震災において、どれほど多くの人が情動失禁を体験したことか！その他にも例を挙げれば、いわゆる性格特徴としての「短気」や「泣き虫」がある。これらは情動失禁を起こしやすい人格傾向である。あるいは、ひきこもっている時に、外部からの侵入に見舞われると、誰もが情動失禁を起こす可能性がある。このように、情動失禁は決して珍しい精神現象ではない。ところで、情動失禁、つまり解離が生じた後、どうなるか？この点についても「解離と解離性障害」のところで、すでに言及したが、上記の解離サイクルが形成されれば、解離型自我意識が発生し、解離性障害になりやすくなる。そこで、前意識の様々な表象を無意識の防衛因子に捕獲させるのではなく、前意識の制御因子に捕獲させることによって、治癒機転を獲得するのである。だからこそ、対象制御因子の取り入れと、その取り入れた対象制御因子に同一化して生ずる自己制御因子の形成が重要である。このように、防衛と解離、それに制御に関する精神力動はすでに解明され、極めて明瞭な説明が可能になっている。確かに、これらの精神力動は、統合失調症の根治療法やその治癒機転という高度な方法論の中から生まれてきたものであり、そうした経験のない多くの読者にとっては漠然とした（観念的、抽象的な）理解しか得られないだろうが、せめて盲目的にフロイトを信奉するという姿勢だけは改善してもらいたいものである。 
</p>
<p>
&#160;
</p>
<p>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1421520.html">意識が関与する精神力動</a> 
</p>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13959749.html">
<title>忍耐と希望</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13959749.html</link>
<description>  同じ心的外傷でも、犯罪などに巻き込まれた場合は、ナルシシズム系よりもむしろマゾキズム系の問題、つまり攻撃性の処理が重要になる。しかし、今回の震災によって受けた心的外傷の場合は（不十分な防災対策という点を除けば）誰も恨みようがない。それゆえ、マゾキズム系制御システムをフルに活用することができる。つまり、それは忍耐と批判である。とにかく、できることを淡々とやり、ひとつひとつ混乱を整理していく必要がある。すでに紹介したように、忍耐はさとり（とらわれのない心）と同等の価値を持つ。...</description>
<dc:subject>東日本大震災の精神分析</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2011-04-10T17:08:22+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　同じ心的外傷でも、犯罪などに巻き込まれた場合は、ナルシシズム系よりもむしろマゾキズム系の問題、つまり攻撃性の処理が重要になる。しかし、今回の震災によって受けた心的外傷の場合は（不十分な防災対策という点を除けば）誰も恨みようがない。それゆえ、マゾキズム系制御システムをフルに活用することができる。つまり、それは忍耐と批判である。とにかく、できることを淡々とやり、ひとつひとつ混乱を整理していく必要がある。すでに紹介したように、忍耐はさとり（とらわれのない心）と同等の価値を持つ。人間にとって、最も崇高な心的現象である。しかし、だからと言って、すべてを耐えなければならないということではない。財政出動や支援活動が不足すれば抗議すべきであるし、なかなか示されない今後の展望については、強く公的機関に迫る必要がある。
</p>
<p>
　　東日本大震災は、われわれ生命体に授かった脆さを強烈に直面させた。それまでは平穏であった日常が崩れ、われわれの精神的な健康はひどく侵されてしまった。こんな時だからこそ、冷静に考え、行なう必要があるが、すでに多くを失った人にはそれもまた困難である。せめて、いま直面している心の状態を理解することによって、どうすれば立ち直れるのか？そのシナリオをしっかりと身に着けてもらいたいものである。絶望サイクルは忍耐さえあれば、万人の不幸を背負う精神力動としてのナルシシズム系前駆型閉鎖回路に戻る。しかも、この精神力動は新しい理想的対象（ナルシシズム系対象制御因子）に出会うと、惚れ込みの心性を賦活する。その対象になる人は、たとえば、これからの復興のビジョンを示せるような人であるとか、あるいは元気あふれる子供達などである。そういう人達の心をもう一度吸収することによって、自分の主体性の権化である誇大的自己を活性化させることができる。誇大的自己の活性化に成功すれば、その時には巻き込み拘束（お節介）や救いの環（助け合い）が形成されてくる。こうした一連の心のあり方は、希望という新しい人生の出発になるということをよく理解しておいてもらいたい。
</p>
<p>
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</p>
<p>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1482115.html">　東日本大震災の精神分析</a>
</p>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13959682.html">
<title>蔓延する絶望</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13959682.html</link>
<description>  はたして、被災者すべてに行き渡る支援は可能だろうか？もしそれが十分なものであれば、被災者に自己愛型閉鎖回路が形成され、再び誇大的自己の活性化につながる精神力動を準備することができる。しかし、もしそれが不十分なものであれば、誇大的対象の活性化は不快の転送ルートを活性化させ、マゾキズム系にも問題が発生する。つまり、不満の処理が必要になる。さらに、その処理が適切に行われなければ、処理し損なった不満がナルシシズム系に戻ってきて、誇大的対象や弱い対象、それに弱い自己を攻撃するように...</description>
<dc:subject>東日本大震災の精神分析</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2011-04-10T13:58:19+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　はたして、被災者すべてに行き渡る支援は可能だろうか？もしそれが十分なものであれば、被災者に自己愛型閉鎖回路が形成され、再び誇大的自己の活性化につながる精神力動を準備することができる。しかし、もしそれが不十分なものであれば、誇大的対象の活性化は不快の転送ルートを活性化させ、マゾキズム系にも問題が発生する。つまり、不満の処理が必要になる。さらに、その処理が適切に行われなければ、処理し損なった不満がナルシシズム系に戻ってきて、誇大的対象や弱い対象、それに弱い自己を攻撃するようになる。それにしても、誰もが不満を抱かないような現実は存在するだろうか？不満を生じない財政出動や支援活動は存在するだろうか？答えは言うまでもない。それゆえ、事態が適切に運ばなければ、さらなる窮地が我々を襲うことになる。 
</p>
<p>
　　ナルシシズム系前駆型閉鎖回路を打開しようと試みたが、今や破壊的攻撃性がナルシシズム系を侵襲し、弱い自己や弱い対象を傷つけるようになった。弱い自己が傷つけば、自殺願望が発生し、弱い対象が傷つけば、絶望が発生する。絶望は鬱（うつ）の発生母体である。傷ついた自己は傷ついた対象と不快因子同士の連動性を作り、憐憫を感ずるようになる。そして、再びナルシシズム系前駆型閉鎖回路が回り始める。しかし、もはやそれをナルシシズム系前駆型閉鎖回路とは呼ばず、絶望サイクルと呼ぶ。絶望サイクルが回り続けると、回避性や反社会性は機能せず、しかも破壊的攻撃性を誘いやすいので、自殺の危険性が高まる。それを必死に食い止めようとすれば、様々な依存症を発症するための精神力動が形成される。このように、一旦心的外傷が生ずると、それは絶望サイクルにまで到る可能性があり、そこから容易に抜け出すことはできなくなる。はたして、このような心の地獄に救いはあるか？ 
</p>
<p>
&#160;
</p>
<p>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1482115.html">東日本大震災の精神分析</a> 
</p>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13959668.html">
<title>対象喪失に端を発した自己喪失</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13959668.html</link>
<description>  多くの人が、被災によって家族や住まい、それに仕事を失った。その悲しみはたとえようがない。我々はいま対象喪失の真只中にいる。対象制御因子である理想的対象はいなくなり、それによって救いの環は回らなくなり、自己の主体性をも失い始めている。そうした中で、主流を占める精神力動は（移行現象の初期段階である）不快因子同士の連動性である。ところが、主体性の権化である誇大的自己の活性化はすでに低下し、たとえ自己の対象化を試みても、活性化した弱い対象を誇大的自己でもって拘束することはできなく...</description>
<dc:subject>東日本大震災の精神分析</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2011-04-10T13:37:58+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　多くの人が、被災によって家族や住まい、それに仕事を失った。その悲しみはたとえようがない。我々はいま対象喪失の真只中にいる。対象制御因子である理想的対象はいなくなり、それによって救いの環は回らなくなり、自己の主体性をも失い始めている。そうした中で、主流を占める精神力動は（移行現象の初期段階である）不快因子同士の連動性である。ところが、主体性の権化である誇大的自己の活性化はすでに低下し、たとえ自己の対象化を試みても、活性化した弱い対象を誇大的自己でもって拘束することはできなくなった。それゆえ、自己の対象化も止み、今度は対象の自己化だけを活性化する（ナルシシズム系）前駆型閉鎖回路が活性化されるようになる。この精神力動は、すべての人の心の苦しみを自分の心の苦しみとして認知する特徴を持つ、救いのない精神力動である。 
</p>
<p>
　　ナルシシズム系前駆型閉鎖回路を構成する因子は、脳内動因系に属する不快因子と、脳内嫌悪系に属する誇大的対象、それに脳内報酬系に属する理想的自己である。それゆえ、当然、理想的自己の活性化が顕著になる。理想的自己の特徴はひきこもりである。理想的自己は自己保存欲求の権化であり、動物脳においては処罰的自己と共に報酬系を占拠する。つまり、多くの人にナルシシズム系前駆型閉鎖回路が発生すると、その共同体は活気のない社会に変化する。いかにして、このような社会情勢を打開するか？そのためには、多くの人が陥っているナルシシズム系前駆型閉鎖回路を理想的自己で停止させるのではなく、誇大的対象で停止させ、今度はそこからナルシシズム系前駆型閉鎖回路とは逆の方向へ動かす力が必要である。現実的には、財政出動や支援活動によって自己愛型病的同一化を形成し、当てを充たす機能を行使させることが必要である。 
</p>
<p>
&#160;
</p>
<p>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1482115.html">　東日本大震災の精神分析</a> 
</p>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13959652.html">
<title>一体感や連帯感</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13959652.html</link>
<description>  恐怖は自責回路を通して、狼狽や不安に合流する。さほど大きな心的外傷でなければ、狼狽や不安は二通りの精神力動でもって処理される。第一は、一旦停止した救いの環が再び機能し始める。第二は、自己防衛因子である理想的自己によって防衛される。（外傷の防衛を解離であると考えていたのでは、継続して発生する精神力動を理解することはできない。）ところが、比較的大きな心的外傷が継続した場合には、別の精神力動が生じてくる。その際にも二通りの精神力動が発生する。第一は、自己の対象化と、それに続く対...</description>
<dc:subject>東日本大震災の精神分析</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2011-04-10T13:00:10+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　恐怖は自責回路を通して、狼狽や不安に合流する。さほど大きな心的外傷でなければ、狼狽や不安は二通りの精神力動でもって処理される。第一は、一旦停止した救いの環が再び機能し始める。第二は、自己防衛因子である理想的自己によって防衛される。（外傷の防衛を解離であると考えていたのでは、継続して発生する精神力動を理解することはできない。）ところが、比較的大きな心的外傷が継続した場合には、別の精神力動が生じてくる。その際にも二通りの精神力動が発生する。第一は、自己の対象化と、それに続く対象の自己化である。第二は、ナルシシズム系前駆型閉鎖回路である。たとえ心的外傷を被っても、それまで機能していた誇大的自己の活性化がしばらく続き、はじめのうちは救いの環や巻き込み拘束が可能である。それが（後述する）対象喪失や自己喪失によって、次第に機能しなくなり、やがて不快－制御系は麻痺する。
</p>
<p>
　　大きな心的外傷が持続すると、強制漏洩によって発生した解離もまた大きくなり、たとえ制御や防衛がフルに稼働しても、それだけでは間に合わなくなる。その際にまず起こってくるのは自己の対象化である。これは、自己が体験している狼狽や不安が他者に拡散するという精神力動である。ただし、この精神力動では、弱い自己の認識的側面が機能するのではなく、弱い自己－対象という未分化不快因子が機能する。その理由は、次に起こってくる精神力動が、対象の自己化だからである。つまり、その伝達経路は「弱い自己→弱い対象→弱い自己」である。自己の対象化および対象の自己化は、その共同体に強い一体感や連帯感を生ぜしめる。また、この不快因子同士の連動性は、移行現象（移行対象形成）の初期段階でもある。むろん、たとえ不快因子同士の連動性が生じても、それが誇大的自己によって拘束されれば、一体感や連帯感は成就されることになるが、この精神力動が生じてくる時には、すでにそうした成就する能力が低下しているという前提がある。
</p>
<p>
&#160;
</p>
<p>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1482115.html">東日本大震災の精神分析</a>
</p>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13959637.html">
<title>解離の真只中</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13959637.html</link>
<description>  平成２３年（２０１１年）３月１１日、大きな地震と津波が東日本を襲った。千年に一度あるかないかという規模の災害であり、それによって東日本は壊滅的な被害を受けた。数多くの生命が奪われ、膨大な社会的損失が生じた。心に受けた痛手も大きく、被災直後から一ヶ月経った今もなお、未だ悲嘆と動揺を隠せない日々が続いている。復興のためには、資金や物資をはじめとして、様々な援助が必要であり、その中には心のケアも含まれる。心のケアを行なうためには、いま心の中で何が起こっているのか？それは、どうい...</description>
<dc:subject>東日本大震災の精神分析</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2011-04-10T12:09:30+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　平成２３年（２０１１年）３月１１日、大きな地震と津波が東日本を襲った。千年に一度あるかないかという規模の災害であり、それによって東日本は壊滅的な被害を受けた。数多くの生命が奪われ、膨大な社会的損失が生じた。心に受けた痛手も大きく、被災直後から一ヶ月経った今もなお、未だ悲嘆と動揺を隠せない日々が続いている。復興のためには、資金や物資をはじめとして、様々な援助が必要であり、その中には心のケアも含まれる。心のケアを行なうためには、いま心の中で何が起こっているのか？それは、どういう悩みに進んでいくのか？その辛さから解放されるためには、どうしたらよいのか？という点について、しっかりとした理解を持つ必要がある。 
</p>
<p>
　　今回のような大規模な災害が発生すると、直接被災した人達はもちろんのこと、それによって様々な影響を受けた人達もまた心的外傷を被る。まるで福島第一原発事故によって放射能が広がるように、心的外傷もまた被災地を中心として同心円状に広がっていく。その具体的な心性として代表的なものは、恐怖、狼狽、そして不安である。恐怖は（脳内嫌悪系に属する）対象防衛因子のひとつである処罰的対象が強く活性化するために生ずる。また、狼狽と不安の発生メカニズムは同じであり、（脳内動因系に属する）不快因子のひとつである弱い自己が強く活性化するために生ずる。弱い自己の活性化には二通りの精神力動があり、ひとつは（脳内制御系に属する）誇大的自己の活性化の低下であり、もうひとつは（脳内報酬系に属する）理想的自己の活性化の低下である。前者では救いの環が停止し、後者ではナルシシズム系に自己解離（強制漏洩）が発生する。 
</p>
<p>
&#160;
</p>
<p>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1482115.html">　東日本大震災の精神分析</a> 
</p>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13928873.html">
<title>絶望や鬱と解離性障害</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13928873.html</link>
<description>  時々、絶望や鬱をベースとして解離性障害が発生する。そのメカニズムは、絶望が鬱を形成し、かつ解離性障害を発生する場合と、絶望はあっても鬱はなく、しかし解離性障害が併発する場合である。前者の代表はヒステリーや自殺企図であり、後者の代表は遁走や犯罪、それに文学的、芸術的動機である。  鬱にヒステリー（身体化）が加わった「抑うつヒステリー」は難治性である場合が多い。たとえば、アルコール依存症で入退院を繰り返しているうちに鬱に陥り、その上に家族的、社会的軋轢が、いわゆる心的外傷とし...</description>
<dc:subject>鬱（うつ）とその周辺（２）</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2011-03-04T20:54:01+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　時々、絶望や鬱をベースとして解離性障害が発生する。そのメカニズムは、絶望が鬱を形成し、かつ解離性障害を発生する場合と、絶望はあっても鬱はなく、しかし解離性障害が併発する場合である。前者の代表はヒステリーや自殺企図であり、後者の代表は遁走や犯罪、それに文学的、芸術的動機である。
</p>
<p>
　　鬱にヒステリー（身体化）が加わった「抑うつヒステリー」は難治性である場合が多い。たとえば、アルコール依存症で入退院を繰り返しているうちに鬱に陥り、その上に家族的、社会的軋轢が、いわゆる心的外傷として機能し、自己漏洩現象が起こり、ヒステリーが出現するという症例は決して珍しくない。
</p>
<p>
　　一口に自殺企図と言っても、様々な病態を含んでいる。手首切りなどの自傷行為はもちろんのこと、大量服薬による自殺企図、一気に自殺を達成させる破壊的衝動性などである。そうしたエピソードの後では、一連の行動について憶えていないことが多い。（これは余談であるが、先日、NHKの「クローズ・アップ現代」という報道番組の中で、「境界性パーソナリティ障害」が紹介された。その中で、未だしっかりとした治療法はないとのことであったが、真実はそうではなく、すでにしっかりとした治療法は確立している。）
</p>
<p>
　　絶望と遁走との関係については、すでに紹介した。いつ、いかなる所へ赴いたか？という点に関して、その記憶の程度や人格の変化も様々である。蒸発や失踪は特殊な場合であり、多くは日常的な転居や転職の中に、遁走の動機や要素が含まれている場合がある。つまり「新たに発生する分身の構造」はすでに保有されているが、それを美しく「新天地を求める人達の動機」と表現するのである。
</p>
<p>
　　個人や集団にかかわらず、悲惨な殺傷事件を起こす犯罪には、蔓延した絶望を打開しようとして破壊行動を起こす場合がある。その際には、既存の不快－防衛系に由来する内容と、繰り返し発生する自己解離（不安）の後に捕獲した前意識の内容との間に因果関係を形成させようとする。それが「異筋の直観」であり、もし因果関係が成立すれば、大きな破壊哲学が誕生する。
</p>
<p>
　　絶望を素地として発生する異筋の直観は決して珍しいものではなく、誰にでも起こり得るありふれた精神活動である。しかし、時々、その主観的体験は（不思議な）興奮や感動を引き起こす。それゆえ、そうした体験は「神秘」的な世界として重宝がられることがある。もし優れた表現力に恵まれれば、それは文学的、芸術的な動機として成長する。
</p>
<p>
　　以上、簡単に絶望と解離性障害との併存について紹介したが、問題はこのような精神力動が、いかなる病態水準の、どういう精神病理によって生ずるのか？という点である。それを容易に把握するポイントは、どういう解消方法を保有しているか？というところに注目してみればよい。たとえば、それが哲学や文学、それに芸術という分野で「昇華」しようとしていれば、はっきりした一つの病理が見えてくる。もちろん、心酔し切ってしまえば、見えるものも見えないので、まずはそうした傾向を取り除く必要がある。これは私の持論であるが、たとえ一見立派に見える創造であっても、それが上記の精神病理を背景としたものであれば、それはあまり大きな価値を有していない。いずれにしても、そうした創造に対して冷静に見ることができれば、そこには強烈な強迫という技法がクローズ・アップしてくるに違いない。つまり、創造の動機は強迫を成立させたいという無意識的欲求である。強迫を成立させたいということは、もともと強迫が存在していないということを意味するので、それは強迫不全性人格障害の範疇に属する人物の精神活動であると推し量ることができる。
</p>
<p>
&#160;
</p>
<p>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1472723.html">　鬱（うつ）とその周辺（２）</a>
</p>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13928804.html">
<title>絶望サイクル</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13928804.html</link>
<description>  不快因子同士の連動性は、未分化不快因子（悪い自己－対象、及び弱い自己－対象）の存在を示唆し、未分化不快因子の存在は、未だ情動制御システムが形成されていない精神構造、つまり許しの環や救いの環が形成されていない人格構造の存在を示唆する。ところが、すでに情動制御システムが形成されている精神構造においても、不快因子同士の連動性は起こり得る。この場合は、すでに不快因子は分化しているので、未分化不快因子は存在しない。すでに紹介したように、健康な精神状態であれば、情動系を構成するより多...</description>
<dc:subject>鬱（うつ）とその周辺（２）</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2011-03-04T19:43:40+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　不快因子同士の連動性は、未分化不快因子（悪い自己－対象、及び弱い自己－対象）の存在を示唆し、未分化不快因子の存在は、未だ情動制御システムが形成されていない精神構造、つまり許しの環や救いの環が形成されていない人格構造の存在を示唆する。ところが、すでに情動制御システムが形成されている精神構造においても、不快因子同士の連動性は起こり得る。この場合は、すでに不快因子は分化しているので、未分化不快因子は存在しない。すでに紹介したように、健康な精神状態であれば、情動系を構成するより多くの因子が活動する可能性が高くなるので、上記の説明に矛盾があるわけではない。つまり、すでに不快因子は分化しているが、それらの制御因子が十分に機能しない心的状況が生ずれば、不快因子同士の連動性も生ずる。 
</p>
<p>
　　絶望をテーマにする場合、破壊的攻撃性のナルシシズム系への侵襲という精神力動を念頭に置きながら、ナルシシズム系における不快因子同士の連動性に注目する。すると、破壊的攻撃性の侵襲の範囲によって、幾つかのパターンに分けることができる。ひとつ目は、未だ弱い自己も弱い対象も傷つかない状態である。この場合は、不快因子同士の連動性、対象の分身化、それにナルシシズム系前駆型閉鎖回路のいずれもが機能する。また、これらの機能は個人的に活性化されるだけではなく、集団的にも活性化される。もし集団的に活性化されれば、様々な社会現象、たとえば貧困問題や環境問題などが、不快因子同士の連動性や対象の分身化、それにナルシシズム系前駆型閉鎖回路の形成に利用される。二つ目は、弱い自己だけが傷ついた状態である。この場合は、不快因子同士の連動性以下、いずれも機能しない。三つ目は、弱い対象だけが傷ついた状態である。この場合は、対象の分身化だけが発生し、傷ついた分身から発する刺激は倒錯的思考を形成する。これは絶望の素地である。四つ目は、弱い自己も弱い対象も傷ついた状態である。弱い自己も弱い対象も傷つけば、それらが傷つかない場合と同様、不快因子同士の連動性や対象の分身化、それにナルシシズム系前駆型閉鎖回路もまた使用可能になる。ただし、その際の刺激伝達経路は「誇大的対象→傷ついた弱い対象→傷ついた弱い自己→理想的自己→誇大的対象」となり、もはやナルシシズム系前駆型閉鎖回路とは呼ばず、「絶望サイクル」と呼ぶ。この場合もまた個人だけではなく集団にも発生し、もし集団に発生すれば、大規模な破壊活動の素地になる。 
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<p>
　　弱い自己と弱い対象とが共に傷つかない場合や、共に傷ついた場合は、個人的にも集団的にも不快因子同士の連動性が機能する。個人的に機能した場合、それは（ほれ込みと異なった精神力動を有しながら）自己と他者との間に一体感や連帯感を発生させる。また、共に傷ついた場合は、絶望サイクルがうごめく心的状況を作り出す。不快因子同士の連動性が集団に発生した場合、もし共に傷つかなければ、様々な社会現象の中でも、たとえば社会保障制度や医療福祉制度などを作り上げる動機を形成する。これに対して、もし共に傷つけば、いつも重苦しく緊迫した社会情勢を示すようになる。つまり、国際的な均衡を維持するよりも、むしろ国際的な破壊活動に陥りやすい社会構造になる。ただし、不快因子同士の連動性は、たとえそれが傷つかないものであっても、あるいは傷ついたものであっても、それがその社会の健全さを反映しているわけではない。もっと積極的な言い方をすれば、これら両者の集団力動は（不快因子の連動性という）無意識的な願望に由来している。だから、ある地域では社会保障制度が充実しているから良い地域、別の地域では安心も信頼もないので悪い地域といった差別は適切ではない。いずれの場合も情動制御という健全な精神でもって再評価され、さらに充実した社会を作り上げることは可能である。しかし、現状では情動制御が社会的な支柱ではなく、はじめから格差の生ずる社会構造が起動している。それゆえ、こうした格差を生じさせる社会構造をはじめから排除した共同体のあり方が問われなければならない。 
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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1472723.html">鬱（うつ）とその周辺（２）</a> 
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</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13919752.html">
<title>気分変動の精神力動</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13919752.html</link>
<description>  ちまたでは、「人の心は気紛れだ」とか「あの人は気分屋だ」という言い方をする。気分は、まるで天気のように、コロコロ変わり、その予測は当たらないという思いがある。確かに、疲労やストレスが溜まってくると、嫌な気分になりやすいし、それが強ければ強いほど、週末の浮かれ気分もまた強くなる。しかし、我々の日常生活がそうした気分変動によって大きく左右されているかと言えば、決してそうではない。何かトラブルが起これば、我々は努めて冷静に過ごすことが大切であるということをよく知っている。   ...</description>
<dc:subject>鬱（うつ）とその周辺（１）</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2011-02-24T11:30:15+09:00</dc:date>
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<p>
　　ちまたでは、「人の心は気紛れだ」とか「あの人は気分屋だ」という言い方をする。気分は、まるで天気のように、コロコロ変わり、その予測は当たらないという思いがある。確かに、疲労やストレスが溜まってくると、嫌な気分になりやすいし、それが強ければ強いほど、週末の浮かれ気分もまた強くなる。しかし、我々の日常生活がそうした気分変動によって大きく左右されているかと言えば、決してそうではない。何かトラブルが起これば、我々は努めて冷静に過ごすことが大切であるということをよく知っている。 
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<p>
　　気分変動の対語は、情動制御である。情動制御とは、健康な心の仕組みであり、機能である。その健康な心が気分変動を抑止する。健康な心は不快－制御系によって営まれており、気分変動は不快－防衛系によって営まれている。不快－制御系とは、許しの環や救いの環が機能している精神状態である。それに対して、不快－防衛系とは、防衛因子である処罰的自己や処罰的対象、それに理想的自己や誇大的対象が強く機能している精神状態である。むろん、不快－防衛系は気分変動だけに貢献するのではなく、諸々の不健康な（あるいは病的な）精神状態を作り出す張本人である。 
</p>
<p>
　　時々、この気分変動を躁（そう）や鬱（うつ）の総称として用いることがある。躁や鬱を防衛因子の組み合わせで表現すると、「躁＝処罰的自己＋理想的自己」「鬱＝処罰的対象＋理想的自己」である。躁の場合は、その強弱にかかわらず、この組み合わせが専用のものであると考えて差し支えない。これに対して、鬱の場合は、必ずしもこの組み合わせが専用のものであるとは言えない。たとえば、（自責回路を使用する）義務感や、一部の妄想形成なども、この組み合わせである。それゆえ、鬱の場合はこの組み合わせのほかにも何らかの要素が必要である。そうした点を踏まえて、実際に鬱に罹患した人達の治療から、その要素を学んでこなければならない。 
</p>
<p>
　　鬱を理解するためには、その素地としての絶望を理解しなければならない。ところが、この絶望の精神力動が難解である。絶望には我々の弱さや脆さが、不満や怒りとブレンドされているので、それがどういう仕組みによるものなのか、しかもそれをどう解消していくのかという点が解明されなければならない。長年の診療と研究の結果、そのきっかけとなった心性は、羨望と嫉妬との違いであった。つまり、羨望はほとんど絶望や鬱とは無縁であるのに対して、嫉妬は絶望や鬱の素地になる。それでは、どういう素地か？もちろん、嫉妬深い人が絶望や鬱に侵されやすいわけではない。嫉妬深い人は、むしろいじめ（虐待）の世界にいて、妄想的色彩が濃い。ところが、実際に鬱に罹患した人達が治癒していくプロセスにおいて、いじめの心性を通過する。それを躁状態と呼ぶことができる。だから、絶望や鬱は嫉妬を通過して、その終点（傷ついた分身）から反転した精神力動を示している。それゆえ、その精神力動、つまり絶望の本体は倒錯的思考であると結論付けることができる。このように、ある心性にはそれとは全く別物であるかのような心性が機能している場合が多い。そうした心の動きをつぶさに理解することこそ、心を知るということである。 
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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1453809.html">鬱（うつ）とその周辺 （１）</a>
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</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13918367.html">
<title>絶望と遁走</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13918367.html</link>
<description>  すでに繰り返し紹介しているように、移行対象とは対象防衛因子の分身を意味する。分身は未だ許しの環や救いの環が十分形成されない心的状況や、それらの形成途上において発生する。その分身が遊びや嗜癖の範疇から逸脱して、病的な色彩を帯びてくる原因は、破壊的攻撃性の侵襲による。その侵襲は、まず嫉妬を発生させ、次に「倒錯的思考」つまり絶望を発生させる。絶望が発生した場合、そのプロセスは三つに分かれる。ひとつ目は、うつ（鬱）の方へ進む場合である。二つ目は、絶望を解消する方向へ進む場合である...</description>
<dc:subject>鬱（うつ）とその周辺（２）</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2011-02-23T12:57:34+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　すでに繰り返し紹介しているように、移行対象とは対象防衛因子の分身を意味する。分身は未だ許しの環や救いの環が十分形成されない心的状況や、それらの形成途上において発生する。その分身が遊びや嗜癖の範疇から逸脱して、病的な色彩を帯びてくる原因は、破壊的攻撃性の侵襲による。その侵襲は、まず嫉妬を発生させ、次に「倒錯的思考」つまり絶望を発生させる。絶望が発生した場合、そのプロセスは三つに分かれる。ひとつ目は、うつ（鬱）の方へ進む場合である。二つ目は、絶望を解消する方向へ進む場合である。それは、不快の快変換ルート（うぬぼれ回路の形成）や、巻き込み拘束（お節介）を用いることによって可能になる。三つ目は、絶望を鬱化することもなく、さりとてそれを解消することもできず、むしろ絶望を深める方向へ進む場合である。それでは、どういう風に深めるか？ 
</p>
<p>
　　自殺の際に生ずる不快の逆転送ルートの活性化は極めて強烈なものであるのに対して、その大半の活性化は自殺にまでは到らず、自傷行為になるか、それとも希死念慮を募らせる程度のものである。こうした自己破壊衝動の強弱はマゾキズム系における情動制御の程度に依存している。不快の逆転送ルートは、一方で悪性サイクルに入り、分身を傷つけるが、他方で弱い自己も傷つけ、自己破壊傾向を示す。つまり、傷ついた分身が生ずると同時に、傷ついた自己もまた生ずる。すると、この傷ついた両者は次第に「不快因子同士の連動性」を示すようになるが、その際にお互いがお互いを憐れむ心性（憐憫の情）が生ずる。したがって、倒錯的思考が生ずれば、それは絶望をもたらし、その上に「傷ついた」不快因子同士の連動性が重なれば、それは憐憫をもたらすということになる。絶望と憐憫はセットになって主観の中心に坐するという精神力動が生ずる。 
</p>
<p>
　　ナルシシズム系において、絶望と憐憫が同居すれば、それは健康な心と言えないまでも、鬱になることもなく、自殺することもない。しかし、言うまでもなく、そうした心は重苦しいので、すでに提示した解消方法（うぬぼれやお節介）を用いて絶望から抜け出す必要があるが、いかんせん、人は盲目と無知の奴隷であるために、他にも別の方法がないものか？と思案し、模索する。つまり、まだ傷ついていない分身はいないかと探し始める。確かに、分身は複数存在し、そのうちのひとりが傷ついても、他の分身は傷つかずに残っている。もし分身の不足を感ずれば、転機は困難であるが、他にも分身を見つけ出すことができれば、今度はそれを材料にして生き様の転機を図ろうとする。その時に遁走が発生する可能性がある。常識的な遁走は「蒸発」や「失踪」を意味するが、何もそんな大袈裟なことを考える必要はない。おそらく、頻りに転居や転職を繰り返す人には、そうした遁走を作り出す無意識的な動機が存在しているものと考える。つまり、人から人へと逃げるのである。そして、再び「やり直し」の人生を始めるが、所を変え、人を変えてまで転機を求める当の本人は、なぜ自分がそうした道を歩んでいるのか、全く知る由もない。 
</p>
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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1472723.html">　鬱（うつ）とその周辺（２） </a>
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</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13906993.html">
<title>新型うつ病と認知行動療法</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13906993.html</link>
<description>  表題に示したように、今回は精神分析とは全く異質な二つの用語について話しておきたい。最近、若者を中心にうつ病が急増しているという話をよく耳にする。こういうご時世だから、人の心労も大きくなるだろうと思っていた。いわゆるうつ病の類はいつの時代にもあるので、それだけではさほど気にはならなかった。ところが、先日、ある報道でその流行っているうつ病のことを「新型うつ病」と呼んで紹介していた。この用語がひどく気になったので、それについて解説しているサイトを調べてみた。すると、急増している...</description>
<dc:subject>様々な精神医学（精神分析）用語</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2011-02-10T19:51:00+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　表題に示したように、今回は精神分析とは全く異質な二つの用語について話しておきたい。最近、若者を中心にうつ病が急増しているという話をよく耳にする。こういうご時世だから、人の心労も大きくなるだろうと思っていた。いわゆるうつ病の類はいつの時代にもあるので、それだけではさほど気にはならなかった。ところが、先日、ある報道でその流行っているうつ病のことを「新型うつ病」と呼んで紹介していた。この用語がひどく気になったので、それについて解説しているサイトを調べてみた。すると、急増しているうつ病の実態がはっきりした。それは昔で言うと「抑うつ神経症」今で言うと「回避性人格障害」わかりやすく言うと「適応障害」である。つまり、それは本当のうつ病ではなく、いわば「うつ類」や「鬱もどき」である。主観的な苦しみとしては、後悔や自責感だけではなく、焦燥や緊張も体験する。しかし、こうした臨床像に対して「新型うつ病」と名付けるのは、あまりにも軽率である。医療者には患者に正確な診断と治療法を教える義務があるが、このような曖昧で粗末な診断をする医療者がいるならば、それこそ捨て置けない大きな問題である。
</p>
<p>
　　もうひとつ、最近流行の用語に認知行動療法がある。先日、NHKの「クローズ・アップ現代」という報道番組に、この認知行動療法が登場した。大きな驚きであった。しかし、その驚きは決して良いものではなかった。利用率２％という、未だ医療者も十分に知らない（一部の医療者しか使用しない）治療法を大々的に報道した。もちろん、たとえ利用率が低くても、この治療法が根治療法（完治療法）として非常に有力な治療法であるというのであれば、私の驚きも良いものになっただろう。しかし私の知る限り、この治療法はそんなものではなく、一種の「簡便療法」である。出演した解説者の説明によれば、この方法は急増しているうつ病の「マイナス思考」を変えるという。しかし、本来のうつ病の思考パターンが、そんなに簡単に変わるわけではない。それに、この方法は薬物療法と併用されるべき代物であるというが、どちらが主役で、どちらがわき役か？それもはっきりしない。急増しているうつ病に対しても、日常的に利用される精神療法やカウンセリングで十分対応できると考えるが、このような偏った報道の背後に、厚生労働省の場当たり的な（その場しのぎの）意図を感じ取ったのは、私一人ではなかっただろうと思う。
</p>
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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1301335.html">　様々な精神医学（精神分析）用語</a>
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</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13793462.html">
<title>公開完了のご案内</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13793462.html</link>
<description>  予定していた分を超えて、さらに様々な記事を掲載し続けてきたが、「フロイト修正論要綱」でもって、当サイトの日本語掲載を完了する。現在もなお私の執筆活動は続いているが、再び治療を中心とした専門的な内容に関するものが多くなってきているので、それらについては、書籍「ダイジェスト版精神分析統合理論」の中で掲載する予定である。英語によるダイジェスト版の刊行は、私の研究生活のひとつの大きな節目である。それを完成させ発刊した後、日本語版の発刊も行なう予定である。今のところ、それらの発刊は...</description>
<dc:subject>掲示板</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2010-09-11T11:02:18+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　予定していた分を超えて、さらに様々な記事を掲載し続けてきたが、「フロイト修正論要綱」でもって、当サイトの日本語掲載を完了する。現在もなお私の執筆活動は続いているが、再び治療を中心とした専門的な内容に関するものが多くなってきているので、それらについては、書籍「ダイジェスト版精神分析統合理論」の中で掲載する予定である。英語によるダイジェスト版の刊行は、私の研究生活のひとつの大きな節目である。それを完成させ発刊した後、日本語版の発刊も行なう予定である。今のところ、それらの発刊は２０１２年の予定である。
</p>
<p>
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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1282605.html">　掲示板</a>
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]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13793456.html">
<title>フロイト修正論要綱</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13793456.html</link>
<description>  フロイトから出発した時には、もちろん、フロイトを修正するなどという大それた思いを抱いたわけではなかった。地道で根気強く、重症患者（病的状態）の治療を行ない、その結果、複数の治療を成功させていくにつれて、許しの心や救いの心の形成が治癒の鍵になっていることを実感した。しかし、それらによって、はたして精神病の治療も可能になるだろうか？これが私の最大の関心であり、この関心が精神病根治療法への挑戦に拍車を掛けた。そして、幾つもの難題をクリアしていくと、やはり精神病においても、許しの...</description>
<dc:subject>フロイト修正論</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2010-09-11T10:48:10+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　フロイトから出発した時には、もちろん、フロイトを修正するなどという大それた思いを抱いたわけではなかった。地道で根気強く、重症患者（病的状態）の治療を行ない、その結果、複数の治療を成功させていくにつれて、許しの心や救いの心の形成が治癒の鍵になっていることを実感した。しかし、それらによって、はたして精神病の治療も可能になるだろうか？これが私の最大の関心であり、この関心が精神病根治療法への挑戦に拍車を掛けた。そして、幾つもの難題をクリアしていくと、やはり精神病においても、許しの心と救いの心の形成が最も重要な課題であるとの結論を得た。その結論から情動制御理論を作り上げたが、こうした一連の作業に没頭している間、私はフロイトのことをあまり考えなかった。何はさておき、得た真実の大枠を書き上げておかなければならないという思いで一杯だったからである。そうしておけば、いずれ古いものは自然に（自動的に）崩れ去ると思った。（むろん、この点については、今もなお同じ気持である。）そして、ついに精神分析統合理論を完成させた。
</p>
<p>
　　月日が経つにつれて、私の脳の興奮も少しずつ治まってきたが、冷静になった今であるからこそ、フロイトと自分との比較も可能になってきたと言えるかも知れない。様々なフロイト批判については、当サイト内で紹介してきたが、やはり最も大きな違いは二つの構造論にあると考える。大胆な言い方をすれば、フロイトの二つの構造論を修正し、感情転移を精神病の治療にまで深く広げることによって、新しい（二十一世紀の）精神分析を作り上げたいと考える。その修正とは、第一に「エス・自我・超自我」を「不快因子・防衛因子・制御因子」とし、第二に「意識・前意識・無意識」を「前意識・意識・無意識」とするものである。しかも、私の二つの新構造論は密接に関係していて、制御因子は前意識にあり、不快因子は意識直上にあり、防衛因子は無意識にある。（日常的には、不快因子は不快－制御系として前意識にあったり、不快－防衛系として無意識にあったりする。）つまり、情動制御理論は、ひとつのしっかりとした法則性を携え、精神現象生成理論の中核に位置している。このような修正を行なえば、すべての精神現象を単一理論で説明し切ることができるようになり、とりわけ精神病の根治（完治）療法を定式化することができるようになる。こうした修正によって、これからの精神分析は、科学としての領域に入ろうとしていると考える。
</p>
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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1308033.html">　フロイト修正論</a>
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</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13788099.html">
<title>投影性同一視と解離性障害</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13788099.html</link>
<description>  当サイト内の「解離と解離性障害（２）」の中に「投影性同一視と解離」という記事を掲載したが、そこで投影性同一視にもまた解離が生じていることについて言及した。その際の解離とは自然漏洩による解離を意味するが、どこまでが自然漏洩で、どこからが強制漏洩か？という点に関して、明瞭な境界線を設けることが困難な場合がある。たとえば、「投影性同一視＋情動失禁」という場合である。統合失調症の患者さんが、情動失禁を示しながら発病したり、あるいは慢性期から急性期に移行したりすることがある。ただし...</description>
<dc:subject>意識が関与する精神力動</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2010-09-04T11:30:16+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　当サイト内の「解離と解離性障害（２）」の中に「投影性同一視と解離」という記事を掲載したが、そこで投影性同一視にもまた解離が生じていることについて言及した。その際の解離とは自然漏洩による解離を意味するが、どこまでが自然漏洩で、どこからが強制漏洩か？という点に関して、明瞭な境界線を設けることが困難な場合がある。たとえば、「投影性同一視＋情動失禁」という場合である。統合失調症の患者さんが、情動失禁を示しながら発病したり、あるいは慢性期から急性期に移行したりすることがある。ただし、投影性同一視そのものは自然漏洩であり、その理由は該当する防衛因子の機能が徐々に低下したためであるから、防衛因子の交代、つまり防衛の流動化によって、病相を変えようとする無意識的な精神力動が働いている。また、基本的防衛態勢（寛解期）に見られる多重人格性は、時に激しく「防衛⇔解離」を繰り返すが、それに引き続き、前意識を使用するというプロセスにはならず、やはり投影性同一視の方向へ傾く。それゆえ、投影性同一視を多用する精神病では、解離性障害は起こり難いという結論になる。
</p>
<p>
　　精神病の場合は、専ら防衛サイクル（無意識→前意識→意識→無意識）を使用するのに対して、解離性障害の場合は、はじめに解離サイクル（無意識→意識→前意識→無意識）を形成し、次には防衛サイクルと解離サイクルの両方を使用する。なぜ、解離性障害だけが解離サイクルを形成するのか？という問いに答えるならば、それは前意識に存在する情動制御の程度に依存していると考えられる。精神病のように、情動制御が全く形成されていない状態では、人格が交代する理由がない。また、健康な人のように、情動制御がしっかりと形成されている状態では、たとえ強制漏洩による解離が生じても、それを前意識でしっかりと受け止めることができるので、やはり人格が交代する可能性は低い。そうなると、クローズ・アップしてくるのは、病的状態である。私は愛読書の一冊、「失われた私をもとめて」（モートン・プリンス）を繰り返し読んでみるが、この本から学べる重要な点は、情動制御を有するナルシシズム系が展開する人格と、情動制御のないマゾキズム系が展開する人格との著しい違いである。そうした点から、たとえ第一義的には誇大的自己の存在が重要であっても、マゾキズム系の制御のなさ、つまり破壊的攻撃性のナルシシズム系順転を作り上げる様々な伝達経路こそ、多重人格を作り上げるための重要な構成要素であると考える。
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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1421520.html">　意識が関与する精神力動</a>
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]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.seishin-bunseki.jp/article/13782467.html">
<title>意識と治癒機転</title>
<link>http://www.seishin-bunseki.jp/article/13782467.html</link>
<description>  おそらく、精神分析に関して、多くの読者が（最も）知りたいと思っている疑問のひとつは、いかにして精神分析が様々な心の問題を解決して治癒に導き、病的な人格さえも健康にしてしまうのか？という点であろうと考える。この疑問に関しては、すでに紹介した意識の不快－制御系や不快－防衛系との関係をよく理解すれば、容易に答えを引き出すことができる。ここでもう一度、それらの内容について振り返りながら整理すると、三つの作業にまとめることができる。   第一は、様々な置き換えを繰り返す防衛因子の実...</description>
<dc:subject>意識が関与する精神力動</dc:subject>
<dc:creator>新しい心の分析教室 新田信也</dc:creator>
<dc:date>2010-08-27T14:56:07+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<p>
　　おそらく、精神分析に関して、多くの読者が（最も）知りたいと思っている疑問のひとつは、いかにして精神分析が様々な心の問題を解決して治癒に導き、病的な人格さえも健康にしてしまうのか？という点であろうと考える。この疑問に関しては、すでに紹介した意識の不快－制御系や不快－防衛系との関係をよく理解すれば、容易に答えを引き出すことができる。ここでもう一度、それらの内容について振り返りながら整理すると、三つの作業にまとめることができる。 
</p>
<p>
　　第一は、様々な置き換えを繰り返す防衛因子の実態に迫る作業である。特に対象防衛因子は、辛い情動体験の原因になっている場合が多いので、無意識と前意識との間の表象間移動を利用して、前意識の内容から無意識の内容に遡ることができる。たとえば、患者が幻聴に悩んでいる場合、その情動体験は被支配と恐怖によるものであるから、いま患者が言語化できる内容をもとに、そうした情動体験に沿って表象間移動の実態を解明していく。多くの患者はその両親から被支配と恐怖とを与えられているが、実際にはたとえばテレビ画面に映っている有名人が自分のことを話しているという具合に、全く関係の無い対象が自分を支配し、非難すると訴える。だから、そこから丹念に両親まで遡るのである。そうした作業に使用する治療者の技法は、表出的介入と呼ばれるものである。 
</p>
<p>
　　第二は、第一の作業を進めながら、治療者の健康な人格（すなおさやまじめさ、批判や忍耐）を取り入れさせる。そのためには、治療者は精神的に健康でなければならないし、さらには治療者自ら教育分析を受けて、その健康さに磨きをかけていなければならない。もし治療者が健康であれば、患者の取り入れはスムーズに起こる。そして、取り入れた内容に同一化し、新たな自分の心の基礎を作り始める。このプロセスを専門的に言えば、対象制御因子の取り入れと自己制御因子の形成という表現になる。治療者によっては、いわゆる陰性治療反応という患者の治療者に対する否定的感情を大袈裟に取り扱う者もいるが、それは治療者が対応を心得ていないか、それとも治療者自身の問題が顕在化してきているか、そのどちらかである。ただし、精神病や病的状態などの重症例を治療する場合は、健康な二人の治療者による、二つの治療が必要である。 
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　　第三は、問題解決の鍵を握る治癒機転である。第一の作業によって、防衛因子の実態に迫ることができるようになると同時に、第二の作業によって、（前意識の中で）情動制御に必要な制御因子の取り入れと同一化が可能になる。この二つの作業が順調に進むと、無意識に存在する不快－防衛系の、不快因子と防衛因子との結合が緩み、ある時、不快因子の意識への侵入が見られるようになる。最も正確な言い方をすれば、治療者の表出的介入によって、患者に情動失禁が生じ、その情動失禁はすでに前意識に準備された制御因子によって拘束される。このプロセスこそ、精神分析による根治療法のシナリオである。もちろん、第二の作業が行なわれずに、第一の作業が突出して行なわれれば、その時には医原性外傷体験を作ることになる。また、第一の作業が行なわれずに、第二の作業ばかりに傾けば、不快－防衛系は微動だにしない。つまり、それは根治療法にはならない。それゆえ、精神分析による根治療法は、外科的治療（第一の作業）＋内科的治療（第二の作業）であると、たとえることができる。 
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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="/category/1421520.html">　意識が関与する精神力動</a> 
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