前意識−意識−無意識(新局所論)

 フロイトの局所論(意識−前意識−無意識)と、私の「新」局所論(前意識−意識−無意識)とでは、心的構造の内容の配列の仕方が異なっている。フロイトの局所論では、前意識は無意識から派生するが、私の新局所論では、前意識は意識を挟んで無意識と対峙するものであり、前意識と無意識はまったく別物である。またフロイトの局所論では、前意識の内容と無意識の内容は異なっていて、フロイトはその判別機能を無意識の「検閲」にあると仮定した。これに対して、私の新局所論では、もし意識がなければ、前意識と無意識の境界はなくなる。ただし、前意識の内容(不快−制御系)と無意識の内容(不快−防衛系)は別なので、たとえ睡眠中においてそれらが混在していても(つまり「前意識⇔無意識」であっても)、それらは夢の内容の違いになって出現する。
 フロイトの場合、前意識の内容は無意識の検閲を受けるので、意識に上ってくる内容は制限される。それをフロイトは抑圧と呼んだわけだが、フロイトにとっての最大の関心事は無意識の構造化であり、無意識こそ精神を支配する機関であると考えた。しかし、前意識の存在を問題にする限り、私は意識の優位性を主張する。つまり、意識のおかげで前意識は発生する。こうした私の考えから、フロイトの検閲をどう理解するか?第一に、意識の発生そのものが検閲機能を果たしている。第二に、前意識に存在する不快−制御系が、無意識に存在する不快−防衛系の意識上への出現を阻んでいるので、そうした事情が検閲機能を果たしている。第三に、フロイトの超自我は無意識的心性を保有しているが、フロイトはその超自我に検閲機能を持たせている。この超自我を私の情動制御理論で理解すると、それは自責回路(処罰的対象→理想的自己)に該当するが、この自責回路は不快−防衛系に属するので、フロイトと同様、無意識的心性である。したがって、自責回路が活性化されるような精神力動が生ずれば、それはフロイトのいう検閲と同じ機能を発揮する場合がある。しかし、自責回路はたくさん存在する神経伝達経路の中のひとつに過ぎないので、いつも自責回路が活性化されるわけではなく、そういう意味では検閲機能が常時存在するわけではない。
 フロイトの言うように、意識は研究対象として捉えがたい性質を保有している。意識とは直観そのものであり、その直観を捉える時には、もはやそれは直観ではなく、自我意識である。しかし意識は前意識に存在する多くの精神内容を無化(主客融合)してきたし、それらをさらに無化する機能を持っている。そのいつでも意識化可能な前意識の領域はたいへん広いものである。つまり、知覚系をはじめとして、情動排除型自我意識、生活の形、情操型自我意識、それに不快−制御系などが存在する。しかも、これらはいつでも意識化可能であるが、意識そのものは暗闇を照らす懐中電灯ぐらいの力しか持っていないので、前意識に存在するすべての精神内容を一度に照らすことはできない。つまり、意識はいずれかひとつのものを無化(主客融合)する機能しか有していない。そうした事情のあるところへ、時々、意識下にある無意識内容が、前意識に存在する精神内容と連動して機能する。たとえば、意識が生活の形に関与している時に、無意識に存在する不快−防衛系の処罰的対象が情動排除型自我意識を刺激する。すると、すぐに意識はそれに気づき、生活の形から防衛型自我意識に関心を移す。その瞬間、我々は恐怖というものを体験する。ところが、この恐怖は前意識に存在する他の内容、たとえば情操型自我意識や不快−制御系と馴染まない。すると、今度はこれらの内容が意識に対して自分達を照らすように催促する。意識は再びそれに従って照らす対象を変えるので、その結果、恐怖はなくなり、いつもの健康な精神状態を取り戻す。
 このように、無意識がいちいち検閲して意識に上らせるかどうかを決定するのではなく、ある無意識内容がある前意識内容を刺激することによって、我々の異常心理や病的体験が意識に出現する。もしフロイトの言うように、無意識に検閲する機能があれば、我々の精神状態の最も深刻な幻覚や妄想が、なぜ意識に上ってくるのか、説明できなくなってしまう。たとえ残虐な殺意がこみ上げてきても、そうした精神内容はすでに獲得されている不快−制御系や情操型自我意識によって却下されてしまうから、再びそれは無意識の世界に戻っていく。もしそうした不快な感情や連想が湧いてきて、日常生活に支障をきたすということであれば、その方法として不快−制御系を強化し、時々意識を突いて出てくる不快−防衛系をひとつずつ退治していく必要がある。それが精神分析の言う徹底操作である。そしてそれが実現すれば、その結果、精神症状は消失し、情動系に関する無意識は縮んでくる。理想的には、不快−防衛系を根絶やしにしてしまうことであるが、それはそう簡単なわけにはいかない。不快−防衛系が縮んでくれば、感情転移は消失するし、治療者の抱く逆転移もまた広大な海から水溜りに変化してくる。以上、フロイトの局所論と私の新局所論について対比しながら紹介したが、はたして読者はどちらの考えを支持するだろうか?


                     フロイト修正論

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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