無意識の意識化

 精神分析とは何ですか?という問いに対して、よく「無意識の意識化」であると答えるのを耳にする。この答え方は、たいへん美しく、高尚な言い回しのような印象を与える。しかし、そんなに難しい答えが出てくるわけではない。つまり、「気づかない(気づかなかった)ことに気づく」というほどの意味である。むろん、何となく度忘れしていたことを思い出すという程度のものではない。難易度から言うと、生活のノウハウに関する課題から、自分の生き方の癖(人格傾向)を経て、日常的に被るストレスによる苦しみ(葛藤の形成)へと続く。言い換えると、生活のノウハウに関する苦しみから、いつも決まった対人関係のもつれに嵌ってしまう苦しみを経て、ほとんど何も手につかないほどの苦しみに発展するレベルまで続く。その時、もし「苦しいから、何とかしたい」と思うならば、本格的に「無意識の意識化」をテーマにすることになる。苦しみの理由に気づくことによって苦しみから解放されることが、「無意識の意識化」だからである。

 このような諸事情を解決するためには、自ら治療を受けてみることが一番よい方法である。この場合の治療とは、当サイトで紹介している「精神分析的根治療法」の中に掲載した「様々な精神科治療の専門性ランキング」の中の、いずれかの治療である。しかし、現在、私の外来にやってくる患者の多くは、そのような「無意識の意識化」を求めてはいない。今、困っている何らかの症状に対して、それを鎮め、解消するような薬剤を望む人の方が圧倒的に多い。患者が訴えるつらさの理由は、患者の方に何か問題があるというよりも、むしろ環境からのストレスが大きくて、それに挫けそうになってしまっているので、できれば薬でそのつらさを抑えたいと望んでいる場合が多い。つまり、自分は犠牲者だから、救って欲しいという姿勢である。むろん、私はそうした患者の訴えに耳を傾けている。しかし、自分の苦しみを自分の感じ方や考え方の課題として捉えようとする患者はあまりいない。だから、たとえ薬の力でその時は一時的に助かっても、いずれ再び同じような課題が再燃してくるだろう。それはだいたい見当のつく話であるが、私の方から先走ったことは言わないことにしている。そんなことを言っても、うるさがられるだけだからである。

 もし「無意識の意識化」に挑戦してみようと思うならば、その最も良い方法は精神分析(教育分析)を受けてみることである。たとえば、毎日分析(50〜60分)を半年から一年ほど受けると、治療者のちょっとした言動に激しく反応する自分が出現する。自分の意思とは関係なく、泣いたり、怒ったりする自分が出現する。そうなってはじめて、なぜそのような思いになるのか、真剣に考え始める。その時には、治療者に感情転移が生じていて、それを解消する方向へ動くことができれば、「無意識の意識化」が実現し、治療は成功する。うまくいけば、むろん、自分の取り組む姿勢が良かったということになるが、それと同時に、「無意識の意識化」を可能にしてくれた治療者の能力も評価されるだろう。明らかに、治療者は適切な環境、つまり(不快ー防衛系を抑え、)不快ー制御系を成長させるための土壌を提供してくれている。時には共感で、また、ある時には反撃的な介入で、働き掛けてくれたことが功を奏した。

 かつて、私もまたアメリカで教育分析を受けた。私の場合、300時間から400時間ぐらい受けている。特に強い葛藤はなかったが、多少の人格傾向は有していたので、それが示す感じ方や考え方のルーツを辿ることによって、ようやくその当時の不快な体験の吟味が可能になったことを憶えている。もし葛藤があれば、400〜600時間は必要である。(葛藤や人格の精神分析については、当サイトの「情動と精神分析」を参照。)また、病的状態の根治療法になると、600〜1200時間、さらに精神病状態の根治療法では1200時間を越える。むろん、それでも、うまくいかない場合もあるが、その理由は治療者の治療能力というよりも、治療を支える環境が(予想に反して)治療とは逆方向、つまり治療を破壊する方向へ動き、折角の治療を中断に追い込んでしまうことにある。当然ながら、患者の病態水準が重くなると、治療時間も多くなり、高い治療能力が求められる。しかも、それだけではなく、治療関係を支える環境が整えられなければならない。それゆえ、病的状態や精神病の患者に、「無意識の意識化」を提供することはたいへん難儀な作業である。最近では、そのような力の入る治療を行なう治療者はいなくなってしまったように感ずる。

 今日、盛んに行なわれている治療は、たとえ精神分析であっても、その対象(いわゆる適応疾患群)が比較的、軽症な精神病理を持つ患者の治療であろうと思われる。精神分析的精神療法や精神分析的心理療法であれば、(治療の終結まで)50時間から100時間ぐらいの治療時間で、おそらく終結するだろう。まして、認知行動療法や森田療法などでは、(これらは簡便法なので、)50時間さえ必要ではないと思う。自分の親しい人と毎日顔を合わせ、他愛もない会話をし続けたとしても、長く付き合っていると、たいへんな時間を掛けていることになる。それを思えば、100時間や200時間の治療時間は微々たるものである。むろん、その間においても、「無意識の意識化」は生じている。冒頭で述べたように、そんな大袈裟な気づきでなくても、「どうして、こんなことに気づかなかったのだろうか」と思える類のものは、いつでも生じている。しかし、最近は、そのような軽いタッチの治療を流行らせる方向へ(患者も治療者も)動いてきているのは事実である。だから、今までのように「無意識の意識化」と叫ばなくなったと思う。やはり、力の入った治療にこそ、「無意識の意識化」という言葉が相応しい。

 

 *「精神分析的根治療法:様々な精神科治療の専門性ランキング」を参照

 

                   心的現象に関する概念(2)

お申し込みはこちら

精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

お気軽にお問合せください

img33739.gif
linkbanner web search japan.gif