意識のハード・プロブレム

 上記のようなメカニズムを理解していれば、(特に「動機の発生メカニズム」を理解していれば、)「科学は客観、意識は主観」という区別にはならない。それでは、なぜそのような区別を容認し続けたのか?それは、いわゆる認知科学と呼ばれる広大な研究領域のあり方に原因がある。つまり、いわゆる認知科学は、情動を除け者にしてしまった。主観や客観は「⇔知覚系⇔思考系⇔情動系⇔」の三つ巴の関係によって作られるのだが、その中から情動系だけを抜いた。その結果、ほんの一部の心的現象(知覚系⇔思考系)しか説明できなくなったが、その状態を、認知科学者は「科学は客観」であると豪語した。知覚系「自・他」モードと、思考系「有・無」モードは、数的処理が可能である。これに対して、情動系だけが主観を形成するわけではないが、やはり主観の主人公は「快・不快」モードである。情動系「快・不快」モードは数的処理が困難である。このような事情があるから、たとえそれに気づいていても、情動系をどのように処理したらよいか、わからず、ひたすら「意識とは主観である」と言い続けてきた。だからこそ、いま私は(繰り返し)情動認知の重要性について主張し続けている。

 

                            意識研究(2)

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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