わかりやすい情動認知学

1.認知学と情動認知学の違い

 認知学は「知覚・認知(概念)・運動」に関する研究であり、情動認知学は「情動(快不快)・意識・言語・人格・精神」に関する研究である。

 

2.「快・不快」とは何か?

 快・不快は大脳辺縁系に存在する3系の情動脳から作られる。3系とは動因系、嫌悪系、報酬系である。動因系は不快を、嫌悪系も不快を、報酬系は快を作る。

 

3.情動特性

 3系が作り出す快・不快は複数存在する。その区別を情動特性と呼ぶ。情動特性は、情動(快・不快)の性質とその動態(力動)から成り立っている。情動(快・不快)の性質では、動因系から2種類の不快(脆弱性と攻撃性)、嫌悪系からも2種類の不快(支配・被支配と、破壊)、報酬系から3種類の快(信頼または自信、反撃と謝罪)が作られる。

 

4.情動系(神経回路機能網)

 7種類の情動特性を持つ7個の自己表象と7個の対象表象は、14個の情動因子を形成し、それらが情動系(神経回路機能網)を構成する。

 

5.認知とメタ認知

 情動(快・不快)の性質を「生理的興奮」に還元することはできないが、情動系として機能する情動(快・不快)の動態(力動)を認知的解釈とメタ認知(認識の獲得)に区別することができる。その場合、認知的解釈を示す情動の動態(力動)を「不快−防衛系」と呼び、メタ認知(認識の獲得)を示す情動の動態(力動)を「不快−制御系」と呼ぶ。不快−制御系が成立するためには、前頭前野から報酬系、つまり新しい脳から古い脳へのアクセスが必要である。

 

6.快・不快が意識を生む

 不快−防衛系が意識を発生させる。不快−防衛系では、不快を増幅させるか、それとも不快を解消させるか)を選択しなければならない。その際に「選ぶための迂回路を進む船頭」が活躍する。

 

7.快・不快が言語を生む

 不快−制御系が言語を発生させる。たとえ不快−防衛系によって意識が発生しても、それだけでは言語は発生しない。つまり、動物脳に基づく異常心理だけでは言語は発生しない。ヒト固有の正常心理を作り出すためには、不快−制御系による不快の快変換が必要である。

 

8.快・不快が人格を作る

 不快−防衛系によって異常心理が発生し、不快−制御系によって正常心理が発生する。そして、これらが混ざり合って、様々な人格(7段階の人格構造)が生ずる。フロイトの心的装置(構造論や局所論)を用いた、いわゆる人格構造論では、精神病の根治療法を定式化することはできないばかりか、それを可能にする人工精神(AM)の創発もできない。つまり、フロイトの理論を数量化することはできない。これに対して、情動認知学に基づく精神分析統合理論を用いれば、それらが可能になる。

 

9.快・不快の性質と動きを数量化する

 『次世代の精神分析統合理論』を用いれば、快・不快の性質とその動きを数量化することができると考える。我々は、生命現象の発生の順、つまり「情動(快・不快)→意識→言語→人格」の順に数量化することはできないが、言語を始点として、「言語→情動(快・不快)→人格→意識」という順、つまり人工精神(AM)を創発する順を用いれば、それらをすべて数量化することが可能であると考える。

 

10.人工知能(AI)の限界を乗り越える

 はたして、人工知能(AI)は道具なのか?その人工知能(AI)には限界があるのか?人工知能(AI)に携わる研究者は、当然「ノー」と言うだろう。しかし、きっぱりと否定するためには、それなりのビジョンを示さなければならない。おそらく、誰もが人工知能(AI)の限界を否定しつつも、新たなビジョンを示せと言われると、曖昧な表現にならざるを得ないだろう。それを鮮明にするためにこそ、人工精神(AM)の創発に関する輪郭が必要である。

 

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「構成主義的情動理論」と「次世代の精神分析統合理論」

 書かれている情動の内容が新鮮だと感ずる書籍が少ない中、「なるほど、これは面白い!」と思ったので、私の書籍(一連の精神分析統合理論)とは「似て非なる関係」にある書籍だが、これから紹介する書籍と私の書籍との間の(共通点?と)対立点をわかりやすく紹介してみたい。

 紹介する書籍のタイトルは「情動はこうしてつくられる:脳の隠れた働きと構成主義的情動理論」(リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳)である。タイトルに示されているように、この書籍は、情動の構成に関する(革新的な?)主張を行なっているようだ。構成主義的情動理論の中核を成す用語は「情動概念」である。この情動概念は意識の存在を前提として構築される。それでは、何が意識を通して情動概念になるか?それは、むろん、情動である。それでは、その元にある情動とは何か?それは、知覚である。ここで示されている情動概念と、私が主張する情動認知とは似たり寄ったりだと思ったが、最後はそうではなかった。構成主義的情動理論は徹底した情動本質否定論である。しかし、そうなると、当然「情動の本質は、快・不快ではないのか?」と尋ねたくなる。この書籍の中で述べられている言葉によると、快・不快は「内受容」と呼ばれる体内の継続的なプロセスに由来する。内心、私は「知覚に意識を介在させれば、知覚認知(知覚概念)が形成され、情動に意識を介在させれば、情動認知(情動概念)が形成される。その際の知覚は外界と身体に由来し、その際の情動は情動脳に(先天的に)存在する快・不快に由来する」とすれば、すっきりしてわかりやすいのだが・・・と思った。

 構成主義的情動理論では、情動の構築に、デフォルトモードネットワークと呼ばれる「内受容ネットワーク」と「コントロールネットワーク」が必要である。他方、一連の精神分析統合理論では、(14個の)情動因子の形成に、「情動系神経回路機能網(情動制御システム)」と「脳内神経回路機能網(⇔知覚系⇔思考系⇔情動系)、および意識の発生メカニズム」が必要である。しかし、構成主義的情動理論では、情動脳や情動系神経回路機能網など認めない。そうなると、疑問や質問が尽きない。そこで、今回は二つ三つ疑問点を挙げておくことにする。第一点は、構成主義的情動理論が用いている現在の手法で、はたして本当に情動の本質を否定し尽くすことができるのだろうかという疑問である。第二点は、(情動は他の脳機能に様々な影響をもたらすので、)もし構成主義的情動理論を用いれば、情動(認知)から意識が、情動認知と意識から言語が、情動認知と言語(情動認識)から人格が、さらに様々な人格構造から精神現象全体が発生するという秩序の基盤を揺らがしかねない。仮に構成主義的情動理論を採用したならば、この秩序はどのように修正されるのかという疑問が生ずる。特に、意識の発生メカニズムをどのように解くのか?第三点は、(この構成主義的情動理論を用いて、)人間の精神の正常と異常を区別した、機能性精神疾患の根治療法を行なうことができるのだろうかという疑問である。このような疑問が次から次へと出てくるので、はたしてワンサイド(本質論を否定し、構成論だけ)で押し切ってよいものかどうか、気になるところである。


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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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