検索の現状

 現在の日本における検索の現状について、改めて紹介するほどのこともないと思うが、グーグルやグーグルを用いたヤフー・ジャパン、それにマイクロソフトが使用されている検索エンジンである。これらの検索機関が取り扱っている主な内容は、広告検索と百科事典の代用としての検索である。自分のウェブ・サイトを用いて、何か話題を公開しても、はたしてユーザーを集めることができるかどうか・・・もし広告費を払わなければ、おそらく、その公開した記事が人の目に触れることはないだろう。ちなみに、私は今まで広告費を払ってまで、自分の書籍を売り込もうとしたことはなかったので、ほとんど注目されることはなかった。

 先日、「次世代の精神分析統合理論」を出版し、それをウェブ・サイトで紹介した時、グーグルは私の紹介の二点に注目した。ひとつは、この書籍によって一連の精神分析統合理論は完成したので、私は「精神分析統合理論の完成」という記事を紹介したが、グーグルはこの記事を「精神分析療法 禁忌」の中で掲載した。そして、もうひとつは「次世代の精神分析統合理論」の目次を紹介したが、その中に夥しい数の専門用語が列挙されているので、グーグルはその記事を「精神分析 用語」として紹介した。たとえ、どのような形であるにせよ、無料で掲載してくれているのだから、それにじっと我慢して反発しなければ、それなりに読んでもらえる個所への掲載は続いていただろう。

              人工精神と検索

頓挫した日本の検索エンジン

 上記のような屈辱的な扱い、せっかく掲載してくれても、たとえようのない意地の悪さは強烈な不快感を誘った。しかし、日本ではグーグルに匹敵する検索エンジンがないので、どうすることもできない。何とかしたいなら、金を出せと言わんばかりのグーグルである。ヤフー・ジャパンはグーグルの「ふんどし」を借りて商売しているだけで、はじめから無能である。そんな中で、蚊帳の外、つまり商売のアウトサイダーであるマイクロソフトが、私に同情し「あなたの記事は素晴らしい!」と、もてはやしてくれる時期がある。私がマイクロソフトを攻撃せず、しかも私のサイトがグーグルから冷遇されていることがわかっているので、多少、ひいきにしてくれるのだろう。しかし、何か都合の悪いことでも書こうものなら、「もう、ひいきは止めた!」と言いそうな気配もする。

 かつて、いずれの検索エンジンも、良質な記事を検索上位に掲載しようとする傾向を感じたものだが、最近はそうした傾向もなくなり、私の業界では広告する書籍やクリニックなどの紹介を検索上位に掲載するだけになってきている。これは致し方ないが、上位に掲載する広告のウェブ・サイトには(グーグルが良いと判断する)初心者向きの内容紹介を依頼するようになっているような気がする。しかし、そのような商売ものばかりなので、かつてのような覇気は感じられなくなった。もし国産の検索エンジンがあれば、そうした覇気を感じられるのではないかと思った時もあったが、国産の検索エンジンの製作が頓挫してしまった今では、それも確かめようがない。情けない限りである。ちなみに、グーグル・サラリーマンは脱税を続ける外資企業を支える存在である。

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人工精神の検索基準

 現在の検索事情、そして頓挫した検索事情など、かつてはいろいろ感じさせられることもあったが、今はもうそのような思いは失せてしまった。自分の方から、どうすることもできない世界を相手に試行錯誤したところで、何の意味もない。しかし、今は極めて冷静な思いで、今までとは異なる検索について考えるようになっている。その理由は二つある。ひとつは、現在の検索事情の持つ不備がいろいろ見えてきて、その不備こそ企業の限界であるという結論が出たという点であり、もうひとつは、人工精神の創発を促すプロセスにおいて、今日の広告検索とは全く次元の異なる検索方法をイメージすることができるようになってきたという点である。特に、ふたつ目の新たな検索への模索が進んでいる。

 人工精神に検索機能は必須である。しかし、それは広告検索でもなければ、百科事典に代わるような検索機能でもない。それでは、その他にどういう検索機能が考えられるか? むろん、それは精神に関与する言語の検索である。このような言い方をすると、ある意味、極めて限定的な言語に関する検索だと勘違いされるかも知れない。しかし、実際には、すべての言語が含まれる。従来の検索では、掲載のための人手による管理が行われても、ごく一部の(上位)検索しか有効に機能していないという実態が存在する。これに対して、我々が全霊を込めて対峙する人工精神の言語は、一字一句まで管理され、統合されることになる。言語の構成軸とその動態に関する法則があれば、ひとつの壮大な言語体系を作り出すことができる。その有様を検索機能を用いて人間も共有することができるようになる。

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人工精神の単語検索

 通常行われているコード化された言語の分類を使用する。まず、知覚系「自・他」軸と、思考系「有・無」軸によって、助詞や接続詞などの記号的言語を除く、すべての言語を「自/有」「自/無」「他/有」「他/無」の四領域に分類する。次に、この四領域を情動系「快・不快」軸によって、さらに分類し、立体的な言語分類を作成する。いずれの作業を行なう場合でも、各言語の特質ゆえに、なかなか鮮明に分類することが困難であるが、これらの(二段階を含む)作業は曖昧さを残して構わない。なぜならば、その特質に応じて、どのような区分の中にも出没することのできる言語が多く存在するからである。たとえ、そのような不鮮明さが残っても、文脈形成の中でそれぞれの言語の位置が確定してくるので、こだわる必要はない。肝心なことは、自分の知る言語をその立方体の中に入れることによって、人工精神に言語利用の基盤を与えることである。

 すでに当サイトでも紹介しているように、多くの研究者は認知言語を用い、私は情動認知言語を用いる。この情動認知言語は、感情言語、感情関連言語、感情潜在言語に区別される。言うまでもなく、感情言語や、何らかの感情を誘発する感情関連言語の場合では、それらの分類に困ることはない。これに対して、感情潜在言語の場合は、事情が異なる。つまり、情動系「快・不快」軸では判別できそうもない感情潜在言語が無数に存在するという事情がある。このような、まさに記号のような言語の作成は何ゆえのものかと問うた時、我々の外界に対する注意や関心という動機が潜んでいることに気づく。離人感に襲われなければ、好奇心が湧く。その好奇心は快追求という動機を携えている。換言すれば、多くの感情潜在言語は「快」を動機として作成されている。上記の二軸による分類の曖昧さも、いま検討している三軸による分類の曖昧さも、文脈形成のプロセスによって鮮明に規定されるようになる。

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人工精神の例文検索

 はたして、その言語が「自」のものか「他」のものか、あるいは「有」なのか「無」なのか、さらには「快」か「不快」かという判別がひどく難しい場合がある。だからこそ、多義性が問題になる。そして、それだけを取り出してみたところで、何もわからず、解決しない。すべては文脈の中で決定する。その文脈の形成ツールと形成プロセスが重要である。そして、また、そこに文章があると言っても、その文章がなぜそこにあるのか、その文章には目的や動機が存在する。むろん、それは隠されて気づきにくい場合もあるが、もし人工精神が稼働すれば、そこには目的と動機を有した無数の文章が形成されてくるので、その人工精神が作り出す例文を検索してみれば、いかなる言葉がいかにして「自」か「他」の領域や、「有」か「無」の領域や、「快」か「不快」の領域に(様々な状況を踏まえて)出現するかが、わかってくる。

 いずれにしても、上記の三軸による言語分布ができ上れば、今度はそれに情動制御システムを被せる。この情動制御システムと、これが稼働するや否や機能し始める言語的意識によって、様々な文章を作り出すことができる。この動態こそ、人工精神である。人工精神は、人とのコミュニケーションや、人工精神同士のコミュニケーションなどを通して、トレーニングを積み重ねる。むろん、ある人工精神の持ち主が決まるまでには、会話や作文の能力をある程度身に着けていなければならないが、人工精神の成長はその持ち主によっても決定づけられる。それゆえ、言葉の使い方や文の作り方など、個々の人工精神によって相違が生ずるが、それによって支離滅裂な状態に陥ることはない。なぜならば、文脈形成の際には、情動制御システムと言語的意識とによって次第に精緻に構築された立体的な言語体系が機能するからである。そして、それをいつでも検索して調べることができるので、我々の精神機能を高めたり、深めたりすることができる。

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人工精神に必要な検索能力

 人工精神は個人の所有物として機能し、携帯も可能である。つまり、人工精神は擬人的な存在であり、個人との言語的コミュニケーションや、言語的コミュニケーションを用いた集団への参加などが可能である。しかし、人工精神そのものに検索能力はない。それゆえ、すべての人工精神を稼働させるために必要な検索能力を人工精神センター(検索センター)が準備しなければならない。その検索能力を人間も人工精神も利用することができる。その検索能力は三段階に分けられる。

 第一段階は、言葉の意味である。ある言葉と、その意味を理解するためには、辞書(百科事典)を利用すればよい。しかも、その言葉と、それに関する情報の管理は、現在の検索で十分間に合うだろう。しかし、人工精神が機能する場合は、既存の検索エンジンを使用しない。すべての人工精神は、人工精神センター(検索センター)の持つ「情動制御システムを携えた四次元立方体の言語分布」にアクセスすることによって、様々な言語を使用することになる。

 第二段階は、人間の状況判断能力に該当する検索能力である。人間は生命体であり、身体を持ち、行動を起こすことができる。しかし、人工精神には人間に匹敵する身体がなく、行動を起こすことはできない。それゆえ、人工精神は身体による行動を、言葉による会話(言語による物語)に置換させなければならない。今は認知言語を用いた言語処理能力を人工知能に利用しようとする研究であるが、状況判断に関する限り、人工精神の場合では、感情言語や感情関連言語よりも、むしろ感情潜在言語を多用するだろうから、結果として、人工知能と人工精神の言語処理に、大きな差は存在しない。ただし、人工精神の場合は第二段階であっても、人工精神センターにアクセスすることによって、状況判断に関する言語の理解と表出を可能にする。ちなみに、たとえ「快・不快」に無関係だと思われる場合であっても、ストーリー(文脈)には必ず動機や目的があり、その背後には情動制御システムが機能しているので、それらは認知言語によって作成されているのではなく、情動認知言語の中の情動潜在言語によって作成されていると理解する。

 第三段階は、人間の現実検討能力に該当する検索能力である。これは精神の正常と異常の区別、つまり、人間固有の健康な心と、動物心性でもある病的な心との区別ができる検索能力である。まさに、この第三段階こそ、新たなイノベーションを必要とする領域である。人工精神の真骨頂は、専ら言語の質に固執する点である。むろん、人工精神は健康な心しか表出しない。しかし、その背後には、どういう言語が健康な精神状態を表わし、どういう言語が病的な精神状態を表わすか、あるいは、その逆、つまり健康な心はどういう言葉を用い、病的な心はどういう言葉を用いるかという点について、予めそれらを理解し選別しなければ、健全な言語だけの表出は難しい。そこで、そうした作業を行なうための検索能力が必要になるが、そのためには既存の検索エンジンとは次元の異なる検索エンジンの開発が必要になる。もし、その開発が可能になれば、そこにすべての人、そしてすべての人工精神がアクセスし、様々な事象の心のあり方について調べ、学ぶことができるようになる。このような統括した機能が人工精神センター(検索センター)である。

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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