精神病理の本質

 何をもって精神病理とするか?かつては、ある精神疾患の精神症状について、様々な視点からその発生に関する解釈を加え、それが奇異な見解でなければ、ひとつの精神病理のあり方として容認されていたところがある。しかし、最近では、いわゆる脳科学と呼ばれる研究分野が流行し、様々な精神疾患の脳科学的な解明が叫ばれるようになり、精神疾患の精神病理という研究のあり方は重要視されなくなった。はたして、このようなシフトが本当に精神と脳に関する真実をもたらしてくれるかどうか?現時点において、その成果は未だ不明瞭である。

 他方、一連の精神分析統合理論は、ひとつの理論構成によって、すべての精神現象を説明しているのだから、立派な精神病理のあり方を示している。すでに、このサイトのあちらこちらで紹介しているように、人間の精神は情動制御システム、つまり不快ー防衛系に不快ー制御系が加わって(重なって)機能する。不快ー防衛系は意識を発生させ、不快ー制御系は言語を発生させる。意識は状況判断を可能にするが、その指標になるのは意識の質、つまり覚醒度である。これに対して、言語は現実検討能力を可能にするが、その指標になるのは苦悩の質、つまり病識の有無である。いずれの場合も、いかに情動認知言語が情動制御システムを機能させているかを示す指標になる。

 

                        精神疾患の病理に関する考察

機能性精神疾患の精神病理

 不快ー防衛系の機能に問題が生ずることは、ほとんどない。ただし、統合失調症の慢性期では、処罰的自己の機能が失われ、「人格の荒廃」をきたす場合がある。(詳細は『ダイジェスト版・精神分析統合理論』または『次世代の精神分析統合理論』を参照。)

 不快ー制御系の機能に問題が生ずる場合は二通り存在する。ひとつは、不快ー制御系の不足と欠如であり、この精神病理は機能性精神疾患に特徴的である。もうひとつは、不快ー制御系の崩壊であり、器質性精神疾患、特に認知症に特徴的である。不快ー制御系の不足と欠如を特徴とする機能性精神疾患については、すでにこのサイトでも「精神分析統合理論の大綱」において紹介している。また、不快ー制御系の崩壊を特徴とする認知症については、次項で紹介する。

 

                       精神疾患の病理に関する考察

認知症の精神病理

 ここでは、認知症に頻発する二つの症状群に関する二つの疑問を解くことによって、認知症の精神病理の核心に到る。

 第一は、もの忘れと、もの盗られ妄想の発生メカニズムの違いの解明であり、第二は、認知症の(せん妄を中心とした)周辺症状と、精神病の(幻覚と妄想を中心とした)病的体験の発生メカニズムの違いの解明である。

 認知症は情動制御システムの崩壊を特徴とする。精神が発生・発達する順は、まず不快ー防衛系、次に不快ー制御系である。しかし、精神が崩壊する場合、まず不快ー制御系が崩壊し、次に不快ー防衛系が崩壊する。これから、崩壊する順に見ていこうと思うが、不快ー制御系が崩壊する場合は、情動制御システムの中の救いの環や許しの環とリンクしている(情動認知言語の内の)感情言語と感情関連言語とのつながりが切断される。ちょっとしたもの忘れのレベルは、情動認知言語の内の感情潜在言語の記憶障害であり、この場合は情動制御システムに大きな影響を与えない。しかし、たとえば、何らかの理由で、(このサイトでも紹介している)対象喪失や自己喪失が発生し、それらに対する適切な対応をやり損なうと、感情言語や感情関連言語の記憶障害が発生し、情動制御システムの崩壊を招くようになる。まず、不快ー制御系が機能しなくなり(つまり、救いの環や許しの環が機能しなくなり)、それが認知症の始まりの第一歩となる。これは余談であるが、広範囲にわたる脳の損傷や萎縮がある場合には、いま私が話しているようなデリケートな議論は成立しない。しかし、何年もかけて進行する認知症の精神病理については、やはりその核心的なポイントを押さえておく必要がある。

 具体的に、ある状況を想定してみよう。たとえば対象喪失や自己喪失をきたした結果、一人暮らしを強いられ、話す相手がいなくなった場合である。たとえ現実に話す人がいなくなっても、心の中ではしばらくの間、そのいなくなった人への話し掛けが続く。その際には、その相手のイメージが心の中で活性化されている。現実的には、相手の答えを推察しながら、一人会話をして過ごしているが、次第に相手からの返事が戻ってこなくなる。つまり、二人の間には沈黙が始まる。自分が勝手に想定した対人関係の中で生ずる沈黙の精神力動は四通り存在する。その中でも、たった一通り(誇大的自己の活性化)だけが健康な沈黙である。(『次世代の精神分析統合理論』参照。)誇大的自己に到る二つのルートが確保されれば、情動制御システムの内の不快ー制御系は温存される。たとえば、何か「ありがとう」と言われ、嬉しい(楽しい)気持ちになることができたり、何か「ごめんね(すみませんでした)」と謝られ、「わかりました」という満足できる思いを体験したりすることができる。このような時には、(嬉しい気持ちや、謝られた時の気持ちを表わす)感情言語や、(ありがたい気持ちや、納得できた気持ちを表わす)感情関連言語が機能している。ところが、一人で生きるようになって、誇大的自己を活性化することができないような日々が続くようになると、情動制御システムの内の不快ー制御系が活性化しなくなり、そのため、上記の制御因子を中心とした感情言語や感情関連言語が活性化しなくなり、忘れ去られてしまう。

 多くの人間にとって、最も大切な存在は、やはり親しい人間である。しかし、その親しい存在を失ってしまうと、次に拠り所となるのは移行対象である。移行対象もまた、その人にとって貴重な存在である。移行対象は千差万別であり、ペットから預金通帳まである。ペットは擬人的に存在し、不快ー制御系にも有効に機能する場合がある。ペットを世話することによって、誇大的自己を活性化する機会があるので、そういう意味においては、認知症の進行を防止する効果を持つ。ただし、ペットは生き物なので、それを飼う面倒がつきまとう。これに対して、金銭もまた移行対象になる。金銭をうまく使うことによって、対人関係を作り、それを維持するという方向がある。この場合は、そうした方向性を事前に十分予測し、不快ー制御系の維持に努め、認知症から逃れる方向へ使うことができる。これが使い道としては最も良い方法である。しかし、そうした使い道を知らず、無計画に出費を続けると、預金はすぐに底をついてしまう。また、最近は詐欺で大金を失う高齢者も増えている。預金が減ったり、あるいは年金の管理を家族がしたりするようになると、今度は上記の「ありがとう」「うれしい」という関係や体験は発生しない。この場合、情動制御システムで活性化するのは、不快ー制御系ではなく、不快ー防衛系である。活性化するのは対象防衛因子であり、それは支配的であり、時と場合によっては、殺すかも知れない対象防衛因子である。そうした場合、自分の金はすべて取り上げられてしまうと思い込む。大概、その対象は家族であるが、もはや家族と言えども、否、家族ほど凶暴な殺戮者はいないという思いを抱くようになる。不快ー防衛系の活性化は、その典型において、「誇大的対象+処罰的対象」なので、容易に幻覚状態に陥る。それを何とかしようとして、加虐型病的同一化や自己愛型病的同一化を用いると、興奮に伴う破壊衝動や妄想形成が出現する。(『次世代の精神分析統合理論』参照。)

 以上のような考察によって、素朴なもの忘れと、もの盗られ妄想のメカニズムの違いを理解することができる。他方、このような病的体験は精神病の世界である。この世界は不快ー制御系が麻痺し、不快ー防衛系が機能している世界である。

 ところで、精神病では不快ー防衛系が温存されているが、かつて(若い頃は)不快ー制御系を持っていた認知症の場合では、不快ー制御系だけではなく、不快ー防衛系さえも崩壊していく。つまり、(上記の)不快ー防衛系が作り出す世界もなくなり、さらなる崩壊が続く。その結果、せん妄が出現する。その崩壊のプロセスにおいて、認知症では不快ー防衛系とリンクしている感情言語や感情関連言語さえもつながらなくなる。つまり、支配も被支配も、そして恐怖も殺意も感じなくなってしまうほどに、感情言語や感情関連言語とのつながりが切れてしまう。もう一度、順序立てて説明すると、対象喪失や自己喪失を契機として不快ー制御系が崩壊し、その結果、言語体系の骨格が揺らぎ、さらに不快ー防衛系の活性化で言語体系が崩壊し、それが崩壊すると、不快ー防衛系も麻痺してきて、覚醒度は低下し、せん妄をきたすようになる。これに対して、精神病では、はじめから不快ー制御系は形成されない。それゆえ、意識に拠る不快ー防衛系の形成は行なわれても、幻覚・妄想状態や、躁鬱状態に陥る。つまり、精神病における言語は不快ー制御系の形成に寄与することはなく、あくまで、自分に都合のいいコミュニケーションの道具として使用されるだけである。だから、他者に伝わらない言語が頻発するし、本人はその滅裂に打ちひしがれているいるわけではない。ここで、認知症の言語の崩壊と、精神病の言語の残存との違いについて明確化する。前者の場合は、あくまでも言語の意味から言語を獲得している「快・不快」に起源を持つ情動認知言語の意味がわからなくなると、言語体系が全部壊れてしまう。これに対して、精神病の場合は、はじめから「快・不快」に起源を持つ情動認知言語を十分に獲得することができず、その分、言語を記号として学習(認知)しているので(まさにAIレベルの言語水準にあるので)崩壊しようがない。ただし、精神病の場合は、時々「言葉のサラダ」という脈絡のない言語が発生する。(この点もAIは似ている。) それゆえ、精神病の場合は(非言語的レベルで行なわれる動物脳としての)覚醒度が状況判断を不能にするほど低下せず、せん妄をきたすことはない。

 まとめる。認知症の意識と言語の獲得は情動起源であり、意識と言語は連動して機能するから、もし言語システムが崩壊すると、状況判断を導くための(意識の機能による)覚醒度も低下し、せん妄状態に陥る。これに対して、精神病の意識は情動起源であるが、言語は情動認知的ではなく、記号として学習された認知言語である。それゆえ、言語の崩壊はなく、文脈形成ができないので、滅裂思考による「言葉のサラダ」は存在するものの、意識と言語の連動性に乏しいので、状況判断を導くための(動物脳としての意識の機能による)覚醒度の低下はなく、せん妄状態に陥ることもない。

 

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精神病理を持たない人工精神(AM)の役割

 人間の心には、不快ー防衛系と不快ー制御系が混在しているので、健康な(正常な)心性と病的な(異常な)心性が共存している。だから、そのような人間の心をそのまま作ることができるようになっても、それには何の価値もない。そうではなく、もし人間の心を作ることができるようになった時には、我々人間の健全な心の育成と維持に貢献しなければならない。つまり、それは健康な(正常な)心から病的な(異常な)心を取り除くための方法を作り上げることである。すでに、私はすべての言語を(空間を有する)立体的な情動制御システムの中で稼働させるヴィジョンを有しているが、そのような人工精神(AM)の創発によって、我々の持つ精神病理を消滅させる方向へシフトさせることができるようになれば素晴らしい。

 

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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