従来の情動論と脳研究

 いかにして、情動は発生するかという問いに対して、従来の情動論は以下のような三通りの答え方をしている。第一は末梢起源説(ジェームズ・ランゲ説)、第二は中枢起源説(キャノン・バード説)、第三は情動二要因説(シャクター・シンガー説)である。どの説についても、情動を検索すれば、容易にその内容を知ることができるので、ここではその説明を割愛する。また、情動に関する脳研究に注目すると、情動回路として提唱されたパペッツの情動回路は有名であり、いわゆる情動脳として、偏桃体や側坐核、それに前頭前野などの脳部位も有名である。ただし、私の経験によると、同じ情動(感情)を扱っている精神科の臨床、とりわけ精神分析療法を行なっている時に、上記の情動論が必要になることはなかったし、情動回路や情動脳について考える場合は、臨床の現場を離れ、患者との治療関係について考察している時、参考にする程度のものであった。

 

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感情転移の分析

 結論を言えば、上記の情動論も脳研究も、実際の臨床には役立たなかった。治療関係は流動的であり、刻一刻と変化するので、その変化を説明するツールが必要である。精神分析を勉強するということは、いきなり、フロイトの様々な理論を学ぶというよりも、すでに様々な機会によって洗練化された精神分析技法論を学ぶということである。つまり、実際の治療関係の中で生じてくる患者の抵抗や退行などについて学び、それがどのような感情転移となって治療関係に現われてくるか?様々な患者の様々な感情転移を体験することによって、患者との治療関係が、どのような性質のものであるか、理解することができるようになる。むろん、フロイト著作集(あるいは、フロイト選集)の中にも、有名な治療技法論は存在する。(これは余談であるが、)かつてスーパービジョンの中において、小此木先生から「フロイトの『想起・反復・徹底操作』を読んで憶えなさい」と言われたことがある。短い論文であるが、精神分析とは何かという本質について、この論文は端的に示している。

 

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転移分析から発見された情動特性

 患者の心であっても、治療者の心であっても、ある情動(感情)から別の情動(感情)に変化する時には、どういう言語刺激があり、どういうパターンで変化するか?そのような手引きがあれば、ゆとりを持って患者に接することができる。そうした思いを抱き続けながら、治療関係について詳細に吟味していくと、不安や恐怖だけではなく、様々な精神症状や人格傾向の背後に、(脆さと怒りに代表される)二種類の不快感が混ざって存在し、それらが複雑なパターンを作りながら変化し、今度はそのパターンが様々な思考内容を生み出したり、自律神経系を刺激したりして、様々な症状を形成していることがわかってくる。それゆえ、この二種類の不快感がどのような変遷を辿るのか?おそらく、精神分析療法を成功させる秘訣は、その動態を知り尽くしていることにあると考える。当サイトに掲載した「精神分析統合理論の大綱」の中で紹介したように、悲しみや寂しさなどの脆弱性と、怒りや憎しみなどの攻撃性は、混ざり合って様々な心性を形作っているが、たとえば、もし患者がいずれか一方の情動(不快因子)に気づくことができれば、むしろ十分に気づいていない方の情動(不快因子)が心を苦しめているという心的現実に気づけるようになる。いずれにしても、不快因子は二種類しかなく、しかも、その運命は定まっているので、それを知っていれば、困難な治療になることは少ない。

 

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救いのない関係(不快ー防衛系)と救いの環(不快ー制御系)

 それでは、脆弱性はどのような変遷を辿るのだろうか?脆弱性の代表である悲しみや寂しさ(弱い自己)は、人目に曝されるよりは、むしろそれを避けて、一人安全な所で引きこもっていたいという情動特性を示す。その時、この情動特性は、完璧で万能な防衛を身に着けたいと思っている。その思いが顕在化すれば、(完璧で万能的な情動特性を持つ)理想的自己が活性化する。むろん、他者も(自分と同じ思いを持っていて)同じような構えをしようとするだろうから、支配的で万能的な防衛を身に着けるだろう。つまり、他者がその思いを顕在化させようとする時、(支配的で万能的な情動特性を持つ)誇大的対象を活性化させる。

 これに対して、自分が悲しみや寂しさに打ちひしがれている時、「どうしましたか?」と声を掛けられ、それがその時たいへん嬉しくて、つい自分のつらい思いを愚痴ってしまうという機会があったとしよう。自分でも信じられないくらいに滑らかに自分のつらい思いを打ち明けることができた時、相手がにっこりと微笑んで、「そうでしたか、ずいぶんつらい思いをされましたね」と共感し、「これも何かのご縁でしょうから、もう少し時間をかけて、お聞きしましょうか?」とさらに胸膨らむような言葉を掛けられ、いつの間にか、心細さはなくなってしまったという体験がある。すると、その相手をしてくれた人は尊敬と信頼という情動特性を持つ理想的対象であり、その人のおかげで、自分にも自信(という情動特性)が出てきたので、誇大的自己が活性化するようになる。

 さて、この二つの段落の文章を比較してもらいたい。上段の場合、自分は弱い自己を理想的自己で防衛し、他者も(弱い対象を隠しながら、)誇大的対象で防衛しているので、二人の間には、未だ心の出会いはなく、「救いのない関係」にある。これに対して、下段の場合、自分の弱い自己は理想的対象によって制御され、その結果、自分の誇大的自己が活性化し、いずれ(そのお返しとして)相手の(悲しさや寂しさなどの)脆さを聞かせてもらうことができるだろうから、「救いの環」の形成が可能な状況にある。

 

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憎み合う関係(不快ー防衛系)と許しの環(不快ー制御系)

 それでは、攻撃性はどのような変遷を辿るのだろうか?悪い自己の持つ怒りや憎しみは、本来、他者に向かって放たれる情動特性を示す。その放たれた攻撃性が、生産的な性質のものであるか、それとも破壊的な性質のものであるか、この違いは極めて大きい。もし(後者の)破壊的な性質のものであれば、怒りや憎しみを情動特性とする悪い自己を防衛するために、殺意という情動特性を持つ処罰的自己が活性化する。むろん、他者もまた自分と同じような思いを持つので、その怒りや憎しみという情動特性、つまり悪い対象は、相手に恐怖を抱かせる破壊的な情動特性を持つ処罰的対象という防衛を身に着けるだろう。

 これに対して、怒りや憎しみという情動特性を持つ悪い自己を感じていた時に、「何か不快な粗相を致しましたか?」と声を掛けられ、その不快について率直に打ち明けたところ、「それはたいへん申し訳ないことを致しました。すぐに別のものを準備いたします」という(謝罪の)情動特性を持つ謝罪的対象が活性化すると、その時の状況は、わだかまりのない、すっきりとした思いに包まれる。ところが、これとは逆に、その場に置いた大切なものが見つからなかった時、「これはお客様のものではありませんか?」と反撃的な情動特性を持つ相手に尋ねられ、その時は探し物が見つかって嬉しかったが、それまでにずいぶんひどい言い方をしたので、(当然、相手も不快な思いを抱いただろうし、)今度は自分が「ご迷惑をお掛けして、済みませんでした」と、謝罪という情動特性を持つ謝罪的自己を活性化しなければならなかった。

 さて、この二つの段落の文章を比較してもらいたい。上段の場合、自分は悪い自己を処罰的自己で防衛し、他者も悪い対象を処罰的対象で防衛しているので、二人は「憎み合う関係」にある。これに対して、下段の場合、自分の悪い自己は謝罪的対象によって制御された。その後、状況が逆転して、相手の怒りや憎しみという情動特性を持つ悪い対象が活性化したが、まさにそれは自分の物であったために、反撃的自己は(相互関係にある)謝罪を情動特性とする謝罪的自己を活性化させることによって、「許しの環」を完成させている。

 

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情動認知と情動認識(情動メタ認知)

 まず、「救いのない関係」と「憎み合う関係」を取り上げる。前者では、脆い情動特性を持つ弱い自己を、完璧な情動特性を持つ理想的自己が防衛し、自己にはその存在が不明瞭な、脆い情動特性を持つ弱い対象を、万能的な情動特性を持つ誇大的対象が防衛する。この場合、自己と他者との関係はなく、(たとえ、それがあっても、優劣関係や支配・被支配関係になり、)救いのない関係を作り出す。また、後者では、攻撃的な情動特性を持つ悪い自己を、殺意という情動特性を持つ処罰的自己が防衛し、攻撃的な情動特性を持つ悪い対象を、恐怖という情動特性を持つ処罰的対象が防衛する。いずれの場合も、不快ー防衛系に属するが、「救いのない関係」や「憎み合う関係」によって作り出される「情動認知」は、すべて異常心理(病的な心性)である。つまり、これらの関係は、これらの関係と異質の関係を作り出すような別の要因(不快ー制御系を作り出すための、不快因子に対する制御因子の関わり)を持ち込んで(葛藤を形成するような方向へ)干渉させなければ、変化することはない。

 次に、救いの環と許しの環を取り上げる。前者では、一方で、脆い情動特性を持つ弱い自己を、尊敬や信頼という情動特性を持つ理想的対象が制御し、他方で自己にはその存在がすでに明瞭になった、脆い情動特性を持つ弱い対象を、自信という情動特性を持つ誇大的自己が制御する。この場合、自己と他者は密接に関係する。また、後者では、一方で、攻撃的な情動特性を持つ悪い自己を、謝罪という情動特性を持つ謝罪的対象が制御し、攻撃的な情動特性を持つ悪い対象を、反撃という情動特性を持つ反撃的自己が制御する。この場合も、自己と他者は密接に関係する。(つまり、「自己不快因子→対象制御因子→対象不快因子→自己制御因子→自己不快因子」という情動特性を持つ自・他が交互に刺激し合うサイクルが形成される。)それが、救いの環であり、許しの環である。

 いずれの場合も、不快ー制御系に属するが、不快ー防衛系である「救いのない関係」や「憎み合う関係」とは異なっている。つまり、不快ー防衛系によって作り出される情動認知は、自・他が「一対一」の関係にあるので、情動認知はその関係に固定され、絶対的な性質を帯びやすいのに対して、不快ー防衛系に不快ー制御系が加わると、不快因子に対する働き掛けが異なってくるので、「一対一」の絶対的な関係は相対化せざるを得なくなる。これは、不快ー防衛系の情動認知の見直し作業を行なうことを意味する。もし不快ー防衛系に不快ー制御系が関与するようになると、異常な(病的な)心性は溶け出し、正常な(健康な)心性が混ざり、矛盾をきたすようになる。それが葛藤であるが、さらに継続して(不快因子に対して)制御因子(または制御補助因子)が機能し続ければ、正常な(健康な)心性が異常な(病的な)心性を凌ぐようになり、相対化してきた関係性に気づくことができる「情動認識(情動メタ認知)」を獲得することができるようになる。

 

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情動認知によって作り出される葛藤と人格の精神分析

 一般に、情動認知という用語を用いる場合、情動認識(情動メタ認知)を含めてよいと思うが、正確には(狭義の意味では)情動認知は不快ー防衛系に、情動認識(情動メタ認知)は不快ー制御系に見られると区別した方がよい。ここでは、むしろ正確な(狭義の)意味を前提に議論を進める。その理由の最も重要な点は、現実検討能力の有無、つまり、病識の有無が、この区別によって正確に表現され得るからである。もし心が健康であれば、現実検討能力も、病識もある。これに対して、もし心が病的であれば、現実検討能力も、病識もない。むろん、これらの有無は両極端の場合だけ存在するわけではなく、葛藤や人格を課題にする場合は、いつも不快ー防衛系と不快ー制御系が混ざっているので、その時々の精神状態に応じて、現実検討能力や病識が、あったりなかったりする。

 そこで、今回は葛藤(の構造)を取り上げることによって、情動と精神分析が、いかに強いつながりを有しているかという点を強調してみたいと思う。葛藤は全部で四個存在するが、一個ずつ見ていくことにしよう。(下記の葛藤の構造である「a⇔b→c」のうち、「a⇔b」は情動認知、「b→c」は情動認識、つまりメタ認知を意味する。)

 第一葛藤は「処罰的自己⇔悪い自己→謝罪的対象」である。これを、わかりやすく情動特性に置き換えると、「殺意⇔憎しみ→謝罪」になる。つまり、憎しみが募った時、殺意が湧くようでは一向に埒が明かないが、憎しみが募った時、相手の謝罪が殺意を消してくれるという意味である。

 第二葛藤は「処罰的対象⇔悪い対象→反撃的自己」である。これを、わかりやすく情動特性に置き換えると、「恐怖⇔憎しみ→反撃」になる。つまり、憎しみが募った時、恐怖が湧くようでは、一向に埒が明かないが、憎しみが募った時、自己の反撃が恐怖を消してくれるという意味である。

 第三葛藤は「誇大的対象⇔弱い対象→誇大的自己」である。これを、わかりやすく情動特性に置き換えると、「万能⇔脆さ→自信」になる。つまり、相手が脆さを隠して万能になるようでは、一向に埒が明かないが、相手の脆さを自分が支持すると、自分に自信が湧くという意味である。

 第四葛藤は「理想的自己⇔弱い自己→理想的対象」である。これを、わかりやすく情動特性に置き換えると、「完璧⇔脆さ→信頼」になる。つまり、自分の脆さを隠して完璧になるようでは、一向に埒が明かないが、自分の脆さを相手が支持してくれると、相手に対する信頼が湧くという意味である。

 このような葛藤の組み合わせによって、今度は(7種類14個の情動因子によって構成される情動制御システム、つまり人格構造を構築し、)様々な人格が形成される。葛藤における情動と(精神分析における感情転移の中に示される)関係性とは密接な関係にあることが、よく理解されたと思う。優れた精神分析家ほど、情動の特性やその動向、そしてそれにつれて発生する情動認知と情動認識(情動メタ認知)の理解に長けている。

 

 *「新しい心の分析教室:精神分析技法論」を参照

 

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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