Google検索は歪んでいる

 このタイトルに示した文言は、アメリカ合衆国大統領の言葉である。数多くの失言や虚言が指摘される中でも、コロナ対策への認識の甘さと、その対応の遅れが問題視されてきた。ところが、先日、トランプ氏自身もコロナに感染してしまい、大統領選の行方だけではなく、大統領の身体までもが、一体どうなってしまうのかという心配を世界中に広げている。アメリカにコロナが蔓延し、死者の数が増えるに従い、そのほとんどすべてはトランプ氏のせいであるという報道で埋め尽くされてきていたが、ここに至って、トランプ氏が感染したという事実は「お気の毒に」というよりも「自業自得である」というアメリカ国民の思いが伝わってきそうである。このような動向を傍観しながら、第三者としては「たとえトランプ大統領の初動がまずかったとは言え、その後のコロナ死者の数まで、すべてトランプ大統領のせいにするのは、いかがなものか?」と思った。率直な私の意見としては、むしろアメリカ国民のコロナ感染に対する自覚が足りなさ過ぎるような気がしている。しかも、アメリカ国民には、自分達に都合の悪いことを他人のせいにする悪い癖があるようにも感じている。そのような責任のなすり合いの中で、まさに崖っぷちに立たされたトランプ大統領にも、見事な言葉があるという点を指摘しておきたいと思う。それが、タイトルで示した「Google検索は歪んでいる」という文言である。多くの失言と虚言の中にあって、この文言ばかりは名言である。むろん、Googleは面と向かって、ユーザーを誹謗・中傷することはないが、Google検索の内容を詳細に観察すると、そこには想像を絶するような悪意と狂気が見え隠れしている。それをトランプ大統領は自らの感性で気づき、率直に表現した。対中国に関しても、極めて正直であると思われるトランプ大統領の良さにも光を当てて、今まさに救って上げたいという気持ちを起こす。

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自由への欲求を掻き立てるGoogle検索

 アメリカ合衆国大統領の「Google検索は歪んでいる」とのメッセージから、問題なのは何もGoogle Japanばかりではないのだなという、少し拍子抜けしたような思いに包まれた。しかし、もしそうであれば、Googleは世界中に歪んだ手法を用いているということになり、より深刻な問題を起こしているということになる。しかし、私は世界中のGoogle検索の実態まで知らないし、むしろ個人的にはGoogle Japanへの批判で十分である。ただし「キラー・ロボット」を作るほどのGoogleの本性が、Google Japanにも受け継がれていることを推察すると、歪んだ手法が本当に世界中に伝授されているのか、それともGoogleが採用するような「いわゆるGoogle人格」が存在するのか、その正体を暴きたくなるのは、決して不思議な好奇心のせいではない。

 それでは、なぜ私はGoogleについて書きたくなるのか? それは、Googleが私に批判という言論の自由を与えるからである。それは、なぜか? 私の心は、一旦、理不尽に感ずる「いわゆる狂気」つまり、精神的な病的心性に触れるや否や、その対象を批判(反撃)しようとする心性がほとんど習慣的に活性化してしまうからである。世界には数多くの精神異常が存在する。しかし、その多くに触れて、自分の気持ちを表出するのは極めて危険である。だから、触れたくても、触れることができず、我慢を強いられる。しかし、Googleは自由の国から発生した。だから、今の私にとって、Googleは批判(反撃)できる唯一の対象であると思う。しかし、そうした私に対して、Googleは報復するかも知れない。たとえ、そうであっても、私はGoogleへの批判(反撃)を止めないだろう。問題の核心は私にあるのではなく、あくまでもGoogleに存在する。

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Google検索の滅裂思考

 Google検索は広告検索なので、私のような業界であれば、書籍の紹介や診療所(クリニック)の案内など掲載していれば、それを見る人が特に奇妙な思いにとりつかれることもないと思う。基本的な内容を(素人でもわかるように)工夫して紹介しているウェブサイトであれば、それは大きなセールス・ポイントになるので、ユーザーの評価もよいだろう。むろん、専門的な部分に関しては、学術雑誌を求めて勉強すればよい。ところが、Googleの場合、そうした広告の範疇を逸脱して、Googleが独自に紹介しようとしている内容も多く含まれる。その逸脱の内容が誰にも共有されるような納得のいくものであれば、それはむしろGoogle検索のユニークさとして、素晴らしいという評価も出てこようが、多くの場合、ユーザーに違和感や不快感を抱かせてしまうので、Google検索は歪んでいると判断されてしまう。(たとえば「情動とは何か-情動の研究-Google Sites」などは、その典型である。)

 Googleで「精神分析」を検索すると、その関連キー・ワードに「精神分析 自分で」という選択肢がある。そこで、それをクリックすると、「精神分析 自分で クトゥルフ」という選択肢が掲載されている。はたして、この組み合わせは何を意味するか? おそらく、ゲームか何かを紹介しているのだろうが、奇妙な点は、第一に精神分析は自分でできないので、「精神分析 誰かと」とすべきであり、第二に「精神分析 クトゥルフ」は相互関係がないので、つまり、クトゥルフの方からつなげようとしても、精神分析の方からはつながらないので、これを「精神分析 エディプス」ぐらいにすべきであろう。そして、さらに「精神分析 誰かと エディプス」とすれば、一挙に違和感はなくなり、まずまずの評価を得ることができるに違いない。しかし「精神分析 自分で クトゥルフ」では、何だかごつごつした、いかめしさを感ずる。学問的に見ても、この組み合わせはデタラメであり、検索キー・ワードとしても不適切である。

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精神分析を侮るGoogle検索

 Googleを用いて精神分析を検索すると、幾つかの関連キー・ワードが載っている。その番付の中で、東の横綱は「精神分析 自分で」、西の横綱は「精神分析療法 禁忌」である。おそらく、誰が見ても困惑しそうな歪んだ関連キー・ワードである。すでに「精神分析 自分で」の場合については紹介したので、ここでは「精神分析療法 禁忌」を取り上げる。この検索キー・ワードは精神分析療法を検索しなくても、精神分析とだけ入力しても掲載されているので、奇妙な好奇心にとりつかれ、それをクリックしてしまうのだが、するとそこには「心理療法」「箱庭療法」「認知行動療法」「支持的精神療法」などが並んでいる。つまり、Googleは精神分析や精神分析療法ではなく、もっと別の治療法を学んだ方がよいと言わんばかりである。さらに強く言えば、Googleはユーザーの心を精神分析から離してしまおうとしているように感じられる。

 さらに、最近では「精神分析 危険」や「精神分析 衰退」など、露骨な誘導が目立っている。精神分析は危険だから、禁忌として認定され、やがて衰退していくだろうというGoogleの考え方が提示されているのだろう。ちなみに、かつて私のウェブサイトの内容が、このようなGoogle検索の作為に嵌め込まれて掲載されたという経緯がある。つまり「精神分析統合理論の完成にちなんで」が「精神分析療法 禁忌」という関連キー・ワードの中で掲載されていた。私は「精神分析統合理論の完成」の中の「次世代に受け継がれる精神科学の新分野」という記事の中で、「若い治療者は、単に適応や禁忌という治療的なレッテルを張るのではなく、新たな治療戦略の模索と発見を目指して欲しい」と書いたのだが、それをGoogleは「精神分析療法 禁忌」の中で紹介した。このようなGoogle Japanの紹介は、著者の私に対する大きな侮辱罪に相当する。

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人工精神を嫌うGoogle検索

 人工精神について紹介するためには、情動から意識を経由して言語までの発生メカニズムを解き、四次元立方体としての仕組みを明らかにしてから、実際に人工精神がどのように稼働するのかという点について、文脈形成や文脈成立のメカニズムを用いて紹介している。人工精神を創発するためには、様々な脳機能の連携の仕方が重要なポイントになるが、そのためには多角的な視野からの理解を必要とする。そこで、当サイトでは、たとえ同じメカニズムに関する内容であっても、連携の仕方や稼働の仕方に関して、理解が進むように言葉を変えて丁寧に紹介している。ところが、Googleはこうした私の配慮には全く無関心であり、いま紹介したような内容がどこに紹介されているのかさえ、見つけるのも大変である。(しかし、他の検索エンジンがGoogleと十分に対峙できているかと言えば、必ずしもそうではない。)

 情動認知や意識研究など、私がネットでいろいろ紹介し始めると、Google Japanはそうした私の紹介と競うようにして、様々な別の記事を私の記事の周りに張り巡らした。これらの用語は私が初めて紹介したのだが、Googleはこれらの用語を私から奪い、情動認知や意識研究などの検索から私のサイトを消した。そこで、私はGoogle Japanのフィードバック・コーナーで、再三、抗議のメッセージを送った。すると、そのうちに再び掲載するようになった。他にもひどい例はたくさんある。二つだけ紹介する。ひとつは、私が意識の発生メカニズムについて紹介すると、その周り中に統合情報理論の紹介を引き合いに出してくる。もうひとつは、私が人工精神の紹介をすると、その周り中に人工知能と精神転送の紹介を展開する。このような「妨害いじめ」をあちらこちらでやっている。まともな人間のすることではない。いずれ国際版で取り上げたい。

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Googleの権威・作為主義

 一般に、学術的なものであれば、それは雑誌に掲載される。その他に注目されるものは広告によってなされるものであろう。学術的にも、広告にも掲載されないものは、ほとんど「ないに等しい」存在になってしまう。たとえば私の場合のような著作は(一つの学術学会だけでは扱えないから)評価できないので「評価されないもの」になってしまうだろう。かつてのフロイトも、自費出版で「夢判断」を売り歩いたという逸話がある。これに対して、私は一部の大学図書館に寄贈するという形をとり、内容紹介はネットを利用しようと思ったのだが、最終的に見ると、Googleは(まるで疫病神のような)扱い難い存在であった。それゆえ「精神分析統合理論と人工精神創発理論」は科学的権威主義とGoogle権威主義よって阻まれてしまっている。皮肉なことに、それがかえって、私の自由への欲求を強く掻き立てていることは事実である。なぜならば、Google検索は歪んでいるからである。

 権威主義と言えば、その典型は中国か? この権威主義によって、何を得るか? 権威は権力や財力の身の囲いであると理解して差し支えないだろうから、権力を欲しいままにし、それによって、途方もない財力を作り、その力でもって世界を支配しようとする営みが権威主義である。Googleは江沢民一族ほど隠し持っているかどうか知らぬが、Googleもまた大きな闇を持つ権威主義の代表である。広告で稼いだ莫大な財力を隠し、税金さえも払わない反社会的巨大企業である。しかも、さらに悪辣な作為検索が露骨になってきているので「Google離れ」が加速しているようだ。しかし、さすがにアメリカ合衆国政府もそこのところは十分わかっていたようである。たとえ自国の企業とは言え、これ以上、黙って見過ごすことはできなかった。すでに司法省も動き始めた。世界中から搾取し続けている極悪非道のGoogleである。その存続の是非を含めた厳しい法的措置が、人類のために必要である。

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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