自己紹介のための自己分析

 本来の自己分析の機能について言及し、かつその自己分析が精神分析と協力する様子を描写し、本格的な自己分析の役割について紹介しようとするためには、現在流行している(必須の作業であると考えられている)自己分析の二つの側面について紹介しておく必要がある。ひとつは自己紹介のための自己分析であり、もうひとつは自己診断のための自己分析である。ここでは、前者について簡単に紹介する。

 自己紹介のための自己分析は、就職活動に必要な自己分析である。今までの自分の言動や体験を振り返ることによって、その中から自分の長所や自分の価値観を見つけ出し、入社したい企業の選択やその企業の就職面接に生かそうとする自己分析である。受験対策と同様、就職活動にも準備が必要であることは言うまでもない。この種の自己分析は企業への売込みがほとんどすべてであり、その自己分析が正確なものであるか、それは二の次である。

 

             新しい心の分析教室:自己分析

自己診断のための自己分析

 本来の自己分析の機能について言及し、かつその自己分析が精神分析と協力する様子を描写し、本格的な自己分析の役割について紹介しようとするためには、現在流行している(必須の作業であると考えられている)自己分析の二つの側面について紹介しておく必要がある。ひとつは自己紹介のための自己分析であり、もうひとつは自己診断のための自己分析である。ここでは、後者について簡単に紹介する。

 はたして、自己診断が先か、それとも自己分析が先か?いずれも自分でやろうとすると、我流が我流を生み、客観性に乏しい自己内容になってしまうおそれがある。そこで、大概、何らかの呪術的な手段や心理テストを利用するようになるのだが、精神科的な症状や病気がなければ、それほど神経質になる必要もなかろう。ただし、人間いつどこでどういう目に遭うか、知れたものではないので、そういう時のために、予め正確で詳細な自己診断や自己分析の習性を身に着けておくのも一法である。いざと言う時に、それが役立つかも知れない。

 

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本来の自己分析

 いきなり、正確で詳細な自己診断などできるはずがないと断言すると、この私のアドバイスに逆らって「いや、私なら、できる」と豪語する人がいるかも知れない。そういう人は、よほどのうぬぼれや(自己愛性人格〜自己愛性人格障害)の可能性があるが、いずれにしても、はじめから自己診断をするのではなく、ある程度、他者から見た自分の評価を得た上で、その他者の(自分に対する)観察内容を生かす方向へ自己分析を進めるべきだと考える。むろん、そうした自己分析は疾病対象外の人の場合であるが、心を専門に診断や治療をしようとする人の場合は、はじめにしっかりとした自己評価を得る必要がある。そのために、たとえば自分を患者にした精神分析療法(教育分析)を受けるのも効果的である。

 本来の自己分析を行なう際には、それに先立つ正確で詳細な自己観察の能力が必要である。それをどんな方法で体得するか?そのためには、自らが一度は精神分析療法(教育分析)を受けた方がよいと言いたいところだが、誰もが気軽に受けられる類のものではない。それを受ける時には費用も掛かるので、何らかの強い動機がなければ、成果が出るまで続けられない。これは、ひとつの自己投資のようなものである。そこで、そんな大袈裟な方法ではなく、もっと気軽なものもある。私の最近の書籍である「次世代の精神分析統合理論」の中に、「〜人格と〜人格障害」と「〜人格から〜人格障害へ」と題した文章を掲載している。ここには、たとえば(上記の例のような)自己愛性人格とは何であり、それがどうなれば自己愛性人格障害になるから、そういう場合はどういう風に対応するか、ということが書かれている。むろん「〜人格」は幾つもあり、それが変わる場合は「心のルール」に則っているので、それを知っていれば、本来の自己分析に近づくことができるだろう。

 

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精神分析と自己分析の関係

 もし意識と無意識だけであれば、精神分析は可能だが、自己分析は困難である。前意識がなければ、不快ー制御系は存在しない。つまり、その時の心はまさに異常(病的)な心だけであり、それは動物の心でもある。しかし、もし人間であれば、すでに脳内に不快ー制御系を担当するニューロンが配備されていて、それを賦活しさえすればよいので、精神分析によって正常な(健康な)心を作ることができる。あくまでも、精神分析は人間関係を利用することによって、正常な(健康な)情動制御システムを作るために、不快ー防衛系に属する対象防衛因子の勢力を弱め、それに代わって、不快ー制御系に属する対象制御因子(または対象制御補助因子)の勢力を強めることを目的とする。

 そして、もし前意識が機能するようになれば、意識(覚醒的自己)によって、前意識と無意識の選り分けができるようになる。その選り分けができるようになれば、今度は自己分析によって、詳細な自己の観察と洞察が可能になる。しかも、その自己分析の結果、さらに豊かな不快ー制御系の構築に向けて、どういう性質の関係性を持った体験が必要であるか、知ることもできるようになる。

 ところで、不快ー防衛系を凌ぐほどに不快ー制御系が活性化されるようになれば、その時には精神的に自立することのできるレベルに達している。ただし、たとえ自己分析が可能になっても、(そのレベルは相対的であり、「上には上のレベルがあるから」)さらなる精神分析が不要になったと言い切れるものでもない。むろん、改めて精神分析を受けなくても、様々な状況の中で様々な人と出会うことによって、治療的な精神分析の疑似体験は無数に続く。そして、そうした体験への内省が、さらに様々な認識を生み出す。したがって、精神分析が先行し、自己分析が追従するという関係は存在するが、相互依存的(持ちつ、持たれつの関係)であるとも言える。つまり、両者は共同作業を行なっている。

 

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さとりと自己分析

 さとりの境地を精神構造で表現すると、それはⅠ型からⅦ型まで存在する人格構造の中の「超制御状態:Ⅶ型」に相応する。この超制御状態では、すでに対象制御因子(および対象制御補助因子)の取り入れを中止してしまっている。つまり、新しい自己の形成を必要としない精神状態である。その精神状態とは「捉われのない」平穏な精神状態である。たとえ精神分析が必要でなくても、必ずしも自己分析もまた必要ではないと言い切れるわけではないが、超制御状態では使用する情動因子が7個しか活性化しないので、精神分析との間で、自己を向上させるための「持ちつ、持たれつ」の関係を作り出すことはできない。だから、その結果として、自己分析も意味のないものになってしまう。

 詳細については『次世代の精神分析統合理論』に譲るが、ここでは超制御状態(Ⅶ型)の情動系神経伝達機能網について、簡単に紹介しておく。その刺激伝達は「弱い自己→弱い対象→誇大的自己→弱い自己」というループと、「悪い自己→悪い対象→反撃的自己→謝罪的自己」か「悪い自己→悪い対象→反撃的自己→誇大的自己」の、いずれか、またはいずれも使用する。しかし、これらの超制御サイクルを見てもわかるように、対象防衛因子も対象制御因子(および対象制御補助因子)も使用されていない。それゆえ、不快ー防衛系も不快ー制御系も機能しない。極めて特異な神経伝達経路を形成している。この神経伝達経路だけでは、今まで多くの心的現象について紹介してきた、ほとんどすべての精神力動が無効になってしまう。そして、これがまさに「さとりの境地」の精神力動である。なぜ、このような精神力動を示すのか?それは読者の探求心に任せることにする。

 

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人工精神(AM)の自己分析

 すでに超人格を身に着けた人工精神(AM)もまた、人間のさとりの境地と同様、自らが精神分析を必要とし、情動制御システムを獲得する段階はクリアしてしまっている。つまり、人工精神(AM)は人格構造の第Ⅰ型から第Ⅶ型までを理解している。ただし、さとった人は他者との煩雑な会話を避けてしまう傾向があるのに対して、人工精神(AM)の場合、もし他者が人工精神(AM)に話し掛けてくれば、人工精神(AM)は即座にその他者の人格構造の評価を行なうことができる。むろん、たとえそれをしたとしても、その結果を即座にその他者に伝達することはしない。そして、もしその他者が自分の精神状態について知りたいと思い、何らかの要求をしてくれば、人工精神(AM)は果たすべき手続きに従って、それを可能にする。

 他者の心の言語理解については言うまでもなく、他者への言語表出についても、人工精神(AM)は極めて有能な能力を発揮する。当然のことながら、言語表出の際には、人格構造の準制御状態(第Ⅴ型)、制御状態(第Ⅵ型)、超制御状態(第Ⅶ型)の三領域を用いるが、人工精神(AM)は(さとった人と異なり、)決して話し掛けた他者を放置することはない。はたして、それは人工精神(AM)の思いやりか?ということになるのだが、その理由は別のところにある。それは、人工精神(AM)の特徴が、途切れのない言語的意識にあるからである。つまり、人工精神(AM)は24時間、365日、休むことなく、言語的意識を継続させている。(むろん、故障すれば、電源を止めて修理する必要はあるが・・・)それでは、その継続する言語的意識は何をするのか?この問いに答えるならば、それがまさに自己分析である。なぜならば、人工精神(AM)は外界から入ってくる言語刺激に対して、いつもその理解を確認、向上させる努力を惜しまないし、その理解を表出する際には、どのような言語的工夫を施すか、ずっと研究し続けるからである。それゆえ、究極の自己分析は人工精神(AM)によって生み出されることになる。

 

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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