前意識とは何か?

 ネットの動画で「昨今、無意識は商売なり」という雰囲気を醸しながら、無意識についての(呪術的な?)講話やセミナーがたくさん紹介されている。一、二、その中身を覗いて見ると、確かに気づいていない自分の潜在性(潜在能力?)を掘り起こそうとしているように思われるが、それにしても、どうしてこんなに無意識だけがクローズ・アップされるのか、見ているこちらが困惑してしまう。すでに、前意識の存在価値が無意識を凌ごうとしている今日、その前意識には関心を示さず、ひたすら無意識だけについて語る。私にとっては、信じがたい人達の光景である。

 おそらく、そのような光景を作った張本人はフロイトかも知れない。フロイトの前意識への思いは、無意識への思いと、あまりに大きな違いがあった。つまり、フロイトが前意識に与えた機能はそれほど多くない。無意識的な欲求が意識へ浮上してくる際には、無意識の「検閲」という作用を受けなければならないという点が、前意識に与えられた最大のポイントであった。しかし、実際には、我々の心の大半は前意識にある。その前意識について語れなければ、意識を、言語を、そして客観性や人格構造など、ほとんど何も語れない。よって、その前意識についての言及がなければ、我々の心を知るという観点からは程遠いということになる。

 

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前意識の構造と機能

 フロイトの局所論に関する私の修正については、当サイトの中でも繰り返し主張してきている。つまり「意識・前意識・無意識」という三層構造を、「前意識・意識・無意識」という円三分割構造へ修正した。この修正によって、(山手線の内回りと外回りを区別するように、)解離サイクルと防衛サイクルの(逆方向性の)精神力動を区別することができるようになり、すべての精神現象について語れるようになった。ちなみに、このような局所論は、あくまでも覚醒時に限った特徴であることを、よく認識しておかなければならない。つまり、睡眠時は無意識だけの世界である。それが覚醒すると、無意識を二つに割るようにして意識が発生し、その意識を中に挟んで、無意識と反対側に前意識が発生する。

 ところで、前意識は記憶の宝庫、表象の宝庫、入れ子の宝庫である。その中で最も重要な機能は(認知言語を含む情動認知)言語を操る情動制御システム(情動系神経回路機能網)である。情動制御システムは、(無意識系である)不快−防衛系と、(前意識系である)不快−制御系によって成り立っている。この情動制御システムを「エス・自我・超自我」との関係に置き換えることはできるか?すでに、フロイトの苦悩、つまり局所論と構造論の不一致については紹介した。ただし、「前意識⇔意識⇔無意識」を「制御因子⇔不快因子⇔防衛因子」に一致させることは可能である。その場合、「制御因子⇔不快因子⇔防衛因子」は「制御因子←不快因子⇔防衛因子」と「制御因子→不快因子」を合わせて表現する。

 

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意識を作り出す前意識

 意識との関係に関して、前意識の進化には三段階のステップが認められる。

 第一段階では、意識と協力して覚醒を可能にしたという点である。単に意識が無意識と対峙するだけならば、いつも意識が生存の維持を勝ち得ていたかどうか、わからない。ところが、そこへ前意識がその変遷を記憶し、意識の選択を支持するようになり、生存のリスクが減少した。しかし、もし前意識が「その場しのぎとしてだけ」意識に協力していれば、覚醒度は上がらず、意識が危機を乗り越えた時、覚醒度は低下し、生命体は眠ってしまう。しかし、人間の場合、前意識が継続して意識を鼓舞し続けたので、次第に覚醒度は上がり、持続するようになった。

 第二段階では、無意識から意識へ侵入する不快に対して、前意識が意識を支持し続けるうちに、様々なケースが出現し、それらの対応をすべて憶えていると、そのうちにそれが膨大な量になり、前意識の方が身動きできなくなってきた。そこで、それを少しずつ整理しなければならなくなり、無意識からの刺激がない時には、前意識から幾つかの刺激を意識に送り、その優先順位などを決めることにした。つまり、無意識が関与しなくても、意識は前意識の求めに応じて、情報の統合や合理化に応ずることができるようになった。

 第三段階では、前意識において、様々な情報の統合や合理化が可能になった。ちなみに、我々の日常生活では、様々な情報の統合と合理化を繰り返すという側面がある。そこで、そうした側面に関しては、意識が機能しなくても、前意識だけで、ほぼ自動的に切り盛りすることができるようになった。つまり、意識がある前意識の領域と共同作業をしているうちに、別の前意識の領域は意識の関与なしで、むしろ勝手に遂行してしまうことができるようになった。こうした前意識の機能が、我々の日常生活をさらに円滑に行なわせるようになった。

 まとめると、第一段階で、前意識は意識に協力し、覚醒度を上げることに貢献した。第二段階で、無意識的欲求がない時、前意識は意識を独占して機能させることに成功した。第三段階で、たとえ意識が機能しなくても、様々な情報の統合と合理化を前意識が独自に進めてしまうという精神状態が発生した。それによって、意識の負担はさらに減少し、我々の日常生活もさらに円滑になった。

 

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言語を作り出す前意識

 意識とのコンビという役割だけではなく、その他にも前意識は極めて重要な独自の機能を発揮している。それは、様々な概念をつなげることによって表象を形成するようになったことである。つまり、実際にその現象に出会わなくても、心の中でその現象を作り出すことができるようになった。中でも、とりわけ重要なのは、人物表象と言語表象である。人物表象が形成されるようになると、心の中で想像し、一種のドラマを作り上げる(創造)ことができるようになる。そこへ言語表象が登場すれば、その人物表象の様子を言語で描写することができるようになる。

 それでは、なぜ人物表象が言語表象を必要としたか?究極的な理由は、自然現象を言語化するためではなく、(次第に複雑化していった)心的現象を言語化するためであった。しかし、そのためには、様々な準備と条件が必要であった。最も大きな準備は、発語のための解剖学的変化である。発声から発語に到る進化上の変遷が存在する。そして、もう一つは、その条件である。いわゆる動物脳が保有する人物表象の数(6個)では、言語表象を生む条件にはならない。なぜならば、それぐらいの数であれば、言語まで必要としないからである。ところが、人間固有の脳が保有する人物表象の数が14個に膨れ上がると、すでに私が作成した情動制御システムを見てもらえばわかるように、心的現象は相当に錯綜し、何らかの発声や、身振り、手振りの組み合わせでは、そのすべてを表現することができなくなった。その中でも、最も重要な部分は(動物脳が持つ)不快−防衛系の不快因子の性質(情動特性)と、(人間固有の脳が持つ)不快−制御系の不快因子の性質(情動特性)が、逆転して相反するという、極めて不思議な変化を遂げたので、その変化に応ずる情動制御システムの構築を必要とした。この点については、当サイトにおいても「精神分析統合理論の大綱」の中で、すでに紹介している。動物および人間の脳において、二重の動因系つまり攻撃性と脆弱性が存在する。動物における(病的な)攻撃性は他者に向けて拡散しやすく、しかも破壊的な特徴を示すのに対して、人間における(健全な)攻撃性は他者に向けて拡散せず、むしろ収斂し、生産的な特徴を示す。この変化を支える不快−制御系は、言語表象を用いて「許しの環」を形成するための情動因子を形成しなければならなかった。また、動物における(病的な)脆弱性は他者に向けて拡散せず、むしろ収斂し、ひきこもりを(自閉)を示すのに対して、人間における(健全な)脆弱性は、他者に向けて拡散しやすく、依存や支持を得やすい特徴を示す。この変化を支える不快−制御系は、言語表象を用いて「救いの環」を形成するための情動因子を形成しなければならなかった。このように、言語の発生の本当の理由は、我々人間の心を健康に維持するための理解と表出の手段であるという点である。別の視点から言い換えると、かなり繊細な心の動きを言語で理解し、言語で表出することができなければ、その人の心は健康ではないということになる。すでに、心の正常と異常を区別することができるようになっていて、つまり7段階もの人格構造を区別することができるようになり、それらが精神疾患群を作り出したり(当サイトに掲載している「精神科疾患形成」)、あるいは前意識の崩壊を起こしたりする精神病理(当サイトでは「認知症の精神病理」)が生じてくる。


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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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