依存症を作り出す精神力動

 1. はじめに

 嗜癖と依存症については、すでに当サイトの「新しい心の分析教室:様々な精神医学(精神分析)用語(Ⅱ)」の中で紹介している。最近、それらの記事を読み返す機会があり、改めて感ずるところがあったので、ここでもう一度、依存症について取り上げることにした。その感ずるところとは、かなり難しい概念をつなげて理解し、それを具体的なケースに当てはめて用いるということは容易ではないと思ったからである。様々な臨床から様々な概念を見つけ出し、それを紹介してきているが、私のように理解すれば、治療は容易になるという思いがあってのことである。しかし、症例の骨子ではなく、概念の骨子では、なかなかつなげて理解することは大変であると思った。

 ところで、いま話した動機よりも、先行した動機が存在する。それは、うつ病の臨床について、もっとわかりやすく紹介しておいた方がよいという動機である。依存症に比べ、うつ病の方の精神力動の方がはるかに複雑なので、混乱しそうな依存症の精神力動をわかりやすく紹介しておくことによって、混乱を招かないようにしておくことは大切であると思ったのである。このように説明すると、うつ病と依存症の臨床を混同することはないと反論する輩もいるかと思うが、もしそうした反論が出てくるならば、そうした輩の臨床に根治という考えがあるかどうか、問われることになる。いずれの疾患群も錯綜した精神力動を示すので、それを整理することができなければ、根治療法も難しくなる。

 ※新しい心の分析教室:様々な精神医学(精神分析)用語(Ⅱ) 参照

 2. ままごと

 幼児の「ままごと」をしているシーンを想像してもらいたい。お人形さんを抱っこして、まるでその人形の母親であるかのように、幼児は人形に話し掛けている。この一つのシーンを作り出しているままごとは、どういう精神力動を示しているか? 最も有力な関係性の解釈は、幼児が自分を人形に置き換えると同時に、自分を母親にも置き換えているという内容である。それでは、幼児の心の動きをどう説明するか? 人形はまさに移行対象であり、私の概念で言うと、不快因子同士の連動性、つまり、この場合は「弱い自己⇒弱い対象」が生じている。幼児の演ずる母親は、幼児が理想的対象として取り入れた母親に同一化して形成された誇大的自己の活性化による。

 このままごとの一シーンを、私の概念で説明すると、「誇大的自己による弱い対象の拘束」である。それは、かつて幼児の心に「理想的対象による弱い自己の拘束」がトレーニングされた結果、培われた心性である。これらを一つの刺激伝達経路として描写すると「弱い自己⇒弱い対象⇒誇大的自己」である。ここで重要なことは、もしこのような精神力動が生じている時には、依存症は生じないという点である。この精神力動では、脆弱系に属する制御因子が活性化し、不快―制御系が機能している。これに対して、依存症を示す精神力動では、脆弱系に属する防衛因子、つまり誇大的対象や理想的自己が活性化し、不快―防衛系が機能する。(なお、不快因子同士の連動性には、未分化不快因子「弱い自己−対象」の活性化も含まれる。)

 3. 金や物を与える親

 十分な養育環境が与えられれば、子供の心は成長し、「救いの環」が形成される。この場合の「十分な」という表現は曖昧であり、結果次第だというニュアンスがある。子が親を慕い、親が子の思いに応えていれば、子は親を取り入れ、それに同一化して中核的な自己の代表である誇大的自己を形成する。誇大的自己が形成されれば、今度は子の方が親を手伝い、助けることができるようになる。つまり、尊敬される理想的対象は、子の能力を引き出すための特徴をも備えている。それが、この「十分な」理想的対象の役割であり、「完全な」親(誇大的対象)の役割ではない。もっとも、通常の家庭では、親が二人いて、関係が複数存在するので、一方の関係が他方の関係によって相対化されやすい。

 ところが、親が子に十分な養育環境を準備せず、その代償として、金や物を与えた場合、子の精神はどのように成長するか? 否、この問いは不適切であり、正しくは「子の精神はどのように歪んでいくか? 」である。本来、健全に育つはずの子の精神は病的に傾いていく。理想的対象がいない(あるいは不十分な)ので、それを取り入れることはできず、その代わり、子が困った時には、いつも金や物を与える万能的な親、つまり誇大的対象が活性化する。しかし、実際には、(誇大的対象は)いつでもすぐに応じられるわけではなく、子の満たされない欲求は、不快の転送ルートを経由して攻撃系に伝達される。その際の刺激伝達経路は「弱い自己(⇒理想的対象)⇒弱い対象⇒誇大的対象⇒悪い対象⇒」である。

 4. 楽しみの性質

 人間が体験する楽しみは、基本的に四つの情動因子の活性化による。それらは、脆弱系に属する理想的自己と誇大的自己、攻撃系に属する処罰的自己と反撃的自己である。繰り返し紹介しているように、理想的自己と処罰的自己は動物脳に由来する快表象であり、人間に必要な情緒的交流がなくても、自然に活性化する。これに対して、誇大的自己と反撃的自己は人間固有の脳に由来する快表象であり、健全な精神を作るために必要な養育環境によって形成される。つまり、健全な養育環境がなければ、これらの制御因子は(十分に)形成されず、病的な心性を中心とした精神状態になる。ちなみに、依存症の楽しみを作り出す情動因子は理想的自己である。

 この四つの情動因子は、時に連動して機能する。その連動の仕方、つまり組み合わせは二通りある。一つは「理想的自己+処罰的自己(処罰的自己⇒理想的自己)」であり、その心性は躁的防衛(軽躁状態)である。不快の逆転送ルートが活性化し、破壊的攻撃性が発生する。そして、もう一つは「誇大的自己+反撃的自己(反撃的自己⇒誇大的自己)」であり、その心性はうぬぼれである。不快の快変換ルートが活性化し、破壊的攻撃性を消失させる手段の一つである。ちなみに、依存症は(不快の転送ルートを活性化するものの、不快は攻撃系で処理されず、さらに)不快の逆転送ルートを活性化し、脆弱系に流入した破壊的攻撃性を自己愛型病的同一化(誇大的対象⇒理想的自己)で収束させようとする精神力動である。

 5. 不快因子同士の連動性

 依存症とうつ病に必須な不快因子同士の連動性は、脆弱系に属する「弱い自己⇔弱い対象」である。この連動性は両方向性である。「弱い自己⇐弱い対象」は脆弱系の前駆型閉鎖回路を形成し、うつ病の精神力動に必要な絶望サイクルを形成する。これに対して「弱い自己⇒弱い対象」は脆弱系の逆向性前駆型閉鎖回路を形成し、嗜癖や依存症の精神力動に必要な移行現象や移行対象を形成する。前者の「弱い自己⇐弱い対象」が示す心性は同情や憐憫であり、他者の心的現実に反応する自己の心的現実を表わす。これに対して「弱い自己⇒弱い対象」は、自己の心的現実に反応する他者の心的現実を意味するが、この場合、はたして自己に発生する心性を他者が現実的に共有するかどうか不明である。つまり、この場合の連動性には飛躍と解釈が挿入する。そして、まさにこの挿入された不連続こそ、弱い対象の分身である移行現象や移行対象の発生の素地になっている。この精神力動を刺激伝達経路として表すと、まず嗜癖では「理想的自己⇒弱い自己⇒分身としての弱い対象⇒誇大的対象⇒理想的自己」である。次は依存症の場合であるが、もし誇大的対象が自己の当てを満たすように機能しなければ、自己愛型病的同一化(誇大的対象⇒理想的自己)の形成は保留され、不快の転送ルート、つまり「弱い自己⇒分身としての弱い対象⇒誇大的対象⇒悪い対象⇒」を活性化する。その後、満たされなかった欲求が攻撃系において処理されれば、依存症は発生しない。しかし、その不満が処理されず、不快の逆転送ルートが活性化され、破壊的攻撃性が脆弱系に流入すると、依存症の精神力動が形成されるようになる。

 6. 分身と傷ついた分身

 ここでは引き続き、脆弱系に発生する不快因子同士の連動性に焦点を当てる。たとえ一つの名で代表される情動因子であっても、それは様々な内容を含んでいる。たとえば、自己解離つまり「理想的自己⇒弱い自己」の場合の弱い自己には、いま感じている悲しさや寂しさだけではなく、かつて体験した自分の脆さに関する諸々の内容が含まれる。ある時、突然、そのほんの一部が思い出され、つらい思いに襲われるということもある。これらは、まさに弱い自己の断片とでも言えるような代物の仕業である。これと同じようなことが、対象解離つまり「誇大的対象⇒弱い対象」の場合にも生ずる。たとえば、それが家族内力動で「父親⇒母親」や「母親⇒兄弟」など生ずるし、上記のままごとの人形は「母親⇒人形」である。

 自己解離は自分の主観の中で生ずるから疑う余地はないが、対象解離は自分がある対象関係を解釈することによって成立するので、それは(証拠のない)非現実的な場合が多い。つまり、自分の思いに合わせた弱い対象が分身になる。だから、分身はたくさん存在する。しかも、それは人でない場合もある。すでに紹介した金や物を与える親で育てられた子は、親の分身として金や物を選んでも何ら不思議はない。いつでも自分を楽しませてくれる金はギャンブルに、また物は薬物やアルコールに代表されるようになる。むろん、健全な心を養った子の分身として金や物が活躍するとは考え難いが、絶えず破壊的攻撃性に晒されている病的な心しか持たない子の「傷ついた分身」として、金や物はうってつけの移行対象になる。

 7. 移行対象としての金と物

 ひょっとして上記の理論展開に疑問を抱く読者がいるかも知れない。それは以下のような疑問である。もし金や物が親の代わりであったり、それらが親の分身であったりするというのであれば、理解はできるが、金や物を与える親が、どうして傷ついた弱い対象を表象するのか、理解できないという疑問である。常識的に考えれば、確かにその通りである。親の金や物は、誇大的対象としての親の置き換えとしての金や物であり、それらが親の分身であるというところまでの理解は容易である。しかし、この常識的な理解では、弱い対象という表象は発生しないし、まして分身が弱い対象であるという理解は得られない。ちなみに、コフートの自己心理学には、弱い対象という概念がない。

 当サイトの中の「精神分析統合理論の大綱」で触れているように、脆弱系未分化不快因子である「弱い自己―対象」は不快―防衛系が機能する時だけ活性化される。この場合、弱いのは自己かそれとも対象かという選択を迫られ、弱い方が逃げる。たとえ金や物(あるいは獲物や住処)を持っていても、避けがたい事情が生じたら、それらを置いて去る。子に信頼や尊敬、それに希望を与えられるような親であれば、子を置き去りにするようなことはしない。しかし、自分の都合を優先し、愛を示さない親は、その代わりとして自分が持っている金や物を置いて子から離れる。このことは子にとって親の愛や力としてではなく、親の至らなさや弱さとして理解される。つまり、親が与える金や物は、弱い対象としての親の分身になる。このような親であれば、子の破壊的攻撃性は止むはずがない。それゆえ、親の与える金や物は傷ついた分身になりやすい。

 (育児以外のことで多忙な親は、つい、子に金や物を与えて、それらを育児の代わりにしようとする。しかし、子の方は金や物より親が一緒にいてくれるのを望むが、現実はそのようにならないので、たとえ金や物を与えられても、それらを親の愛としてではなく、親の愛のなさとして理解するので、そのために生じた怒りや惨めさを解消する手段に使ってしまう。それが、まさに「傷ついた分身」の発生メカニズムであり、依存症の起こりである。)

 ※精神分析統合理論の大綱 参照

 8. 強迫と強迫崩れ

 強迫と依存症は密接な関係にある。つまり、強迫が機能している間、依存症は起こり難い。なぜならば、すべての強迫は理想的自己の地点で刺激伝達を停止させようと機能するからである。ここで重要な点は、依存症の発生に先立って、どの強迫がどの程度、機能しているかという点である。強迫は四種類存在するが、攻撃系の処理(情動制御システム)が機能する強迫は二通りである。一つは、反撃的自己が活性化し、不快の快変換ルートが機能して「8字型閉鎖回路」を形成するタイプであり、もう一つは、処罰的自己が活性化し、不快の逆転送ルートが機能して「常同強迫」を形成するタイプである。前者では健全な心性が関与し、後者では病的な心性が関与する。依存症が発生する背後には、常同強迫が存在する。

 常同強迫は、不快の逆転送ルートつまり「処罰的自己⇒理想的自己」と、自責回路つまり「処罰的対象⇒理想的自己」が収束する精神力動である。前者と後者の勢力が等価であれば、常同強迫が成立し、依存症は発生しない。ところが、前者が後者の勢力を上回れば、破壊的攻撃性が脆弱系制御システムに流入し、依存症の形成に先立って、様々な(病的)人格傾向や症状形成が発生する。また、後者が前者の勢力を上回れば、刺激伝達は理想的自己の地点で停止するものの、強い処罰的罪悪感に見舞われ、うつ病や被害妄想などの症状形成が発生する。ただし、これら両者の勢力はその時々によって交代するので、様々な心性に移行する場合が多い。いずれにしろ、依存症は強迫崩れに伴って発生し、再び常同強迫が成立すると、依存症は軽快する。

 ※様々な人格傾向の精神力動 参照

 ※新しい心の分析教室:ノート(Ⅶ) 参照

 9. 羨望と嫉妬

 攻撃系情動制御システムの中で生じた破壊的攻撃性が、不快の逆転送ルートを経て脆弱系情動制御システムになだれ込んだ時、最も発生しやすい人格傾向は羨望と嫉妬である。一般的に、羨望は二者関係において、嫉妬は三者関係において生じやすいと言われる。その理由は刺激伝達経路にある。羨望の刺激伝達は「処罰的自己⇒理想的自己⇒弱い自己⇒理想的対象」であり、嫉妬の刺激伝達は「処罰的自己⇒理想的自己⇒誇大的対象⇒弱い対象」である。羨望が理想的対象を、嫉妬は誇大的対象と弱い対象を攻撃するので、上記のような理解が発生する。もし理想的対象が攻撃されると機能しなくなるが、たとえ誇大的対象が攻撃されても機能しなくなることはない。ただし、弱い自己や弱い対象は共に傷つく。

 すでに紹介したように、不快因子同士は連動する。攻撃によって傷つかなければ、ほぼ無条件で連動し、その場合の心性が病的になることはない。ところが、破壊的攻撃性によって、弱い自己や弱い対象が傷つくと、その程度によって、様々な精神力動が生ずる。もし両者の傷つきが等価であれば、傷つかない場合と同様に連動性は生ずるが、もしそれが等価でなければ、連動性は生じない。つまり、破壊的攻撃性は羨望も嫉妬も生じさせるが、その際に等価でなければ、いずれか一方は生じても、他方は生じないという精神力動になる。問題は、両者が等価に傷ついた場合、どちらからどちらへ連動するかという点が重要である。この点が、依存症とうつ病を分ける重要なサインになる。うつ病については、ページを改めて紹介する。

 10. 「の」の字型閉鎖回路

 羨望と嫉妬はいずれもありふれた心性であるが、もしそれらが同等に弱い程度のものであれば、誇大的自己が活性化し、それらの心性を払拭してしまうことができる。すでに紹介した「守銭奴という病人」や反社会性の精神力動が該当する。これに対して、羨望で理想的対象の機能を奪ってしまう場合では、当然、それに先んじて弱い自己を攻撃し、自己破壊行動が生じてくるし、嫉妬で弱い対象を激しく攻撃すると、刺激伝達は一旦そこで停止し、そこから反転(Uターン)した精神力動、つまり「倒錯的思考」が展開する。ちなみに、羨望や嫉妬の強弱は、攻撃系情動制御システムのあり方に依存する。つまり、攻撃系の不快ー制御系が十分機能すれば、それらは弱く、攻撃系の不快―防衛系が強く機能すれば、それらもまた強くなる。

 ところで、弱い自己も弱い対象もひどく傷つけられ、理想的対象も誇大的自己も機能しなくなってしまった心的状況では、不快因子同士の連動性を通して(いずれの方向であっても)それぞれ閉鎖回路を形成する。その中でも、傷ついた弱い自己から傷ついた弱い対象への連動性、つまり傷ついた自己の断片から傷ついた分身への刺激伝達は、依存症の精神力動を形成する。それを一つにまとめると、「理想的自己⇒誇大的対象⇒悪い対象⇒処罰的対象⇒処罰的自己⇒理想的自己⇒傷ついた弱い自己⇒傷ついた弱い対象⇒誇大的対象⇒理想的自己」である。これが「の」の字型閉鎖回路である。本来、「理想的自己⇒誇大的対象」が生じた時に、当てが満たされていれば、つまり「理想的自己⇐誇大的対象」が生じていれば、こんなに長い依存症の精神力動を作る必要はなかったのである。

 ※価値観を生み出す精神力動 参照

 なお、依存症とは別に、様々な病態を形成する「摂食障害」の精神力動については、『次世代の精神分析統合理論』の中で、わかりやすく紹介している。その内容については、当サイトの中で紹介しない。直接、本書に当たってもらいたい。







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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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