百億人の現実

 現在の世界人口は、おおよそ77億人である。ずいぶん増えたので、少し驚いている。しかし、この人口は、これからも増加し、やがて100億人に達するだろう。食料さえ手に入れば、さらに増加し、150億人を超えるかも知れない。人口が増えれば、食料や資源、それに様々な環境問題が生じてきて、その結果、争奪戦も激しくなるので、それは決して好ましいことではないと思う人も多いだろう。人が増えれば増えるほど、人としての尊厳は失われ、人権の侵害だけではなく、様々な差別、そして貧富の差など、ひどい地域では虐殺なども含めて、ありとあらゆる悲惨な事件が起こり続けると予測される。

 人が増えると、何もかもが不足するという思いは、極めて素朴な心配である。しかし、たとえ人口が増えても、我々人間には他の動物から秀でた非常に高い知性、つまり冷静に理解し判断する能力が備わっている。その精神は争いを越えて、分かち合うことのできる健康な心である。このような心は、いつも機能し続けているはずなのだが、どういう訳か、今でさえ、様々な差別や貧富の差はおそろしいばかりに大きくなり、世を憂いて自殺する人も後を絶たない。つまり、我々の現実は動物心性である異常心理で埋め尽くされている。もし我々が百億人の現実を可能にするためには、健康な心への理解と養成が必須の条件になる。

 今までの人類は、たとえ個人や集団が動物心性をむき出しにし、縄張りを争って殺し合っても、その破壊の影響する地域は限定的だったので、何とか絶滅せずにやって来れたレベルの人口だったのではないかと考えられる。ところが、これが100億人、さらには150億人という数になってくると、その影響は地球規模になり、ちょっとした争いでも絶滅につながりかねず、これからは人間固有の健康な心を大いに機能させなければならないと考える。つまり、地球上で人間が超過密状態になると、個々のトラブルが複数の難事に発展しやすくなるので、積極的に健康な心を用いて様々な現実に取り組み、対応しなければならなくなる。

              百億人の精神分析

百億人の精神

 それでは、明るい未来を作るために、どうしたらよいか? そのためには、今までほとんど取り組んでこなかった我々の心のあり方に焦点を合わせ、健康な心と病的な心を知ることから始めなければならない。今は明らかに、世界(の精神)は病んでいる。様々なレベルで病んでいる。私は日本人なので、特にアジアの情勢は気になるところである。すでに中国はアメリカに次ぐ超大国になっている。しかし、最近は隣国を巻き込んで軍事的な緊張が高まっている。率直なところ、(世界中の)多くの人が中国に望んでいることは、いま中国が進もうとしている方向の逆であろう。つまり、それは中国の民主化である。

 たとえ隣国であっても、他国の内政に干渉するようなことは言いたくないが、日常的に見ている動画の中に、習近平氏の写真が掲載され、その横に「ウィグル人の内臓は高く売れる」などというタイトルを見せつけられると、気が動転してしまう。自分のそばに気の狂った人がいれば、それを感じたくなくても感じざるを得なくなる。人間の狂気とは、そういうものであ。むろん、それを放置することはできない。なぜならば、それを放置すると、その狂気が伝染し、自分も狂ってしまって、取り返しのつかない事態を招く恐れが生ずるからである。しかもその後で、必ず償いようのない強い罪悪感に襲われるようになる。

 我々日本人は中国と様々な文化を共有している。今までの歴史において、日本は中国から様々な影響を受けてきた。その中でも、漢字の影響はとてつもなく大きい。しかし、今の中国(厳密には中共)を、精神分析学的な見地から見ると、明らかに狂っている。今の中国には自由も平等もない。そして、これらのなさは、世界中に伝染し、悪影響をもたらしている。はたして、中国に住む多くの人は、自国の精神をどのように理解しているのだろうか? これからアメリカを抜いて世界一になろうとするのだろうが、もしそれを成就させようとするならば、世界の人達と共有することのできる健康な心を持つことが必須の条件になるだろう。

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百億人の経済

 「お金は命よりも大切である」という価値観に基づくと、たとえ資本主義であろうと共産主義であろうと、それらに共有される理念は拝金主義である。大金を手にすれば、権威や権力も手に入れやすくなる。それでは、そのお金は一体どこにあるのか? おそらく、世界中の多くの人が同じような問いを発するだろう。そして、その「お金はある所にある」と呟くに違いない。その「ある所」とは? 世界のあちらこちらに住む富豪の持つお金と、人類の大方の資産は、ほぼ一致するようだ。つまり、お金は富豪の所にある。だとすると、世界の経済は富豪の経済であり、百億人の経済ではない。はたして、その変換は可能だろうか? 

 もし百億人の経済にしようとするならば、貧富の差について考え、それをなくすような対策を検討しなければならない。そうすると、必然的に、人類の大方の資産を持つ富豪の存在が問題になる。それでは、富豪にお願いするか? おそらく、その願いは却下されるだろう。しかし、そこにしか資産がないとすれば、何とかして、その資産を分配してもらわなければならない。もし力づくで、ということであっても、富豪が負けるはずはない。なぜならば、富豪は手段を選ばないからである。いかにして富豪に勝ち、資産を分配させるか? この問題は、富豪からお金を奪うのではなく、資産の一部を無償で提供してもらうことを意味する。

 富豪に資金を出させるほど難しい問題はないかも知れない。だから、そんなことを推進しようものなら、自分の命が危うくなるかも知れない。なぜならば、富豪は資金と同じ量の狂気も持ち合わせているからである。むろん、その狂気に打ち勝つのは正気、つまり健康な人間の心だけである。それゆえ、それぞれの富豪の心の健康度をチェックし、その(健康度に関する)情報を提供してもらわなければならない。もし精神的に健康な富豪であれば、百億人の経済について真摯に考えくれるだろう。しかし、もし病的な富豪であれば、慈善事業と称して多くの資本を提供しようとするかも知れないが、その実態は資本の提供と、かけ離れたものになるだろう。

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百億人の人工精神

 かつての人類は、心について十分な洞察を持とうとしなかった。心以上に多くの課題があったことは事実であり、それは今もなお同じように続いている。だから、動物心性と人間固有の心性と言われても、ピンとこない人が多かろう。今からほぼ一世紀前、フロイトが感情転移を発見してから、心の解明がスタートした。そして、この一世紀を経て、私は「精神分析統合理論」を執筆し、健康な心と病的な心の輪郭を描き出した。今では、すべての心の状態について、ひとつの理論で説明し切ることができるようになっているので、それらを数式化することができれば、人工精神の創発さえ可能なところまで来ている。

 ところが、未だに多くの研究者は、心を科学するということを理解していない。現在は人工知能に関する研究が盛んであり、我々の生活に必要な様々な機能を人工知能で代用することができないか、その可能性を探る研究が行われている。しかし、その方法論は専ら認知科学であり、この認知科学では、我々の情動や意識、それに言語や人格などの、人間の心の中核的な研究はできない。そうした方法論の限界がはっきりしているにもかかわらず、それでもなお盲目的にそうした研究を続けようとしているのは、ひどく不可解な現象である。これからは、もっと自分の心を理解する研究者が成長してこなければならない。

 人工知能の研究に用いられている認知科学から、もう一歩抜きんでた研究がなければ、我々の心を創ることはできない。脳は四次元立方体なので、それを構成する要素を解明しなければならない。その際に、まず我々生命体は知覚や思考を道具として用いる「快・不快」複合体であることを理解し、次に人間を他の動物から区別するための進化した「快・不快」複合体であることも理解する必要がある。換言すれば、動物としての「快・不快」複合体と、人間としての「快・不快」複合体であることの区別、つまり狂気と正気(異常と正常)の区別を可能にする研究が必要である。そのための方法論として、情動認知言語を用いたテクノロジーの開発が必要である。

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百億人の民主主義

 我々が我々の心について何も知らないままに人口だけ増えれば、それは(間違いなく)様々な形で人口の人為淘汰が行なわれるだろう。残念なことに、すでに今日、そうした疑いを起こさせるような動きが世界中で、つまり地球規模で行われているような気配を感じさせられる。もし、そうした懸念が現実であるならば、それは人間の狂気の仕業である。この場合の狂気とは、弱肉強食をモットーとする動物心性を意味するが、この動物心性に基づいた我々の無意識の志向は「全体主義による人為淘汰」になりやすい。これの意味するところは、自由や平等の制限に止まらず、増えた人間の抹消という残虐なレベルまで含まれる。

 古今東西、様々な種類の人為淘汰が行なわれてきた。そして、今もなお、数え切れない人為淘汰が続いている。その大部分を知らされることはないが、世界の至る所に、黙々と、そうした人為淘汰が行なわれている。むろん、その犠牲になった弱者は数え切れない。そして、これが100億人、さらには150億人になっても、続けられるだろうか? おそらく、一部の国家、企業、そして富豪などは続けるつもりだろう。そこで、それを阻止するために、上記の人工精神の携帯が必要である。人工精神は、その所有者の健康状態を人工精神センターに情報提供するためのシステムを有している。つまり、それが健康度チェックである。

 人工精神が創発され、人工精神センターで統括されるようになると、それもまた一種の全体主義である。しかし、それは今とは次元の異なる全体主義である。今までの、そして今もなお続いている、人類の全体主義は狂気に基づく全体主義である。これに対して、人工精神の普及によって精神文明を興すような人類の全体主義は正気に基づく全体主義である。狂っていれば治されるが、まともであれば、自由と平等が保障される。換言する。病的な心から発する全体主義は自由と平等を阻害する。これに対して、健康な心から発する全体主義は、人間の精神の究極の心性である「さとり」(精神構造Ⅶ型:超制御状態)を起点として見積もれるので、自由と平等を保障する百億人の民主主義である。


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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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