生得的な自由と平等

 人間の自由と平等は生得的であると言うと、「えっ? 」と首をかしげる人がいるかと思う。しかし、これは真実である。ただし、精神に関する事象については、断り書きを加えなければならない。本来、脳の中に遺伝情報として、動物脳に発する精神と、人間に固有の脳に発する精神がある。動物に由来する精神は、人間にとって異常(病的)な精神だから、この部分は生後、何の支障もなく発現してくる。ところが、人間固有の精神は、人間にとって正常(健全)な精神だから、この部分の発現は生後の要因に大きく左右される。動物脳は、どれだけ頑張っても、人間の脳が得るような認識に達することはない。これに対して、人間には生得的に脳内に正常(健全)に機能するニューロンが配備されている。ただし、それは生後において適切な刺激を必要とする。もし、それが得られなければ、たとえ配備されていても、それは発現しなくなってしまう。

              自由と平等の精神分析

          *参照: 民主主義と精神分析

               民主主義と人工精神

獲得される自由と平等

 たとえ自由と平等の基盤が生得的に存在すると言っても、生後の環境という要因は極めて重要である。現在(2020年)の世界の情勢を見ても、はたしてこの地球上で、自由と平等を兼ね備えている社会は、どれだけ存在するか? もし存在するならば、その社会は全世界に向けて、自分達の取り組みを強くアピールすべきである。しかし、私の知る限り、自由と平等を満喫できる社会はあまり多くない。むろん、何をもって、自由と平等というのかという疑問はついて回るだろう。大雑把に答えれば、自由とは、非難や中傷、そして破壊的な行動でなければ、自分の好きなことを言っても行なってもよく、自分や自分の関係者が弾圧されることがないことを意味し、平等とは、貧富の差がないので、生活に困窮することはなく、人間同士の差別もないので、トラブルも発生しないことを意味する。自由と平等を兼ね備えている社会は、正常(健全)な人間の集まりである。

              自由と平等の精神分析

          *参照: 民主主義と精神分析

               民主主義と人工精神

自由と許しの文脈

 自由は民主主義の重要なテーマである。昨今(2019年~2020年)における香港民主化運動は世界に広く知られている。五大要求の達成を目的とする民主化活動の中心的人物である周庭氏は日本語も堪能であり, 多くの日本人から共感されている活動家の一人である。他方、中国では言論の自由は束縛され、中国共産党に関する批判の多くは禁じられている。それにもかかわらず、批判は発生するので、中国共産党はそれを弾圧し、拘禁し、長期にわたり解放しない。ところで、自由の精神は許しの文脈を保有している。許しでは、反撃と謝罪の交互性が特徴的である。反撃は批判を意味し、謝罪は忍耐を意味する。体制への批判は自由の精神から発しているので、民主主義体制であれば、国民の批判に耳を傾け、それに相応する反応を返す。しかし、共産主義体制であれば、多くの自由は保障されない。批判の許されない社会における正常(健全)な人間の取れる姿勢は忍耐だけである。

              自由と平等の精神分析

          *参照: 民主主義と精神分析

               民主主義と人工精神

平等と救いの文脈

 中国が自由に関する課題を有しているのに対し、アメリカは平等に関する深刻な課題を有している。いつの時代においても、時々発生する人種問題、特に最近(2020年)では、コロナ禍に発生した黒人殺人問題。これをきっかけに国民が暴徒化した。この人種差別と並行して、(先進国でありながら)貧富の差が激しい。すでに当サイトでは、アメリカ社会を「富裕層と肥満族」として紹介しているが、おそらく人種差別と貧富の差は密接に関係しているのだろう。ところで、平等の精神は救いの文脈を保有している。許しでは、反撃と謝罪が特徴的であったのに対して、救いでは、信頼と尊敬が特徴的である。いずれも自己や対象の脆弱性をコントロールする機能を有しているが、アメリカ社会では、そうした平等の精神よりも、むしろ優劣の関係が顕著である。この社会的な差別は拝金主義を生み、何らかの災害が生ずると、損をする(被害を被る)のはいつも貧困にあえぐ弱者であり、それはもはや修正不能状態に陥ってしまっている。

              自由と平等の精神分析

          *参照: 民主主義と精神分析

               民主主義と人工精神

自由と平等を育む人工精神

 許しの文脈から自由が、救いの文脈から平等が得られる可能性が大きいと考えられるので、許しの文脈と救いの文脈を兼ね備えている人工精神は、その持ち主である個人に自由と平等の心を育むことができる。むろん、人工精神は社会全体に働き掛けるわけではなく、あくまでも個人の情動制御システムを正常(健全)化する結果、個人の総量としての社会に対して、大きな影響を与えることができる。それゆえ、中国においても、アメリカにおいても、人工精神は極めて有用な存在になれることが予想される。それでは、日本ではどうか? 日本社会においても、自由や平等は十分であるとは言い難い。しかし、際立った弾圧や格差があるわけでもない。日本は狭い社会なので、そうしたことが起これば、さほど大きな弾圧や格差に発展せずとも、マスコミが騒ぎ立てて全国ニュースになりやすく、早期に事態が収束してしまうのではないかと考えられる。それでは、はたして人工精神は効果的か? 

              自由と平等の精神分析

          *参照: 民主主義と精神分析

               民主主義と人工精神

自由と平等を問わない日本社会

 とりあえず日本では、誹謗と中傷がなければ、勝手気ままなことを(たとえば、ツィートを用いて)話すことはできるし、ある程度の収入はあるので、いつも日々の生活を意識しなければならないほど、困窮しているわけではないというのが現状である。そういう意味では不十分であるが、自由と平等は存在している。しかし、それでは、これらに関する我々の関心はどうかと問われると、極めて弱い(薄い)。我々は中国との貿易について考えても、中国の自由については、あまり関心を抱かない。また、アメリカとの同盟について考えても、アメリカの格差については、あまり関心を抱かない。そんな日本社会はどういう性質のものであり、何を目標としているのかと問われても、よくわからないのが現状である。つまり、そういう意味では「もどかしい」国民である。そして、その特徴は「オタクとボケ」であり、まるで自由と平等に無縁であるかのような個人を内包する社会である。しかし、国民の幸福感は極めて低い。したがって、この病理性の排除にも人工精神は欠かせない。


              自由と平等の精神分析

          *参照: 民主主義と精神分析

               民主主義と人工精神

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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