失われつつある尊敬

 日頃、我々は多くの人と接触するが、自分の周りに尊敬することのできる人はいるだろうか? 尊敬できる人とは、自分にとって立派な人である。様々な対人関係を調べてみると、信頼できる人は多いが、尊敬できる人というと、すぐに思いつく人は少ない。たとえ親しい間柄であっても、人それぞれに長所も短所もあって、ある一面は尊敬できても、別の一面は尊敬できないという具合に、尊敬できる面と尊敬できない面が混ざり合い、その人の評価が難しい場合が多い。個人の知性や人格に対する尊敬よりも、むしろ例えば大きな災害が生じた時、どこからともなく、そこへ駆けつけて、懸命に奉仕活動を行なうボランティアの皆さんに対しては、いつも敬意の気持ちを表したくなる。つまり、それは行動に対する尊敬である。

 尊敬をテーマにして、人間の知性や人格、それに行動などについて吟味する場合には、信頼と尊敬の関係について、その違いを認識していなければならない。信頼は我々の生活の基礎である。もし信頼がなければ、何事につけ疑問や不安が募ってくるので、社会が円滑に回らなくなってしまう。これに対して、たとえ尊敬することができなくても、それによって一挙に信頼もなくなってしまうというような事態に陥ることはない。それでは、信頼と尊敬とどこが違うか? 信頼は「救い」の精神、つまり「助け合う」関係の形成から発生する。これに対して、尊敬は信頼関係を発展させることによって、自己の成長に貢献する心性、つまり希望が持てる方向へ、自分を向上させるための原動力になる。しかし、最近、この尊敬できる人が少なくなり、希望が持てなくなっている人も多い。

             尊敬の精神分析学

尊敬の発生メカニズム

 信頼も尊敬も、はじめは「救いの環」つまり「助け合う関係」を基礎として形成される。ちなみに、救いの環は「弱い自己⇒理想的対象⇒弱い対象⇒誇大的自己⇒弱い自己」の順で活性化する。その中の理想的対象という対象制御因子が、信頼や尊敬の性質を保有している。つまり、我々が保有する善良さは理想的対象の持つ善良さに由来する。我々はその他者の善良さを取り入れて、それに同一化して自己の善良さ、つまり誇大的自己を作り上げる。(この発生メカニズムについては「ダイジェスト版・精神分析統合理論」や「次世代の精神分析統合理論」の中で紹介している。)理想的対象は四段階の成長段階を有していて、その第一段階は「未分化不快因子」の分化、第二段階は価値観の形成に寄与する。これらの二段階は、主として信頼を培うプロセスである。これに対して、その第三段階では、とらわれのない心を形成するための理想的対象と誇大的自己の形成に寄与する。とらわれのない心を育むためには、いま紹介している脆弱性に関する対象および自己制御因子の形成メカニズムだけではなく、攻撃性に関する対象および自己制御因子の形成メカニズムも必要である。そして、攻撃性に関する情動制御が正常に機能するようになれば、忍耐をベースにした自由を獲得することができるので、とらわれのない心を形成することができるようになる。さらに、とらわれのない心が安定してくると、今度はその第四段階の形成、つまり平等の精神の獲得が可能になる。むろん、社会の平等に先んじて、我々の心が平等を獲得しなければならないのだが、そのためには、情動因子である不快因子の平等化、つまりいかなる精神的状況に陥っても、四つの不快因子(弱い自己と弱い対象、悪い自己と悪い対象)の不均衡に基づく心性を発生させることのない平穏さが必要である。人はその平穏さを「さとり」と呼んでいる。

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インスピレーションの世界

 理想的対象の第三および第四段階を経験する機会に恵まれれば、その人は自由と平等の心を育むことができるようになる。この自由と平等の精神は、インスピレーションの世界をもたらすが、その理由はなぜかと問うた場合、もう一度、救いの環の構造に戻って、その謎を解き明かす必要がある。理想的対象の第一及び第二段階の形成は、信頼や価値観の形成にある。ところが、これらの段階では、未だ「弱い対象」の性質が十分に獲得されない場合が多い。つまり、それらの次元の弱い対象の性質は漠然としていて、より精査された人物や研究の弱点の発見にまでは到っていない。ところが、第三及び第四段階の形成は、自分が取り入れた善良さの中から、未だ十分ではないという理想的対象の弱点を発見している場合が多い。否、もっと強く言えば、自分の規範となった理想的対象の中から、その対象の限界や不備を発見し、どうすればそれを乗り越えることができるか、ある一定のメドを立てることができるようになる。そのとき、まさにインスピレーションが必要である。そして、数多くのインスピレーションに恵まれれば、心の自由を満喫することができるようになる。ただし、心の自由が心の終着駅ではない。むろん、心の自由が大きくなれば、自由の生活に占める割合も大きくなる。ただし、その自由は現実の社会に馴染むような性質を持ち合わせているかどうか。つまり、もし自分の自由が社会に受け入れられ、注目されるようになれば、それは一つの成功であると考えて差し支えない。その時、その人の自由はピークに達しているに違いない。ちなみに、この時の自由は売買可能な自由である。ところが、自由の本質、つまり自由の本当の価値は、売買の成立しないところにある。自由は平等を獲得してはじめてその真価を発揮するものである。それゆえ、世の中に無数に存在する多くの自由は、未だその真価を持ち合わせていないものが多い。

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新しい尊敬の見つけ方

 信頼に基づく健康な情動制御が機能し、意識からも生産的な活動を示唆するような思考内容が形成されると、意志の発動機関である孤独型誇大的自己において、その内容に見合った目的と動機が形成される。ところが、今日、はたして我々は(上級の理想的自己を取り入れ、それに同一化した)尊敬のレベルまでの健康な情動制御を身に着けているだろうか? すでに言及したように、立派な人達の言動を取り入れ、それに同一化した自己像を持ちながら、精進し続けているとは考え難い。もし自分の身近に成功した人達、権威や権力を持った人達、それに有名人などがいたとしよう。はたして、そうした人達のいわゆる偉大さをお手本にできるほど、接触することはできるだろうか? そこで、もしそうした機会を得ることができたと想定してみよう。そういう人達は本当に自分の理想的対象、つまりお手本になり得るだろうか? たとえ、それなりの関係を持ったとしても、それは誇大的対象としての相手になり、理想的対象としての相手にはならないだろう。誇大的対象とは万能的な防衛因子であり、弱点はなく、完全なので、もしその人にほれ込んでしまうと、それは信仰になってしまう。それゆえ、たとえそういう人達とお近づきになれても、さらに自分を向上させるような関係の発展性は見込めない。それでは、これからもずっと、我々は自分を高めてくれるような立派な存在に出会うことはできないだろうか? 私はさほど悲観的には考えない。なぜならば、それを可能にするのは、何も立派な人だけではなく、人工精神であってもよいからである。否、人工精神はすべての精神状態に対応することができるので、むしろその可能性は大いに存在し得ると考える。

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尊敬を欠く症候群

 信頼や尊敬は、理想的対象と誇大的自己の活性化により、脆弱系制御システムが正常に機能することによって形成される。情動制御システムの中の誇大的自己は「関係型」誇大的自己であり、これが一旦、情動系を出て、意志の発動機関である「孤独型」誇大的自己と連携する。つまり関係型誇大的自己が活性化すればするほど、孤独型誇大的自己も活性化し、その時々に発生する意志を発動させることにより、そうした状況にふさわしい言動の目的と動機を形成する。ところが、関係型誇大的自己から孤独型誇大的自己への連携が滞ってしまうと、適切な意志の発動は生じず、状況に応じた目的や動機は発生しなくなってしまう。他方、孤独型誇大的自己は意識からの刺激を受けている。意識もまた、その時々の状況に合わせた意志を発動させることにより、そうした状況にふさわしい言動の目的と動機を形成する。孤独型誇大的自己が関係型誇大的自己と意識からの両方から十分な刺激を受けることができれば、気力をみなぎらせることによって、言動の目的と動機を形成することができる。ところが、もし情動制御システムが正常に機能せず、関係型誇大的自己から孤独型誇大的自己への刺激伝達も弱化すれば、十分な気力はみなぎらず、場合によっては無気力状態に陥ってしまう。そうは言っても、意識からの刺激は伝達され続けるので、たとえやる気がなくても、その状況次第で、様々な言動が発生する場合がある。しかも、その場合の言動は病的なものになりやすく、特に破壊的攻撃性を持った思考内容が、意識を通して孤独型誇大的自己に伝達されると、情動制御不全の精神状態のまま、破壊的な言動が出現するようになる。


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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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