意識と自意識(自我意識・自己意識)

 一般に、自意識は意識をベースとして発生し、意識の一部であると考えられている。また、意識が自意識に先んじて発生し、自意識は意識に付随した心的現象であるとも考えられている。しかし、自意識は(意識のない)夢の中にも存在し、意識との間に含意関係はない。つまり、自意識は意識とは全く別の発生メカニズムを持っている。

 自意識を取り上げる前に、意識を取り上げた方がわかりやすいのではないかと思われるかも知れない。しかし、意識の機能に比べ、自意識の機能の方が広いので、自意識の輪郭がはっきりすれば、自ずと意識の正体もつかみやすくなる。基本的な意識の機能は、様々な現象に関する理解や判断にある。それをどのように理解し、判断するか?もし、この意識の機能のメカニズムを正確に知りたければ、意識が機能しやすくなるように準備をし、しかも整理する自意識の機能をはっきりさせておいた方がよい。つまり、自意識はどういう疑問や不快を意識に提出する(気づかせる)か?そして、その後、意識はどのように対応するか?自意識は意識が機能する前後の具体的な内容と、そのプロセスを示す役割を担っている。

 生体内において、類似的、反復的な刺激伝達は絶えず発生するので、「集中・直観・洞察」という一連の心的現象の中で、意識と自意識の共同作業は、多角的な見地から、様々な種類の課題に対して、ほとんど同時に並行して行なわれる場合が多い。そうした状況の中において、つまり、忙しく仕事をしている多くの時間において、我々はいま意識が機能しているとか、いま自意識が機能しているとか、そういうことすら考えていない。作業に没頭して疲れてくれば、その時に我々は意識のことを思うだろうし、あるいは何か話していて嫌な気持ちになれば、その時に自意識のことを思うかも知れない。それゆえ(集中して)夢中になっている間、意識でさえ無意識的であると言える。

 

                      意識の正体

意識の正体は迂回路にある

 最も単純な例を挙げよう。ある動物が何か餌を見つけて食べるとしよう。餌には、a(a'、a"・・・)とb(b'、b"・・・)の二種類があると仮定する。a列の餌は栄養になり、b列の餌は毒物である。もし、その動物がa列の餌を食べ続けられればよいが、自然の中から見つけるわけだから、当然、b列の餌を間違えて食べてしまうこともある。もしb列の餌を食べると、そのうち死ぬから、それを避けなければならない。その機能として、意識が発生し、a列とb列の餌の内容を理解し、判断する。つまり、意識は生命現象の維持に必須の機能である。この意識にとって必要な条件とは、まず、空腹(つまり不快)が動因系として機能するという前提がいる。次に、a列を食した時の快つまり報酬系、b列を食した時の不快つまり嫌悪系が必要である。むろん、もし自然界にa列だけの餌しかなければ、選んで見つける必要はなく、よって意識は必要ない。有能な知覚系と有能な運動系があれば、用は達する。ところが、そこへ食べてはいけない餌が出現すると、事態が複雑化する。つまり、b列を食しようとすると、意識が「待った!」をかける。こうした状況を神経伝達として表現すると、まず「a列を食べようとする」と「b列を食べようとする」という二重の神経伝達が存在する。次に、a列を食べようとしても、b列を食べようとしても、それが意識ニューロンを刺激する。しかも、意識ニューロンは、逆行性収斂を特徴とするフィードバック機構を持つので(後述)、食べる前に、a列では報酬ニューロンが、b列では嫌悪ニューロンが、それぞれ意識ニューロンを刺激する。すると、意識は「これはOK」「これは駄目」という結論を出すが、この機能を集約すると、意識とは「意識ニューロンによる迂回路の形成により、有化と無化を選別し、有化の方をベクトル化する機能」であると言える。意識が有化した方(上記の例では報酬系が関与するa列)をベクトル化することによって、前意識に存在する記憶・模倣・学習のプロニューロンにつなげる。情動制御システム(情動系神経回路機能網)の中の制御因子もまた前意識に存在する。ちなみに、「入れ子構造」と「再帰性」という概念がある。これらは密接に関係するが、「入れ子構造」と言えば、それはすでに形成されて前意識に存在する。これに対して、「再帰性」と言えば、意識がその「入れ子構造」を用いて「再帰性」を機能させるということを意味する。

 

                       意識の正体

意識体験(驚き)

 意識に関する研究を試みようとする場合、その目的や機能について考察する前に、実際に我々が体験する意識は、どのような状態であるか、できるだけ実感の持てる現象的な側面から、何を理解していくかが、重要なポイントである。なぜならば、我々が目覚めた時、(何らかの事情がない限り、)いきなり動いたり、喋ったりする人はいないわけで、まず目覚めた時の意識の状態を観察し、把握するところから始めるからである。

 何か不快があって、そのために目覚めざるを得ないという場合を除き、通常はすっきりした(爽やかな)状態で目覚めることが多い。そして、その次に、突き上げる何らかの欲求に対して、それを解消する方向へ活動を開始するのだが、そうした活動を矢継ぎ早に行なうと、すぐに意識は疲れ、再び眠くなる。つまり、最も素朴な意識体験として、我々はすっきり感や眠気を絶えず繰り返している。その他にも、いくつか共有することのできる意識体験がある。たとえば、退屈するとか、びっくりするとかなどである。解決すべき課題がなくなると、注意や関心が薄れ、つまらなくなるし、ちょっとした些細なことであっても、不意な状況に出くわすと、「ああ、びっくりした!」と驚く。こうした退屈や驚きは、知覚系や思考系、それに情動系の体験ではなく、意識そのものが体験する現象である。

 たとえ目覚めていても眠くはなく、しかも取り組むべき課題もなければ退屈する。ただし、そうした刺激がなくても、さほど退屈せず、むしろ余暇(や仕事)を楽しんで過ごせる人もいる。何かを考えることも、何かを作ることも楽しいことである。つまり、そうした作業(あるいは想像)に夢中になっている間、意識は前意識と蜜月時間を過ごしている。前意識には、すでに習得した知識や技術があるので、それを用いて作業(あるいは想像)を進めることができる。また、たとえ外界(や無意識)からの刺激が弱くて小さいものであっても、そうした状況が不意を突いたもの、つまり予測しなかったものであれば、我々はびっくりして、飛び上がる。ここで重要な事は、時と場合によって、我々は些細なことにも驚くという点である。通常、意識のフィードバック機構が機能するので、ちょっとした刺激を予測し、予めその対応を準備して、あまり驚かないようになっているが、すべての状況に対して予測しているわけではないので、やはり驚きは生ずる。ちなみに、驚きは感情(情動)ではないので、驚きの後に続いて、何らかの感情を誘発する場合がある。

 辞書で、驚きを表わす言葉について調べると、唖然、呆然、愕然という言葉が載っていて、その違いを説明している。特に唖然は、あきれて言葉を失うという意味なので、それは意識ニューロンに「不応期」が生じたのではないかと疑わせる。何か(環境や身体という外部を含めた)無意識からの刺激と、(それを処理するために)いつも意識が当てにしている前意識のネットワークからの情報とが、意識ニューロンで衝突し、不応期に陥る。もし不応期に陥れば、神経伝達は暫し停止するだろう。しかし、唖然としなくても、それに似た意識体験はたくさん存在する。たとえば、数学の問題を解いていて、それが解けた瞬間、「わかった!」と閃く。その瞬間には直観が生じている。しかも、閃いた瞬間、問題も解答も(一時的に)意識から消失している。(閃いた瞬間が「不応期」であると表現できなくもない。)それゆえ、直観もまた意識体験であるが、その場合は、予測性が機能するので、ひどく驚かない場合が多い。その後、実際に解答を作る時、自意識が(意識の助けを借りながら)直観のプロセスを遡るようにして、その全体を再現(有化)する。

 

                        意識の正体

意識が関与する神経伝達経路

 1、二種類存在する二重の神経伝達経路

 意識の介在(の有無)をめぐって展開される二重の神経伝達経路は二種類存在する。ひとつは「前意識⇔無意識」と「前意識⇔意識⇔無意識」の二重性である。そして、もうひとつは「前意識a⇔前意識b」と「前意識a⇔意識⇔前意識b」の二重性である。

 前者は、自意識だけの場合と、意識と自意識が錯綜する場合の二重性である。この場合、意識は収斂してくる、無意識からの入力刺激と前意識からの入力刺激を差別化する。

 後者は、前意識に属する自意識だけの場合と、意識と前意識に属する自意識が錯綜する場合の二重性である。この場合、意識は収斂してくる、前意識aからの入力刺激と前意識bからの入力刺激を差別化する。

 

 2、二重の神経伝達経路の持つ意義

 二重の神経伝達(つまり、意識ニューロンによる迂回路の形成)によって、意識はもちろんのこと、前意識を中心とした脳全体が進化した。ここでは、そのプロセスについての推論を試みる。だいたい、五段階ぐらいに分けて考えることができる。

 第一段階では、無意識から意識への入力刺激と、意識から無意識への出力という往復の単調な営みであった。

 第二段階では、無意識から意識への入力刺激(の一部)を記憶するという段階に進み、意識から前意識への出力という、それまでとは対照的な別ルートが形成されるようになった。

 第三段階では、無意識から意識への入力刺激と同時に、前意識から意識への(記憶を含んだ)入力刺激が発生し、それらが意識野で収斂、あるいは衝突するようになった。

 第四段階では、収斂し、時には激しく衝突するようになった神経伝達を、意識は(ある刺激を無化して消滅させ、別の刺激を有化してベクトル化し、)前意識に送り出すようになった。

 第五段階では、様々な学習が可能になった前意識において、神経伝達経路が網の目状態に発達し、もし無意識から意識へ何らかの入力刺激があれば、意識のベクトル化を契機として、その刺激を前意識に呼び込み、処理するようになった。むろん、その時には、絶えず意識が前意識の神経伝達のあり方を監視し、修正する役割を果たしている。その結果、前意識に属するニューロン同士は極めて密接な連携を行なうことができるようになった。つまり、意識の要求に応じて、いつでも利用可能な状態に準備されるようになり、しかもその神経伝達経路をさらに合理的なものにするための工夫が、(前意識同士の連携に介在する)意識の迂回路を通してなされている。(記憶のある言動は前意識経由の出力系であり、記憶のない言動は無意識経由の出力系であると考えて差し支えない。)

 

 *『次世代の精神分析統合理論』の中では、意識ニューロンの神経伝達経路を図示してある。

 

                       意識の正体

意識の機能

 意識の機能は理解と判断にある。理解は意識ニューロンの差別化に、判断は意識ニューロンのベクトル化に由来する。ここでは、それらについて視点を変えながら、まとめ直しておく。

 1、理解と判断

 第一は、知覚系、思考系、それに情動系に関する理解である。すでに、脳内神経回路機能網について紹介したが、その神経伝達のあり方や内容を、様々な現象と関係づけて理解することができる。

 第二は、不快ー防衛系の理解と状況判断である。不快ー防衛系は動物脳に由来する主観体験であり、人間にとって、これは異常心理の発現を意味する。ただし、それは(心の正常・異常を超えて)生命にとって危険な状況を判断する。

 第三は、快の追求によって生ずる好奇心を理解する。好奇心そのものの発生は、あくまでも不快ー制御系(前意識)に由来する。好奇心は様々な動機を維持し、学習によるメタ機能を発達させる。

 第四は、不快ー制御系の理解と価値判断である。不快ー制御系はヒト脳に固有の主観体験であり、人間にとって、これは正常心理の発現を意味する。しかも、我々は価値観に基づいた、様々な存在の重要性についての判断を行なう。

 

 2、差別化とベクトル化

 (日常に関する些細な疑問から、人生を左右する一世一代の課題までを含む)様々な(不快を中心とした)刺激に対して、意識はフィードバック機構を用いて、逆行性収斂を形成する。そして、それによって可能になった(それぞれの刺激が引き起こす)予測を取捨選択する機能を持つ。

 この場合、主として三つのレベルに選択肢が存在する。

 第一は、不快ー防衛系である。これは動物心性であり、その中心的テーマは「闘争か、それとも逃走か」である。

 第二は、快の追求である。その代表的な心性は好奇心である。むろん、好奇心のあり方は千差万別である。

 第三は、不快ー制御系である。これは人間に固有の心性であり、その中心的テーマは葛藤である。

 上記によって取捨選択されたある刺激を、意識はベクトル化し、判断能力を示す。つまり、意識は前意識に対して、新たな神経伝達経路の作成や、既存の神経伝達経路の使用を促す。

 この場合も、上記に呼応して、三つのレベルに選択肢が存在する。

 第一は、意識野に侵入する不快因子と防衛因子が接続する神経伝達を生じさせる。その結果、病的な人格傾向や症状形成が出現する場合がある。

 第二は、様々な疑問や課題に関する関心や好奇心が、非選択的な神経伝達を生じさせる。学習されたメタ機能に基づいて、様々な神経伝達の手順が形成され、具体的な対応が得られる。

 第三は、不快を解消するために、選択的な神経伝達を生じさせ、それが時には深刻化する場合がある。それぞれの状況に応じて、14個の情動因子によって構成される情動系神経回路機能網(情動制御システム)が機能し、それによって状況判断だけではなく、価値判断も行なわれる。

 

                        意識の正体

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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