希望の精神分析学

 我々の心には様々な精神力動を作り出す刺激伝達のサイクルが存在する。希望もそのサイクルのひとつである。今回は、希望が発生したり、あるいは消失したりする、そのプロセスを(細かく記事を区切らずに)、まとまった一つの記事として掲載し、この内容を一瞥すれば、その様子がわかるように紹介する。「希望とは? 」から「再び希望」まで辿ってみれば、そこにはかなりの数の心性が関与していることがわかるだろう。このサイクルをいつでも意識化することができるようにしていれば、自分の精神状態を知ることができる。

 1.希望とは? 

 希望とは何か? という問いの中に、最も素朴な答えを準備すると、それは「明日に託す思い」である。その明日に託す思いについて、もう少し丁寧に説明すると、「いま感じている限界を、あす乗り越えることができるという確かな思い」である。どうすれば、この「限界から進展へ」という心のプロセスを歩むことができるか? 希望は誇大的自己の活性化によって生ずる。この誇大的自己を活性化するためには、理想的対象を取り入れなければならない。その取り入れ、つまり尊敬に値する理想的対象の取り入れに関しては、すでに「成長する理想的対象」について紹介している。取り入れる理想的対象のレベルが上がれば上がるほど、それが自分の力、つまり誇大的自己の成長になり、希望を作る礎になる。

  「様々な人格傾向の精神力動」参照

  「尊敬の精神分析学」参照

 2.破壊的攻撃性

 リラックスしている時には平穏な精神状態で過ごすことができても、何か労働を行ない、それによって疲労やストレスが生ずると、平穏で健康な精神状態は、防衛的あるいは病的な精神状態に変化する。その時、二つの刺激伝達経路が発生する。ひとつは不快の転送ルートである。この攻撃性を賦活するルートは日常的に生じている。そして、もうひとつは不快の逆転送ルートである。このルートは破壊的攻撃性を発生させる。その破壊性が脆弱系制御システムを攻撃するので、様々な異常心性が発生する。ただし、このルートは(誰にでも)日常的に生ずるとは言えない。もし心の健康度が高い人であれば、攻撃系制御システムがしっかりしているので、不快の逆転送ルートは抑制され、むしろ不快の快変換ルートが活性化されやすい。

 3.喪失体験

 破壊的攻撃性が、対象喪失や自己喪失を引き起こすと、深刻な精神力動が発生する場合がある。たとえば、自分の家族や自分の身体に何か悲惨な事が生ずると、心は一変する。それまで平穏に過ごせていても、心がショック状態に襲われると、心は「解離」状態に陥る。やがて、その解離から自分を取り戻すと、心は「喪の仕事」あるいは「悲哀の仕事」と呼ばれるプロセスを辿る。このプロセスは怒りと悲しみを体験しながら、愛する対象との別離を行なうプロセスである。それは攻撃系制御システムと脆弱系制御システムの連携を意味する。むろん、このプロセスをうまく抜けられるかどうかについては、普段の自分の心の健康さに拠る。なお、当サイトでは、すでに「対象喪失と自己喪失」を掲載している。

  「解離理論」参照

  「新しい精神分析療法:精神分析統合理論の臨床体験」参照

 4.絶望

 攻撃系制御システムにおいて、破壊的攻撃性が生ずると、それは不快の逆転送ルートを通して、脆弱系制御システムを侵襲する。すると、脆弱系の「不快―防衛系」が活性化し、様々な精神症状が出現する。当サイトでは、複数のページにわたり、それらの精神力動について紹介している。その症状形成のあり方については、情動制御システムを構成する情動因子の活性化の強弱や、それらが巻き込む知覚系や思考系の程度に拠る。それらの組み合わせが少しずつ異なって、様々な症状形成が行なわれる。その中でも、喪失体験は絶望や鬱、それに自殺念慮や自殺企図などを生じやすく、またそれらの回復が長引きやすい。喪失体験によって症状形成が行なわれると、喪の仕事、あるいは悲哀の仕事は完遂しない。

  「新しい心の分析教室:様々な精神医学(精神分析)用語」(Ⅱ)」参照

  「様々な精神症状の精神力動」参照

 5.忍耐

 平穏に過ごせていれば、不要な不快を感ずることもないが、何らかの災害に自分や自分の家族が巻き込まれると、悲しみや寂しさを超えた不快が我々の心を襲う。いきなり、怒りや憎しみが込み上げる場合もあろうが、たいがい不快の転送ルートを通して、攻撃系制御システムが活性化する。その場合、即座に報復するような思慮のない言動を取ることは少なく、むしろ情報の収集を急ぎ、それによって状況判断と現実検討を行い、その上で何らかの対応を引き出そうとする。もし、その対応が破壊的攻撃性に満ちた内容であれば、その言動は抑止されなければならず、さりとて、いま反撃する(たとえば訴訟を起こすような)タイミングでもないという時期であれば、謝罪的自己を活性化させ、とりあえず耐える。

 6.償い

 情動制御システムの中で「謝罪的自己⇔反撃的自己→誇大的自己」として表示することのできる刺激伝達経路のうちの「謝罪的自己⇔反撃的自己」は忍耐を、「反撃的自己→誇大的自己」は不快の快変換ルートを表している。不快の快変換ルートは、うぬぼれや償いを発生させる経路であり、この経路が活性化すれば、不快の逆転送ルートや自責回路の活性化は抑制される。つまり、破壊性や自罰性は減少する。むろん、この償いは心の中だけに発生するのではなく、現実的に何らかの補償が前提になり、心がその現実に追随するという場合が多い。不快の快変換ルートによって償いが機能するようになると、破壊的攻撃性に端を発する一連の不幸な精神力動は終息へ向かう。

 7.尊敬の回復

 あくまでも、償いの精神は「うぬぼれ」にある。だから、償う方も償われる方も、うぬぼれていると理解して差し支えない。それゆえ、償いは直接、感謝につながらない。もし感謝の思いが生じた時には、心の中に尊敬が芽生えつつあると理解することができる。この一連の心の流れについて説明を繰り返すと、償いによって信頼が生ずる。すると、その信頼が礎になって尊敬の思いが発生するという流れである。すでに、尊敬については当サイトの中に「尊敬の精神分析学」を掲載しているので、詳細はそちらに譲る。これもすでに紹介しているが、「成長する理想的対象」の中の第一段階や第二段階の理想的対象の取り入れは、我々が生きていく上で必要な事柄を学ぶための存在であり、そうした多様な価値観を持つ存在の取入れを意味する。

  「尊敬の精神分析学」参照

  「コロナ時代と人工精神」参照

 8.再び希望

 尊敬は「成長する理想的対象」の第一段階と第二段階の理想的対象の取り入れによって形成されるが、希望は「成長する理想的対象」の第三段階と第四段階の理想的対象の取り入れによって形成される。それゆえ、尊敬がなければ希望は生じない。しかし、それでは尊敬を失った時、希望もまた失われるか? これは、ケースバイケースである。具体的な希望が、直接、具体的な希望とリンクしていれば、片方が崩れれば、もう片方も崩れる。しかし、様々な理念が形成され、その理念によって希望が生み出されるようになっていれば、たとえ具体的な尊敬が失われても、それによって希望が失われてしまうことはない。そのような希望は長期的に人生を支えるが、その希望が尊敬を誘うことも日常的である。

 これは余談である。すでに私は高齢者であるが、はたして高齢者は誰を尊敬し、どのような希望を抱くのか? 私の場合、ずっと以前から希望を持ち続けている。かつては、精神分析統合理論の完成にあったが、それは成就されてしまったので、今は人工精神の創発こそ希望である。しかし、たとえ希望の形が変わったとしても、その背後には一貫した思いが流れている。だから、私の場合、希望を作るための尊敬を必要とはしない。私がありがたいと思って尊敬する人は、私の希望を叶えるための努力を始める若者である。

             希望の精神分析学

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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