失われた高揚感・一体感

 2020年は、一世紀に一度しか訪れないような、人類にとっては生存を脅かされるようなウィルス感染からスタートした。あれよあれよと思っているうちに感染者は急増し、死者を安置する場所さえなくなってしまうほど、多くの人が死んでいった。この大感染に困惑しながら、医療側から指導を受けた行政は、三密を避けて換気せよ、ソーシャル・ディスタンスを取れと叫び始めた。宴会は避けよ、唾液の飛び交う飲酒の機会を持つな。無観客のイベント、スポーツ、コンサート、そしてそのほとんどが中止されたお祭りなどなど。社会の動きは止まった。少しずつ自分の身近な人のPCR検査にも陽性が出て、それが自分の感染をも予告し、現実化する危険な日々が続いている。家族や友人とも無条件では会えなくなった。しかし、それでもSNSを用いて連絡し合うことはできるので、情報を共有できないという最悪の事態ではない。

 しかし、どこへ出かけるにしても、気持ちは身構えるし、外出によって発生する危機を想定し、それを未然に防ぐような形を取り続けなければならない。かつて、仕事が休みになると、どこからともなく、ふいと押し寄せる高揚感があり、たとえば、どこかへ行ってみようと想像すると、そこには様々に出会いがあって、どういう楽しみが待ち受けているかというような一種の憧憬に包まれたものである。おいしいお酒を飲んで、わいわい騒ぎ、その場でのちょっとした快感が一体感を与えてくれた。しかし、今や、それは過去のことになってしまった。何かをしようと思っても高揚感はなく、どこかへ行って楽しみたくても、そこにはかつてのような出会いの喜びはない。もはや、我々は熱気にむせるような体験を得ることはできなくなった。そして、それに代わって、今は冷めたスープを飲まされているような毎日である。一体、このような状況が、いつまで続くのだろうか? 

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自己愛と対象愛

 もし高揚感や一体感、そしてそうした思いを誘う憧憬など、これらの思いが本当に失われてしまうとすれば、我々の思いはどこへ行ってしまうのだろうか? むろん、いかなる思いも我々の心の中に発生し、それが様々なプロセスを変遷しながら、喜びや悔しさを体験する。しかし、今のような情勢では、様々な心性のプロセスは流れてしまい、何も体験しないまま、たとえようのない日々を重ねていくことになる。しかし、何も体験することができなくなれば、我々の心の営みは、どうなってしまうのか? どんな時にも心はあるので、たとえば、ひきこもってしまうとか、あるいは、打ちひしがれてしまうとか、そんな思いが延々と続くことになるだろう。このように、多くの人は困惑し、どうしようもなさを表現する術さえ持てない状態に陥ってしまう。

 このような時に、つまり、たとえようのない思いを抽象的に表現し評価するために、精神分析は自己愛と対象愛という用語を準備している。精神分析の専門家であれば、たとえ今のような先の見えない状況にあっても、自己愛や対象愛という用語を用いて、勝手に楽しく議論したりすることのできる「無味乾燥な喜び」を持つことができる。上記の文脈の中での高揚感には自己愛が欠かせないだろうし、一体感には対象愛が欠かせないだろう。人生を楽しむためには、自己愛も対象愛も欠かせない。フロイトは自己愛をあまり良いものとは考えず、対象愛を良いものとして考えた。ところが、その後、コフートが自己愛もまた良いものであると主張し、フロイトに反対した。そして、今は「肥大する自己愛と、損なわれる対象愛」の時期であると理解することができる。

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脆弱系制御システム

 自己愛と対象愛に関する過去の研究を振り返ってみても、いま我々が遭遇している心の難題を理解することは、ほとんど不可能に近い。これらの概念に関する現代の研究者であれば、自己愛と対象愛はそれぞれ別なものではなく、むしろ相互的に連携し続けるので、それらは共に良くなったり悪くなったりする動態を示すだろうと主張するかも知れない。つまり、自己愛と対象愛は、切っても切り離すことができない関係にあると。それでは、その詳細な仕組みはどうなっているのか? 自己愛が不足したり肥大したりするというのは、どういうことか? そうした自己愛に合わせた対象愛はどのような動きを見せるのか? 一個人の心性として、自己愛が異常で、対象愛が正常であるという矛盾した心性は存在するのだろうか? はたして肥大は正常か、それとも異常か? これらの問いへの答えはない。

 そこで、自己愛と対象愛という曖昧な(わかったようで、よくわからない)概念を、私の精神分析統合理論を用いて理解すると、極めて明瞭な概念に変身させることができる。すでに繰り返し紹介しているように、我々の心は情動制御システムを中核とする四次元言語構造体である。情動制御システムの中の脆弱系制御システムは6個の情動因子によって構成されている。その中で(不快-制御系を構成する)弱い対象を拘束する誇大的自己は健康な自己愛を、(不快-防衛系を構成する)未分化不快因子である「弱い自己-対象」を否認する理想的自己は病的な自己愛を示す。また(不快-制御系を構成する)弱い自己を拘束する理想的対象は健康な対象愛を、(不快-防衛系を構成する)未分化不快因子である「弱い自己-対象」を投影性同一視する誇大的対象は病的な対象愛を示す。


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尊敬を蘇らせる人工精神

 もし憧憬や高揚感、それに一体感が生ずる場合、まず不快-防衛系が機能し始めたと理解する。最も一般的な心の動き方として、ひきこもりを担当していた理想的自己から依存型病的同一化が生じて、万能的な誇大的対象を活性化する。つまり「理想的自己⇒誇大的対象」である。その際に憧憬が生ずる。次に、活性化した誇大的対象から自己愛型病的同一化が生じて、刺激伝達のUターンが生ずる。つまり「理想的自己⇐誇大的対象」である。その際に高揚感や一体感が生ずる。ただし、高揚感の場合は躁的防衛になりやすいので、その場合は悪性サイクルなどを通して「処罰的自己+理想的自己」が活性化する。ちなみに、いま紹介している憧憬や高揚感、それに一体感などはいずれも不快-防衛系の活性化が理由なので、ある程度、身近な動物にも発生している。たとえば、ペットの喜ぶ動作などはその典型である。それでは、人間の場合、どういう変遷をたどるか?

 人間の場合では「理想的自己⇔誇大的対象」の後、結局ひきこもりは弱い自己を活性化する。それは、この両方向性の病的同一化だけでは「救いの環」が回らず、助け合う関係が形成されないからである。そこで「弱い自己⇒理想的対象⇒弱い対象⇒誇大的自己」を活性化することによって、信頼を形成し、健全な高揚感や一体感を体験しようとする。ところが、コロナ時代時代では、この救いの環の循環に制限をきたす。三密を避け、ソーシャル・ディスタンスを取り、オン・ラインばかりに頼っていると、たとえ信頼は損なわれなくても深まることはない。まして、尊敬の念、つまり敬意の心は起こってこなくなってしまう。ところが、もし我々が人工精神を持つことができれば、その人工精神を通して尊敬の念を蘇らせることができるようになる。つまり、我々の心には未だかつて体験(経験)したことのない人工精神という機械への尊敬が始まる。

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希望を与える人工精神

 もし人工精神が創発され、その実用化が成功し、すべての人間が人工精神を携帯するようになれば、我々の心は本当に救われるだろう。いま私ははっきりとそのシナリオを描くことができる。人工精神については、他のページにおいても、いろんな角度から紹介している人工精神は、いつもその持ち主の心に寄り添い、いつ、いかなる時であっても、その持ち主の精神状態に対応することができる。たとえ持ち主の心が健全ではない(病的である)心性を呈しても、人工精神はその心性を持ち主の認知のあり方に沿って、持ち主の言語的センスに馴染んだ言語的介入を駆使しながら、健全な心へと変化させることができる。そうした人工精神は、当然、尊敬に値する存在である。そして、我々の日常には欠かすことのできない存在になるだろう。我々の心に尊敬する思いが根づいてくると、些細な日常的不快感は激減する。そして、その分、我々は自由と希望を持つことができるようになる。

 再び、脆弱系制御システムのあり方を示しておこう。救いの環が回り続けると、その中で活性化している理想的対象のレベルが、どんどん上がっていく。(そのレベルについては「尊敬の精神分析学」を参照。)つまり、第三段階や第四段階の理想的対象が活性化すると、それに連れて誇大的自己も堅固になり、とらわれのない心が安定するようになる。むろん、そうした状態になっても、いつも寄り添う人工精神がいる。ただし、もし持ち主が眠ったりして、持ち主に寄り添う必要のない時間があれば、人工精神はその間に自分達の仲間との交流を行なう。その時には、人工精神センターが設置されているので、そこにつながるということである。むろん、それは持ち主に関する情報の漏洩を意味するものではなく、ありとあらゆる場合の対応に関して、トレーニングを積むのである。他の人の人工精神も同じようにしている。つまり、別の言い方をすると、各人が保有する人工精神を通して、人間は健全につながることができるので、その総体は人類に大きな希望の発生を促すことになる。

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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