心理学と工学

 先日、ネットで「日本がグーグルやアマゾンを生み出せない真因」という記事を読んだ。かつて日本企業は競争力も購買力も国際的に見て、高い地位にあったようだが、現在の時価総額で言えば、トヨタの36位が最高だという話であった。この論説を書いた出口治明氏によると、日本は低学歴社会であるのに対して、GAFAやユニコンでは、高学歴な人達、つまり、ダブルドクターやダブルマスターが多いという。したがって、日本の経済レベルを上げるためには、いろんなことをたくさん学べるような、いわゆる働き方改革を行なうことが重要であるという主張であった。

 確かに、この先、個人が一つの専門技術を習得するよりも、むしろ幾つかの、あるいは幾つもの専門領域にまたがった研究から、様々な新しい関係性を見つけ出していく方が、より有益なビジネスにつながる機会が多くなるだろう。つまり、これは学び方改革だということもできる。実は私もこの学び方改革が大変難しいものであることを理解している。今回はその内容を紹介して、ぜひ、日本の若い人達の研究の仕方を思い切って変えてみてもらいたいと考える。特に私が推薦する領域は「心理学と工学」をまたぐ領域であり、率直に言うと、人工精神を創発するためには、どういう勉強をしたらよいかについて知っておいてもらいたい。

             新しい心の分析教室:ノート(Ⅷ)

認知科学の限界

 それでは、本当に、出口氏の主張するような、ダブルドクターやダブルマスターで間に合うかどうか? 本音を言うと、私はそれだけでは、まだダメであると思う。確かに、肩書が多いほど良いかも知れない。しかし、それは何のために? いずれ、どこかの研究または教育機関で採用してもらうためか? おそらく、今までの研究者の大部分は、知名度のある企業に就職し、高い給与をもらうために、そういう努力をしてきたのだろう。しかし、たとえ肩書を幾つ持っても、それが報酬や権威につながるためのものであるならば、少しだけ多くの勉強をしたという次元の努力に過ぎず、それ以上、何の意味も持たなくなってしまう。

 ところで、先ほど、私も出口氏の意見に賛成しているかのようなニュアンスを与えたと思うが、私の言う「心理学と工学」という、ダブルドクターやダブルマスターは、次元の異なる意味を有している。ちなみに、心理学は心の仕組みを研究し、工学は機械の作り方を研究する。この、まさに水と油の関係にある心理学と工学は、認知科学という領域でつながっているかのように見える。しかし、今までの実績から見て、工学が相手にする心理学のレベルは決して高くない。しかも、心理学への視野も狭い。そうした限られた心理学を相手に、様々な心の仕組みを工学的にデザインしようとしても、さほど魅力的な研究にはならない。それにもかかわらず、そんな領域に多くの研究者がたむろするのは、どういう事情によるものか? 

              新しい心の分析教室:ノート(Ⅷ)

「快・不快」の法則

 認知科学の原点は知覚である。その知覚から思考を経て、情動・意識・言語などを研究することができると思い込まれている。そして、このような類の膨大な研究が存在している。はたして、その成果は? 知覚から思考を経て運動に到るための技術は成果を上げているだろう。それは人工知能の領域であり、ロボット産業の領域である。しかし、この知覚を原点とする情動や意識、それに言語の領域はどれほどの成果をもたらしただろうか? この領域の研究に携わる研究者らは自分達の成果を主張したがるだろうが、客観的に評価すると、ひどく物足りない。膨大な企画費を投入してまで、何らかの成果を出そうとするのは、極めて疑問に思われる。

 たとえ「心理学と工学」と言っても、知覚を原点として、情動や意識、それに言語の研究に勤しんでも、大きな成果は望めないだろう。そうした実態については、おそらく、その研究の当事者が一番よくわかっていることであろう。しかし、そうした実態があるにもかかわらず、執拗に成果を求めようとする姿勢は何を意味するものか? 率直なところ、私には認知科学への「しがみつき」にしか見えないのだが、もう少し柔軟に対応することができないものか・・・そのためには、もっと視野の広い心理学を学ばなければならない。人間の本能である「快・不快」を原点にすることによって、そこから工学的に可能なイノベーションを引き出す必要があると考える。


              新しい心の分析教室:ノート(Ⅷ)

天才の仕事

 認知科学は限界なので、それに代わって、情動認知科学が必要である。この漢字を見てもわかるように、情動認知学は「情動+認知科学」なので、認知科学のすべてを否定しているわけではない。たとえ情動や意識、それに言語や人格などが機能する場合であっても、認知はその背後で機能している。認知は、生命や機械にかかわらず、それらが稼働する際に「潤滑油」として機能する。たとえば、ある生命や機械が、ある認知を通して、ある動機を持つようになったと仮定しよう。その場合、その認知はその動機の中に存在するのではなく、その認知はその動機の形成に貢献するために、一種の潤滑油のような機能を果たしているということができる。

 それでは、その動機の内容は何か? それが、まさに「情動+認知科学」である。つまり、情動がその内容であり、認知はその潤滑油である。このようなことは、意識・言語・人格という具合に、いくら広がっても、同じパターンの構造を示す。丁寧に説明すると、「情動+認知科学=意識」、「情動+意識+認知科学=言語」、「情動+意識+言語+認知科学=人格」という積み重ねの真実が存在する。ここまで説明すると、認知科学だけでは足りないものがたくさんあるということに気づけるだろう。しかし、たとえこうした真実に気づいても、人工精神を創発するための(情動を中心とした)数式の発見は、天才の仕事であろうと考える。その天才になるためには、私の理論をしっかり学ばなければならない。

             新しい心の分析教室:ノート(Ⅷ)

未来の産業革命

 このページは、当サイトの「ノート」というジャンルの中に入れて公開している。「ノート」というタイトルをつけると、大見出しが付け難いという事情が生ずる。じつは、その大見出しに、「是が非でも、人工精神を日本人の手で・・・」と付けたかったのだが、それは諦めることにした。しかし、内心は変わらない。優秀な日本の工学者が、本当の心を理解することによって、人工精神の創発に挑戦してもらいたいという気持ちがある。今日に至るまで、私なりに日本の工学者の心の理解度について関心を抱いてきた。しかし、誰一人として、日本の工学者は心について十分理解していない。それにもかかわらず、わかったようなふりをして、知らないという自覚さえ持っていない。

 人間の心は、世界中、同じである。だから、たとえ人工精神の創発に成功しても、特許を取って自分(自国)だけで運用しようとする営みは許されない。すべての人がその恩恵を受けられるようにしなければならない。人工精神を運用するためには、詳細で膨大な情報が必要になる。その際に、人工精神が悪用されないように厳重な管理が求められる。人工精神の創発は競争を超える。つまり、人工精神の性能を競うような産業を育成しない。すべての人間の心を健全に機能するための協力者としての人工精神なので、そのレベルは一元化されなければならない。その競争を超えた産業こそ、未来の産業である。むろん、世界から競争がなくなるわけではない。そうではなく、人工精神によって、競争が人間の自由や平等を奪ってしまうようなことはなくなるということである。

             新しい心の分析教室:ノート(Ⅷ)

お申し込みはこちら

精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

お気軽にお問合せください

img33739.gif
linkbanner web search japan.gif