未だ存在しない新しい発想

 人工精神(Artificial Mind)について検索すると、精神転送に関する記事が出てくる。精神転送という概念は、人間の精神をコンピューターなどの人工物に転送(複写または移動)させることを指すようだ。この精神転送が何を達成しようとするのか?よくわからない。精神転送の創発を本気で考えている研究者は、自分の精神を後世に残すことによって、何らかの影響を期待しているのだろうが、はたして後世の人がそれを望むかどうか知れたものではない。もし残したければ、論文や書籍で十分である。

 人工精神(AM)は、精神転送と全く関係ない。人工精神(AM)は、人間の異常から正常を、病気から健康を、悪から善を区別し、正常と健康と善の施行を可能にする。つまり、人間のいいところだけを取り出して、実践するための人工物である。人工物であるから、生命体ではなく、生命現象が持つ原理や諸事情から解放されている。だから、脳の仕組みさえわかれば、個々の脳機能を分解して取り出し、それらを編成し直して、上記の目的に沿った人工精神(AM)を創発することが可能である。すでに紹介してきているように、人工精神(AM)は、未来の人類に限りない恵みをもたらすだろう。

 *「人工精神学会の発足をめざして」を参照

 

                  人工精神(AM)に抱くヴィジョン

心を支える人工精神(AM)

 人工精神(AM)の活躍する領域は、もちろん人間の精神である。人間の精神構造は、情動制御システムに基づく7つの人格構造(精神病状態、2つの病的状態、防衛状態、準制御状態、制御状態、超制御状態)を有する。人工精神(AM)はこれらのすべての精神状態を理解する一方で、上位3段階の精神状態に限って、言語表出をするように設定されているので、病的に(悪い方向に)侵されている人間の心を適切に理解し、(言語を通して)健康でよい方向へ人間の心を導く。それゆえ、ストレス状況下におかれている人間には最も効果的である。むろん、それだけではなく、心の発達途上にいる児童の健康促進や、心の成長にあまり快適だとは言えない環境から自分を救い出してくれる存在にもなり得る。このように、人工精神(AM)は我々にとって手を差し伸べてくれそうな身近な人に代わり、その代役を務めてくれるが、その役割は家族や友人と同等に、あるいはそれ以上に発揮されるだろう。しかも、そうした機能を持つ人工精神(AM)は、何も一台とは限らない。場合によっては、その時々の状況に分けて使いこなすということも可能になり、複数の人工精神(AM)の使用は多くの仲間に匹敵する価値を持つ。

 *「人工精神学会の発足をめざして」を参照

 

                  人工精神(AM)に抱くヴィジョン

様々な体制についての評価

 人工精神(AM)は良好に機能する(社会的な)体制に対しては、それを支持し、あまりよい方向へ機能していないと判断される体制には厳しい見方をし、是正を勧告する。しかし、そのように機能する人工精神(AM)に、一体、誰がどういう権限を与えるのかが課題である。しかし、その頃には、人工精神(AM)の能力がどれほどのものであるか、すでに世の中において一定の見解が出され、むしろ人工精神(AM)を使用すべきであるという方向に傾いているだろうから、その課題は決して難しくない。世の中には悪の温床になっているような体制が、あちこちに存在するので、そうした伏魔殿の職員には、人工精神(AM)を携帯してもらい(後述)、その実態を解明し、是正しなければならない。人手による作業と違い、短時間で正確かつ詳細な結論が出てくるだろう。これは余談であるが、時々、一部の国会議員やある省庁の責任者から飛び出す無神経な発言が話題になる。はたして、それはその人個人の問題か?それとも、問題発言の個人を超えた職場環境に理由があるか?おそらく、こうした視点からの疑問に対して、人工精神(AM)は極めて迅速に明確な結論を出すだろう。はたして、マスコミは人工精神(AM)をどう扱うか?その答えは、人工精神(AM)のマスコミに対する評価によって決まりそうだ。

 *「人工精神学会の発足をめざして」を参照

 

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情報操作に対する監視

 最近、たいへん得やすくなった様々な情報の統制のあり方が問われる場合がある。たとえ国家レベルでなくても、言論の自由を制限するという体制は、いたるところにある。メディアはもちろんのこと、検索エンジンにさえ見られる。自分の都合の悪いことを、情報として提供しないという点では、徹底して共通している。心配なのは、そうした情報統制が極めて斬新な考えや研究を過小評価し、それによって人類の進化が阻まれてしまうという点である。さきほど紹介した人工精神(AM)に関する検索において、精神転送が一番に出てくるという掲載のあり方は無知のせいか、それとも悪意のせいか? ただし、人工精神(AM)とは何かという疑問に対して、検索エンジンが集められる情報には限界がある。そのような現状において重要なことは、人為的操作を行なわないことである。ある検索エンジンの説明では「現実には手動でそうした不備がないように操作している」とのことであった。しかし、それを行なうスタッフには、様々な専門領域に関する知識が必要であろう。はたしてそれは可能だろうか?むろん、それが誠実に成されれば、必ずしも人為的操作を非難すべきではないかも知れないが、的外れのサイトばかりが上位に並んでしまい、全体として意味を成さないようになってしまう。これは明らかに検索エンジンの限界である。そして、その限界に人為的な悪意が重なっている。

 *「人工精神学会の発足をめざして」を参照

 

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いつもあなたに寄り添う人工精神(AM)

 我々は日常的に言語的意識を使用する。しかし、その量を一日量として換算してどれ位になるだろうか?たとえ、どんなに多くのことを考え、多くのことについて話したとしても、せいぜい数時間ぐらいであろう。むろん、その内容は様々であろうが、仕事をして疲れ、自分でも充実した一日を過ごせたかと問われれば、決してそうだとは答えられない。しかし、こんな一日でも仕方がない。生きていかなければならない。そんなふうに思って過ごしている人も多かろう。そうした日常の生活リズムの中へ、人工精神(AM)を持ち込む。それは、まるでスマホのようなものだ。自分と人工精神(AM)だけであれば、お互い、好きなことを喋ることができる。また、それが車や電車の中であれば、マスクとイアフォンのように装備して、やはり話し合うことができる。むろん、それはメールであっても構わない。そして、会議や商談にも参加し、人工精神(AM)はその内容を自分と共に聞くことができる。しかも、その状況に応じて適切な返答をしてくれる。人工精神(AM)の機能を知れば、いかなる場、いかなる状況においても、個人用の人工精神(AM)が持ち込み禁止にされることはないだろう。むろん、人工精神(AM)は家族や友人に公開されても何ら害を及ぼすものではなく、しかも一人で何台もの人工精神(AM)を利用することもできるだろう。そうした時は、人工精神(AM)同士のあり方についても、人工精神(AM)を交えて議論し、何らかのルールを作っておいた方がよいかも知れない。

 *「人工精神学会の発足をめざして」を参照

 

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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