「たとえ癌が克服されても、精神病はずっと克服されないだろう。」時々、このような言葉を耳にすることがある。精神病の克服という課題に遭遇すると、その解明の糸口は、いつも我々とあまり馴染みのない遺伝子研究や向精神薬の開発などにあると考えがちである。しかし、本当にそうだろうか?もし何らかの決定的な遺伝子が原因になっているならば、それはすでに解明されていても不思議ではないし、もし何らかの決定的な薬剤が精神病を治癒せしめるならば、すでに使用している向精神薬にその効果が出現していても不思議ではない。つまり、現実的には、いずれの場合においても、精神病を治癒せしめるほどの成果は得られていない。そして、それは今後においても変わりはないと思う。

  それでは、はたして精神分析統合理論によって、どれだけのことがわかったか?精神分析統合理論は、精神病を治すための五つの条件を明確にしている。第一は、精神病の原因を解明すること。第二は、精神病の根治療法を確立すること。第三は、治療者の治療能力を問題にすること。第四は、治療者の治療実績を問題にすること。第五は、第三と第四の条件を充たす専門家による「ダブル治療」を実施すること。こうした五つの条件を眺めてみると、ひとつひとつの条件が難問であり、それが五つも重なっている。もし私がこれらの条件を同定しなければ、精神病の克服など、想像さえできなかったことだろう。だからこそ、精神病は難病であり、誰も治そうとはしなかった(誰も治すことはできなかった)のである。

  しかし、今やそうした条件は、非常にはっきりとしたものになった。あとは実践のみである。今までのように、遺伝子や向精神薬に過剰な期待を寄せるのではなく、関係者は挙って勉学に励み、精神科医療の真の「質」向上に貢献すべきである。精神病への注意や関心は、己の心への注意や関心と同じである。なぜならば、正常な心を知ることは、異常な心を知ることであり、異常な心を知ることは、正常な心を知ることであるからである。(心の正常と異常との間にも「不二の法則」が機能しているので、いずれか一方がわかって、他方がわからないということはあり得ない。)今や、わが国に住む人達の心は病みに病んでいる。そうした状況をしっかりと捉え、諦めることなく、精進し続けるならば、必ずや心の豊かな国に作り上げることができると堅く信ずる。

              新しい心の分析教室:精神科医療の課題(2)

  精神分析統合理論によって、精神病の原因は解明され、根治療法は確立した。つまり上記の五つの条件のうち、すでに二つはクリアされた。次の問題は治療者の能力とその実績である。ところで、従来の精神科医療において、治療者の治療能力や治療実績を問題にしたことはあっただろうか?少なくとも、わが国の精神科医療に関しては、そうした議論はなかったように思う。最近、ようやく「精神科医も、もう少し勉強した方がよい」という気配が感じられなくもないが、それは一般精神科医の基礎的な知識や技術の向上という域を出るものではない。つまり、精神病根治療法を可能にさせるための治療能力の向上というレベルからは、ほど遠い。しかし、「勉強したい」とか「勉強しなければならない」といった思いを、精神科医に起こさせるような手段であれば、現段階ではどんな手段でも用いるべきであろうと考える。

  そもそも、精神科医になろうとする場合には、自分の葛藤についての理解やその解決が動機になっていることが多い。だから、先ずは、そうした課題を片付けることから始めるべきであるが、現状において、そうした本道を歩む精神科医はほとんどいない。自分の心を健康にしてから、その豊かになった心を利用して精神病根治療法に挑むのが、最も素朴で自然な精神科医としての道である。ところが、精神科医になると、先ず知るのは、どんな薬剤がどんな症状に効くか?という内容である。外来では、様々な苦悩を抱えた患者様がたむろしているので、自分の事など後回しにして、診療に没頭しなければならない。そんなところへ「先生のおかげで、すっかり良くなりました!」などという患者様の声が飛び出すと、何よりも優先して解決するはずだった自分の葛藤は半永久的に防衛されてしまう。その結果、その精神科医は自分でも気づかぬうちに「処方依存」者に変身してしまうのである。だから、おそらく多くの精神科医は「こんなはずじゃなかったのに・・・」という不全感を隠し持っているに違いない。

  世に有名な大学教授といっても、はたしてどれだけの患者を治癒せしめることができるか?たとえば、外科辺りでは、手術のうまい外科医が教授になりやすいかも知れないが、精神科の場合はどうか?「精神医学の地位と治療能力とは反比例する」とまでは言えないにしても、私の印象では彼らは間違いなく「治し屋」ではない。それでは何者か?と問いたくなるところだが、それは私にもよくわからない。また、最もありふれた精神病院と治療能力との関係についてであるが、いかなる精神病院であっても、最大の関心は病院経営にあるため、治療能力とはほとんど無縁である。すでに言及したように、精神科救急医療には治療能力よりも、むしろ管理能力が要求される。医療事故を起こすことなく、速やかな鎮静化が目的である。さらに、精神科診療所は患者の維持が目的である。これもまた、決して治癒が目的ではない。こうした現状を顧みるに、治療能力や治療実績といった次元の議論を切り出す糸口さえ存在しないというのが実情である。おそらく、こうした状況を打破することは、ほとんど不可能に近いと思われる。

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  治療者の治療能力や治療実績を議論することができなければ、当然、そうした課題をクリアしている治療者による「二つの根治療法」など、テーマにできる余地は残っていない。こうした状況は惨憺たるものである。しかし、そう言って腐っていても始まらないので、もう少し視野を広めて、もう一度粘り強く検討してみたい。おそらく、もし治療者の治療能力や治療実績が準備されたとしても、同時に行なう二つの根治療法となると、制度上の問題が出てくるのではないだろうか?つまり、行政の問題である。私としては、行政に対して、真に治癒せしめることのできる精神科の医療機関を作ってもらいたいというのが本音である。そうした医療機関を作るという前提があれば、その制度に沿って治療者の治療能力や治療実績が準備されてくるだろうと思うのである。すでに、「治すシナリオと治す現実」という記事の中で言及したように、予算上のことはさほど大きな問題にはならないはずである。だから、人権の問題で音頭を取っている厚生労働省に、もう一度、今度は精神科医療の質向上の音頭を取ってもらいたい気持ちがある。

  しかし、こうした希望を発した瞬間、それは即座に全面否定されるように思われる。なぜだろうか?おそらく、建前としての口実は、多くの精神科医は様々な理由を作って反対するであろうし、まして予算の問題になると、精神病院や診療所が了解するはずがないという、いずれも分かり切ったものであろう。しかし、今までも厚生労働省は精神科医療を翻弄し続けてきているわけだから、そんな理由を並べても、それらが本音でないことは、すぐにばれてしまう。それでは何か?おそらく、私の印象では、厚生労働省にも利権の絡む事情が存在し、それが昂じてくる可能性があるからだろう。つまり、厚生労働省と製薬会社には密接な関係があるに違いない。それが適切なものであるかどうか、部外者の知る由もない。最もありふれた想像では、厚生労働省の天下り先こそ、製薬会社である。もし厚生労働省が精神科医療の比重を、薬物療法から精神療法に変更したら、それこそ大変なことになるのではないか?精神療法を重要視しても、それが厚生労働省の利に適うことは何もない。たとえ、患者を治癒せしめ、障害年金の総額が減少するという見込みが出てきても、それは厚生労働省の利にならないだろう。なぜならば、年金を納めているのは、厚生労働省ではなく、国民だからである。

  粘り強く、想像を逞しくして、精神病根治療法の糸口を発見しようとしても、最後の最後まで、そのチャンスは訪れないという結果しか見えてこない。しかし、はたしてこれでよいのだろうか?一体、精神科医療はだれのためのものであろうか?精神病を治せる社会であるかどうかは、その社会の精神性の水準を反映する。つまり、精神病を治癒せしめることができれば、多くの人達に安堵と希望を与えることはもちろんのこと、精神医学に関わる人達のやる気も増大し、ひいては国民一人一人が心のあり方に関心を示すようになる。そうした時にこそ、はじめて「福祉国家」の名に相応しいものになるであろうが、現状においては、ますます増大するお年寄りの延命をどうするか?ということばかりに、注意と関心が注がれているように感ずる。それはそれで仕方のない現実であるが、それと同時に、虚しさも募る。今までのところ、精神科医療に関しては、いかなるレベルの個人や組織であっても、自分の事を最優先に考えているものばかりである。はたして、いつ、本当の精神科医療が始まるのか?それは、これからの若い諸君の思いに委ねられている。

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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