精神分析統合理論によって、精神病の原因は解明され、根治療法は確立した。つまり上記の五つの条件のうち、すでに二つはクリアされた。次の問題は治療者の能力とその実績である。ところで、従来の精神科医療において、治療者の治療能力や治療実績を問題にしたことはあっただろうか?少なくとも、わが国の精神科医療に関しては、そうした議論はなかったように思う。最近、ようやく「精神科医も、もう少し勉強した方がよい」という気配が感じられなくもないが、それは一般精神科医の基礎的な知識や技術の向上という域を出るものではない。つまり、精神病根治療法を可能にさせるための治療能力の向上というレベルからは、ほど遠い。しかし、「勉強したい」とか「勉強しなければならない」といった思いを、精神科医に起こさせるような手段であれば、現段階ではどんな手段でも用いるべきであろうと考える。

  そもそも、精神科医になろうとする場合には、自分の葛藤についての理解やその解決が動機になっていることが多い。だから、先ずは、そうした課題を片付けることから始めるべきであるが、現状において、そうした本道を歩む精神科医はほとんどいない。自分の心を健康にしてから、その豊かになった心を利用して精神病根治療法に挑むのが、最も素朴で自然な精神科医としての道である。ところが、精神科医になると、先ず知るのは、どんな薬剤がどんな症状に効くか?という内容である。外来では、様々な苦悩を抱えた患者様がたむろしているので、自分の事など後回しにして、診療に没頭しなければならない。そんなところへ「先生のおかげで、すっかり良くなりました!」などという患者様の声が飛び出すと、何よりも優先して解決するはずだった自分の葛藤は半永久的に防衛されてしまう。その結果、その精神科医は自分でも気づかぬうちに「処方依存」者に変身してしまうのである。だから、おそらく多くの精神科医は「こんなはずじゃなかったのに・・・」という不全感を隠し持っているに違いない。

  世に有名な大学教授といっても、はたしてどれだけの患者を治癒せしめることができるか?たとえば、外科辺りでは、手術のうまい外科医が教授になりやすいかも知れないが、精神科の場合はどうか?「精神医学の地位と治療能力とは反比例する」とまでは言えないにしても、私の印象では彼らは間違いなく「治し屋」ではない。それでは何者か?と問いたくなるところだが、それは私にもよくわからない。また、最もありふれた精神病院と治療能力との関係についてであるが、いかなる精神病院であっても、最大の関心は病院経営にあるため、治療能力とはほとんど無縁である。すでに言及したように、精神科救急医療には治療能力よりも、むしろ管理能力が要求される。医療事故を起こすことなく、速やかな鎮静化が目的である。さらに、精神科診療所は患者の維持が目的である。これもまた、決して治癒が目的ではない。こうした現状を顧みるに、治療能力や治療実績といった次元の議論を切り出す糸口さえ存在しないというのが実情である。おそらく、こうした状況を打破することは、ほとんど不可能に近いと思われる。

              新しい心の分析教室:精神科医療の課題(2)

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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