新しい心の分析教室:うつ病小論

 1. うつ病という概念

 うつ病は、気分や感情などの情動系だけではなく、その他の脳機能や身体機能をも巻き込んだ様々な症候群(症状群)の、たいへん広い領域に認められる精神障害である。つまり、精神病、病的状態、および防衛状態にわたる広いスペクトラムを有している。私の情動制御理論から言えば、うつ病は脆弱系および攻撃系の不快―防衛系を活性化するが、うつ病には多くの人格構造を超えた共通の精神力動が存在する。おそらく、うつ病と何らかの関わりを持つ人は、このつかみどころのない大病に手をこまねいていると思うので、今回はできるだけわかりやすく、うつ病の原因や治療、それに現状の理解と対応の仕方について言及したいと思う。

 2. 今日のうつ病

 うつ病の発生に関する変遷については、二昔前では精神病状態に見られる重篤なうつ病、一昔前では(境界性パーソナリティ障害などの)病的状態に見られるうつ病、そして今日では、必ずしも病的であるとは断定し難い人格構造、つまり防衛状態において、うつ病が多発している。その今日において、うつ病を発生させる契機は二つ存在する。一つは過剰な仕事を強いられることによって生ずる過労であり、もう一つは対人関係による(パワハラなどの)ストレスである。ごく最近では、コロナ禍のために、長期的な行動制限を受けたり、経済的にも困窮したりして、心身のバランスが崩れ、将来に対する悲観的な展望しか持てなくなってしまい、うつ病に罹るという人が増えているように感じられる。

 3. 精神科医療としての対応

 私の外来でも、今日のうつ病に該当する患者の受診が増えている。死にたいという訴えよりも、疲れていても眠れず、仕事をする気力が湧かないといった病状が中心的である。簡単なうつ病スケールで、軽度から中等度のうつ病という評価が出るので、少量の抗うつ薬と眠剤を処方するケースが多い。受診する多くの人は仕事を休みたがるので、一か月ほどの自宅養生か、場合によっては、一か月ほどの入院を勧めることもある。そして、それ位の対応で、多くの人は元気になる。たいがい、仕事にも復帰し、服薬もほとんど必要のない状態に到り、あとは患者自身の服薬に対する思いだけが残る。私は強いることも、止めることも勧めない。すべては患者自身のコンディション次第であるという思いを患者と共有する。

 4. 気分障害と感情障害

 「情動と感情の違いは何か? 」「感情と気分の違いは何か? 」すでに私は当サイトの中で、これらの違いについて説明している。ただし、このタイトルで示した気分障害と感情障害の違いを議論しても、あまり有意義な結論に到るとは考え難い。とりあえず、それぞれ見ていくと、はたして気分障害の気分とは何か? 気分がよいか、悪いかという曖昧な区別しかできない場合が多いので、その何かまで詮索することは難しい。また、感情障害とは不快な感情ばかり募ってくることか、それともそれさえ湧かない状態か、あるいは場違いの感情が込み上げることを意味するか? いずれにしても、曖昧極まりない。うつ病について議論する際に注意すべき点は、うつについて語っているように見えて、実は何も語っていないという事実があることを、しっかりと認識していなければならない。

 ※情動の構造と機能 参照

 ※心の機微を作り出す精神力動 参照

 5. 軽症と重症

 どのような精神障害であっても、その病状の深刻さは自傷他害の有無にある。特にうつ病の場合は、希死念慮や自殺企図である。気分がすぐれず、やる気がなく、悲観的なことばかり考える程度の訴えであれば、うつ病でも軽症である。その精神力動では二つの閉鎖回路を形成する。一つは、不快の逆転送抑止のために、自責回路(処罰的対象⇒理想的自己)が活性化する。つまり「不快の逆転送ルート<自責回路」ゆえ、破壊的攻撃性が弱い自己や理想的対象を攻撃するよりも、むしろ当てにする依存型病的同一化(理想的自己⇒誇大的対象)が活性化し、次いで不快の転送ルートから自責回路の再活性化という循環する閉鎖回路を形成する。この閉鎖回路は被害妄想などの妄想形成を行なう。そして、もう一つは、脆弱系における前駆型閉鎖回路、つまり「依存型病的同一化⇒不快因子同士の連動性(弱い対象⇒弱い自己)⇒理想的自己」の形成であり、これは同情や憐憫を生み出す「絶望サイクル」である。

 これに対して、重症のうつ病は軽症のうつ病のような閉鎖回路を形成しない。上記のような閉鎖回路を形成し続ければ、自殺企図はもとより、希死念慮もさほどではない。しかし、重症のうつ病では「不快の逆転送ルート>自責回路」であり、そのために脆弱系に流入した破壊的攻撃性が、一方では弱い自己や理想的対象を、他方では誇大的対象や弱い対象を侵襲する。弱い自己を攻撃すれば、希死念慮はもとより、自殺企図が発生する。また、誇大的対象や弱い対象を攻撃すれば、それは嫉妬の精神力動である。その後、もし不快因子同士の連動性が機能しなければ、つまり破壊的攻撃性の侵襲が「弱い自己<弱い対象」であれば、刺激伝達は弱い対象で反転(Uターン)し、絶望の精神力動である「倒錯的思考」つまり「傷ついた弱い対象⇒誇大的対象⇒理想的自己」を形成する。倒錯的思考を持つうつ病は(後述する)躁病に移行しても、そこからさらに基本的防衛態勢(処罰的自己+誇大的対象)に移行することが困難である。傷ついた分身を否認する精神力動が、それを困難にしている。

 6. 反復性と双極性

 反復性とは、うつ病だけが繰り返し再燃する病態であり、双極性とは、躁病とうつ病が繰り返し再燃する病態である。ちなみに、上記の「軽症と重症」を、反復性と双極性に置き換えることができる。ただし、細かな吟味が必要である。反復性は、あくまでも、うつ病一極性であり、気分や感情の高まりはないが、さりとて、それらの落ち込みは軽いという病態である。うつ病がよくなった際に、やる気も喜びも湧くという精神状態になれば、はたしてそれはうつ病の治癒を意味するものか、それとも寛解か? もしよくなった精神状態が健全なやる気や喜びを持てば、つまり不快―制御系によるものであれば、うつ病は治癒し、再燃することはない。しかし、もしよくなった精神状態が病的なやる気や喜びを持てば、つまり不快―防衛系によるものであれば、やがてうつ病は再燃する。再燃するとなると、湧いたやる気や喜びは躁病(躁的防衛)由来のものだということになる。

 躁病では自責回路がほとんど機能せず、「処罰的自己+理想的自己」が強く活性化する。そのために、破壊的攻撃性の勢いも強くなる。ただし、理想的自己の活性化が強いので、弱い自己への攻撃よりも、むしろ誇大的対象や弱い対象への攻撃が強くなる。つまり、嫉妬を中心とした他害傾向が発生しやすい。しかし、即座には(上記の)反転(Uターン)する精神力動ではなく、悪性サイクル(処罰的自己⇒理想的自己⇒誇大的対象⇒悪い対象⇒処罰的対象⇒処罰的自己)を形成し、その途上で自責回路(処罰的対象⇒理想的自己)の機能が活性化してくれば、それに連れて上記のうつ病の精神力動に転じてくる。しかし、うつ病へ転じた時点で受診された場合、はたして躁病が存在していたかどうかの吟味が必要である。躁病を経由していれば、つまり双極性であれば、躁病を抜きにして、うつ病の治癒はあり得ない。つまり、うつ病相⇒躁病相⇒基本的防衛態勢という治療プロセスが必須になる。その際に、やはり重要なのは嫉妬による分身の傷つきを起こす破壊的攻撃性の消失である。

 7. 自殺とうつ病

 一般的に言う自傷他害とは、不快の逆転送ルートを通る破壊的攻撃性が弱い自己の方へ向いているか、それとも弱い対象の方へ向いているかの違いだけである。自殺の精神力動は、破壊的攻撃性の弱い自己への攻撃が原因である。また、自殺に到らなくても、自殺企図による自傷行為なども、これが原因である。むろん、自殺を起こすのは、うつ病だけではない。破壊的攻撃性が弱い自己を攻撃する病態は他にもいろいろある。たとえば、統合失調症や境界性パーソナリティ障害などである。うつ病患者が自殺する可能性の高い病状は、「防衛の流動化」が生じて、躁病相からうつ病相に転じた場合である。それまでピークに達していた理想的自己の活性化が、自責回路の(破壊的攻撃性の抑止をめざした)活性化によって常同強迫を形成しようとする矢先、若干、理想的自己の活性化の低下が生じ、その隙に、一時的に破壊的攻撃性が高まり、それが弱い自己を貫いてしまう。これが、うつ病による自殺の原因である。

 8. 身体表現性障害とうつ病

 嗜癖や依存症ではなく、うつ病でもないが、まるでそれらと兄弟でもあるかのように、一部の精神力動を共有する身体表現性障害という症状群がある。つまり、攻撃系では反復性うつ病の精神力動を、脆弱系では嗜癖や依存症の精神力動を用いる。もう少し詳しく言えば、攻撃系では自責回路を用いた妄想形成を行ない、脆弱系では身体を移行現象(または移行対象)として見立てた逆向性前駆型閉鎖回路を形成する。身体表現の病状の程度は、(攻撃・脆弱)両系における情動制御のあり方による。少し具体的に話してみよう。たとえば、日頃、些細なことで、すぐ不安になる人がいたとしよう。その人が何かを当てに(期待)した。しかし、それは満たされず、おまけに、当てにしたお前が悪いと非難されてしまった(ように感じた)。その人は打ちひしがれた思いを抱き続けたが、ある時、苦しみ悶えて倒れる人を見て、それは倒れた人の身体的な不調のせいだと思った。むろん、自分とは何の関係もなかったのだが、その後、打ちひしがれることを忘れ、息苦しさを感ずるようになった。

 ※依存症を作り出す精神力動 参照

 9. 統合失調感情障害

 時々、統合失調症と躁うつ病との間の違いについて議論される。一連の精神分析統合理論では、統合失調症と躁うつ病の基本的防衛態勢、つまり「処罰的自己+誇大的対象」は共有されており、そこから、それぞれ防衛の流動化を起こし、統合失調症では急性期を経て慢性期へ移行し、躁うつ病では躁病相を経てうつ病相に移行すると紹介している。ところで、この私の理論によると、統合失調症の慢性期と、躁うつ病のうつ病相の防衛態勢が同じである。つまり、それは「処罰的対象+理想的自己」である。たとえ同じ防衛態勢であっても、そこに到るプロセスには違いがあるので、当然、その結果にも違いはある。しかし、その違った病態が共存するかのような精神状態も存在するので、それを観察する臨床家が(そうした病態を)統合失調感情障害と呼びたくなるのも不思議ではない。その病像としては、たとえ幻聴があっても、気分や感情、それに気力の変遷が、躁うつ病を思わせるような経過を見せる。

 10. 遷延化と難治性

 遷延化と難治性を、軽症と重症、反復性と双極性に置き換えることができる。つまり、反復性うつ病は軽症であり、遷延化しやすいのに対して、双極性障害は重症であり、難治性である。なぜ、そのような特徴を示すか? 遷延化しやすい要因として、脆弱系制御システムの中の誇大的自己の活性化が得られ難いという傾向がある。また、難治性である要因として、攻撃系制御システムの中の反撃的自己と謝罪的自己の活性化が得られ難く、かつ脆弱系制御システムの中の誇大的自己の活性化も得られ難いという傾向がある。誇大的自己の活性化が得られなければ、抗うつ薬を中心とした薬物療法が最も簡単な方法であり、また安定した常同強迫も誇大的自己の活性化も得られなければ、破壊的攻撃性の衝動的な表出を止めるための鎮静効果を持つ薬剤と、抗うつ薬の併用を考慮した処方による薬物療法が最も簡単な方法である。むろん、薬物療法は一時的に薬物依存症を作り上げることであるが、それはたとえば強迫崩れから強迫を作る精神療法と似たような価値があると理解してよい。

 11. 精神分析的精神療法

 いま示したような薬物療法によって、患者に若干の安心とゆとりが出てきたら、うつ病に陥った理由について、自分なりに、あるいは主治医と共に考えていく習慣をつけることが大切である。むろん、その場合、気分が「よい・悪い」だけでは、その理由について詮索することはできない。当サイトでは「常同強迫と、その破綻」という記事を紹介しているが、他の言葉で説明し直すと、(常同強迫を構成する)自生思考や自動思考について言語化できるように努力し、またそのように導くことが大切である。感じ方、考え方の習慣と自慰性について、ある程度、具体的な思いを話せるようになってくると、その背後に動いている情動のあり方、つまり情動制御システムの機能の仕方がわかってくるようになる。それがわかってくると、治癒のための方法論も描けるようになる。そして、不快の快変換ルート(反撃的自己⇒誇大的自己)が形成されるようになれば、つまり、うぬぼれることができるようになれば、その時には根治療法の入口に立っているということになる。

 ※新しい心の分析教室:ノート(Ⅶ) 参照

 ※心の機微を作り出す精神力動 参照




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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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