治療者の治療能力や治療実績を議論することができなければ、当然、そうした課題をクリアしている治療者による「二つの根治療法」など、テーマにできる余地は残っていない。こうした状況は惨憺たるものである。しかし、そう言って腐っていても始まらないので、もう少し視野を広めて、もう一度粘り強く検討してみたい。おそらく、もし治療者の治療能力や治療実績が準備されたとしても、同時に行なう二つの根治療法となると、制度上の問題が出てくるのではないだろうか?つまり、行政の問題である。私としては、行政に対して、真に治癒せしめることのできる精神科の医療機関を作ってもらいたいというのが本音である。そうした医療機関を作るという前提があれば、その制度に沿って治療者の治療能力や治療実績が準備されてくるだろうと思うのである。すでに、「治すシナリオと治す現実」という記事の中で言及したように、予算上のことはさほど大きな問題にはならないはずである。だから、人権の問題で音頭を取っている厚生労働省に、もう一度、今度は精神科医療の質向上の音頭を取ってもらいたい気持ちがある。

  しかし、こうした希望を発した瞬間、それは即座に全面否定されるように思われる。なぜだろうか?おそらく、建前としての口実は、多くの精神科医は様々な理由を作って反対するであろうし、まして予算の問題になると、精神病院や診療所が了解するはずがないという、いずれも分かり切ったものであろう。しかし、今までも厚生労働省は精神科医療を翻弄し続けてきているわけだから、そんな理由を並べても、それらが本音でないことは、すぐにばれてしまう。それでは何か?おそらく、私の印象では、厚生労働省にも利権の絡む事情が存在し、それが昂じてくる可能性があるからだろう。つまり、厚生労働省と製薬会社には密接な関係があるに違いない。それが適切なものであるかどうか、部外者の知る由もない。最もありふれた想像では、厚生労働省の天下り先こそ、製薬会社である。もし厚生労働省が精神科医療の比重を、薬物療法から精神療法に変更したら、それこそ大変なことになるのではないか?精神療法を重要視しても、それが厚生労働省の利に適うことは何もない。たとえ、患者を治癒せしめ、障害年金の総額が減少するという見込みが出てきても、それは厚生労働省の利にならないだろう。なぜならば、年金を納めているのは、厚生労働省ではなく、国民だからである。

  粘り強く、想像を逞しくして、精神病根治療法の糸口を発見しようとしても、最後の最後まで、そのチャンスは訪れないという結果しか見えてこない。しかし、はたしてこれでよいのだろうか?一体、精神科医療はだれのためのものであろうか?精神病を治せる社会であるかどうかは、その社会の精神性の水準を反映する。つまり、精神病を治癒せしめることができれば、多くの人達に安堵と希望を与えることはもちろんのこと、精神医学に関わる人達のやる気も増大し、ひいては国民一人一人が心のあり方に関心を示すようになる。そうした時にこそ、はじめて「福祉国家」の名に相応しいものになるであろうが、現状においては、ますます増大するお年寄りの延命をどうするか?ということばかりに、注意と関心が注がれているように感ずる。それはそれで仕方のない現実であるが、それと同時に、虚しさも募る。今までのところ、精神科医療に関しては、いかなるレベルの個人や組織であっても、自分の事を最優先に考えているものばかりである。はたして、いつ、本当の精神科医療が始まるのか?それは、これからの若い諸君の思いに委ねられている。

              新しい心の分析教室:精神科医療の課題(2)

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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