急性期病棟と認知障害という言葉が定着しつつあるようだが、何だか奇妙な感じがする。その理由は、これらの言葉の文字通りの意味と、実際に使われている意味とでは、ひどくかけ離れているからである。急性期という言葉は、統合失調症の病像を表す言葉である。だから、統合失調症に限って、たとえば寛解期、急性期、慢性期などとして使用する。ところが、実際に急性期病棟に入院してくる人の中には、何度もうつが再燃した人や、何度も連続飲酒発作を起こした人が含まれている。全体の割合で見れば、統合失調症急性期で入院する人はわずかしかいない。そこで、私は同僚の精神科医に聞いてみた。すると、その精神科医も少し返答に困った様子であったが、しばらくして「三ヶ月だから」と答えた。これは、短期という意味である。一般に精神科の入院期間は長く、かつては年単位であったから、三ヶ月は短い。しかし、そうであれば、短期(入院)病棟でよいではないか?「まあ、そんなことはどうでもいいじゃないか!」と、片付けられそうなことであるが、学問に精通した人であれば、こんな名前をつけるだろうか?

  それに、もうひとつ。認知障害という言葉がはやっている。認知症に見られる認知障害かと思っていたら、なんと統合失調症に見られる認知障害という意味であった。「今や、陽性症状や陰性症状は、非定型抗精神病薬によって治すことができるようになった。次は、統合失調症の認知障害の解決である!」これは、薬屋のキャペーンである。そして、薬屋をひいきにしている精神科医も合唱する。統合失調症の人は幻覚や妄想に襲われやすいので、そうした一側面を認知障害として理解することができるという意味であろうか?たとえば、私の外来に通院している患者は、多少の幻聴や妄想に左右されながらも、ちゃんと予約時間に間に合うよう、自家用車でやってくる。また、日常の生活について話すが、その内容もよくわかる。はたして、どの部分が認知障害か?幻覚や妄想の中の認知障害であれば、それは立派な陽性症状である。ちなみに、幻覚は「覚醒時における夢現象」である。それでは、夢は認知障害であろうか?夢には「概念の知覚化」という脳内刺激伝達経路が関与する。たとえ夢を認知障害にしなくても、覚醒時に生ずる概念の知覚化を認知障害と呼ぶことは可能である。しかし、たとえ統合失調症であっても、一流大学に入学することができる。そうした場合でも、認知障害と呼ぶのだろうか?

  自我意識を問題にする際には、それを「情動排除型」と「情動含有型」に区別する。認知症では、情動含有型自我意識が防衛型自我意識になるだけではなく、情動排除型自我意識も侵される。それに対して、統合失調症では、情動含有型自我意識が防衛型自我意識になっても、情動排除型自我意識は侵されない。つまり、認知症では情動系の関与しない認知機能も侵されるが、統合失調症では情動系の関与しない認知機能は侵されない。したがって、幻覚や妄想の中に認知障害を認めるのは勝手だが、統合失調症という疾患群そのものに認知障害を認めるのは、間違いである。それゆえに、上記のキャンペーンを知った時、私は違和感を覚えたが、それでは、いかにして防衛型自我意識を情操型自我意識に変えるのか?すでにお気づきの通り、私はこのホームページの所々において、「認知と認識」について言及しているが、いわゆる異常体験の中に見られる認知障害は、「情動制御」の欠如に由来して生ずる認識形成の無さに原因がある。したがって、情動制御を作り上げれば、自然と認識は発生してくるので、その結果、認知障害は解決する。まさに、その方法論こそ、精神分析統合理論に書かれている内容である。認識の形成が無ければ、いわゆる認知障害は改善されない。しかも、それは統合失調症の異常体験に特異的なものではない。重症人格障害の場合であっても、防衛型自我意識が出現すれば、いわゆる認知障害も付随して発生する。その点を正しく理解しておくべきである。

              新しい心の分析教室:ノート(Ⅰ)

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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