多くの精神科医は勤務医を辞めて、診療所(クリニック)を開こうとしているが、私は自分のクリニックを閉院し、勤務医になった。もっとも、私の場合は精神病院ではなく、大学を辞めてクリニックをやったのだから、クリニックを始める動機が他の精神科医とは少し異なっていたかも知れない。学位を取り、留学を終えたのだから、大学に留まれば、ほとんど自動的に管理職になっていく。そんな道を、私は選ばなかった。なぜならば、すでにその当時、精神病の成因を解明しつつあったが、もし大学に留まって雑用の日々に追われれば、その研究を続けられるという保証はなかったからである。常識的には「大学にいてこそ、研究ができる」のであるが、私の場合は「大学にいると、研究はできない」という判断があった。そして、その判断は正しかった。なぜならば、私は自分のクリニックで一人黙々と精進を続け、「精神分析統合理論」を完成させたからである。

  ところが、この人類初の仕事を成し遂げてみて、今度はクリニックを辞めようと思った。確かに私も年を取り、「これ以上、根治療法を続けるのが辛い」という思いもあったが、もし「精神分析統合理論、第一部、情動制御理論」の中に収められている二つの論文「精神病根治療法の定式化」と「精神病根治療法の具体的定式化」が書けなければ、そのままクリニックで根治療法に挑み続けていただろう。あるいは、それまで私費による根治療法をやってきていたから、これからはむしろ保険診療をする方向への転換を考えても、何ら不思議ではなかった。折角うまくいっているクリニックを畳むよりも、そうした選択の方が柔軟であるとも考えられる。しかし、そうした考えを抱いた時、私は強い違和感を覚えた。なぜならば、保険診療の導入は、薬物療法による通院の維持が主目的だからである。しかも、クリニックを維持するためには、ある一定の通院患者を確保しなければならない。それを考えた時、今まで治すための治療をやってきた私とは、水と油の関係であり、そういう自分自身を承服することはできなかったのである。

  正直言って、「治すシナリオ」を作り出すことは大変であった。精神分析統合理論の最後の部分で触れたように、患者の家族の参加と協力を求めたものの、中断あり、家族の発病あり、といった具合で、根治療法は困難を極めた。しかし、上記の二つの論文を作る上においては、これらの比較ができたからこそ、可能になったという皮肉な結論がある。すべてうまくいけば、はたして精神分析統合理論を書けたかどうか疑わしい。そして、とりあえず「治すシナリオ」はでき上がった。それでは、この「治すシナリオ」が「治す現実」を携えているか?となると、返答できなくなってしまう。家族の参加や協力に限界があるからこそ、二人の分析医でやってみるという発想は、極めて自然なものである。しかし、それをこれから手掛けるとなると、私と組んで根治療法をやってくれるパートナーを探さなければならない。はたして精神病根治療法に挑戦してくれる精神科医はいるだろうか?ただ単にそうした意欲だけ持っていても、それだけでは不十分であり、自らの精神的な問題をも克服していなければならない。しかも、精神病根治療法を手掛ける前に、重症人格障害、たとえば境界性人格障害や統合失調質人格障害の根治療法をやれるだけの治療能力を備えていなければならない。はたして、こうした諸々の条件を備えた精神科医が私の身近にいるだろうか?誠実、かつ謙虚な気持ちで、精神分析統合理論を習得してくれる精神科医はいるだろうか?このホームページの中で、私は「精神科教育の課題」と題したページを作ったが、これから老いて行く私がそうした若い人達とペアを組んで根治療法を手掛け、自分の作った実践理論の実証性を確かなものにしていくという作業は、私の限界を超えるものである。そういうわけで、「治すシナリオ」はできたものの、それを活用する手段が見つからないのである。もったいない限りである。

  たとえ「治すシナリオ」を作り上げても「治す現実」を作り上げることは、至難の業である。精神科医療の現状をみても、未だ入院患者の人権の問題に右往左往している。むろん、これはこれで重要な問題ではあるが、その背後には通院が前提になっている。しかし、その通院の内容は、まさに「処方依存」者である精神科医と、「医原性薬物依存」者である患者との関係の場以外の何物でもない。三か月入院すれば、三か月退院し、再び三か月の入院をする。短期入院と言っても、こんな繰り返しが多くなるのではないか?だとすれば、二十年の長期入院が、二十回という入院回数に代わるだけのことである。はたして、「治す現実」がどこにあるのか?しかも、最近では、精神科においても他の診療科と同様に、いわゆる学術学会が「専門医」制度を作ろうとしている。その真意がどこにあるのか、わからないが、もし精神科医がそれに加盟すれば、加盟したメンバーは専門医になれるらしい。はたして、専門医という称号を与えられた精神科医は私の要求を充たし、かつ「治す現実」を可能にするだろうか?残念ながら、現状においては、そうした展望を抱くことができなかったので、私はそれに加盟しないことにした。いずれにしても、さしあたって必要な「治し屋」の数は、いわゆる専門医の数パーセントで十分であろう。私はそういう人達の資格獲得のための制度化こそ、これからの時代には重要であると考える。選り抜きのエキスパートを養成し、その人達に資格を与える。つまり、そうした人達こそ「治す現実」を担い、患者を減らすことができるのである。

  ここまで書いてきて、少しずつ問題点が整理されつつあるが、大雑把に四つ位の課題が生ずる。第一は、「二人の分析医が同時に根治療法をやる」ことによって、本当に「治すシナリオ」が実証されるかどうか?私の話を聞いた、ある精神科医は、その実証性についても、私が十分に証明してはじめて提出できる課題ではないかと忠告した。それを聞いた私は少々腹が立った。咄嗟に「それじゃ、あんたは何をするんだ?」と尋ねようと思ったが、いろんなことを考慮し、相手にしないことにした。確かに、実証性に関する課題を誰かに任せると危険であるという思いもある。すなおで誠実な検証者であれば心配はないが、己の無知とうぬぼれに気づかぬ検証者では困る。そういう人は、何かを作るというよりも、むしろ壊してしまう傾向を持つので、注意を要する。こうした懸念は、第二の分析医の養成という課題につながってくるが、とにかく真剣に「治す現実」を作っていこうとする思いを抱き続けられる分析医がいなければならない。そうした思いを共有できれば、この課題については、一定のメドが立つだろう。第三は、どういう施設を使用するかという点が課題になる。いきなり、そうした施設を設けることは不可能であろうから、どこかでこうしたプロジェクトを企画してくれる場を見つけなければならない。私の単純な思い付きとして「心のセンター」あたりが妥当ではないか?多くの人に「心のセンターとは、何をするところですか?」と尋ねても、答えられない人が多い。ある精神科医は「啓蒙的役割」を持つところであると答えた。しかし、どこかの県のセンターの所長の作ったパンフレットを読んでみたら、「統合失調症は家族のせいではなく、くすりを飲めば治る病気」であると書かれてあった。一体、これのどこが啓蒙なのか?実際にはいろんなことをやっているのだろうが、やっていることが目立たず、はたして効果的な内容なのかどうかも疑わしい。だから、そうしたところを改善し、「根治療法の場」にすればよいと思うが、私の一方的な思い込みだろうか?さらに第四は、それにかかる費用、つまり予算の問題である。これはそんなに難しい課題ではない。「くすりによる通院の維持」にあてている保険診療のための予算を一部削り、「治す現実」の予算に回しさえすればよい。クリニックで処方される薬物が、患者の家のダンボールの中に仕舞い込まれているという現実については、すでに紹介したが、実際のクリニックでは、もっと露骨なことが生じている。数分の面接によって、まず三千五百円を、そしてその上に高額な薬を処方するので、一万円ほどの請求になるが、クリニックでは患者様に治療費控除の申請を提案し、その負担を一割程度に抑える。こうした内容は極めて一般的である。しかし、この方法で本当に患者は救われているのだろうか?救われているのは、クリニックを経営する精神科医ではないか?常識的には、何の治療技術も持たない精神科医の面接時間が三十分にも満たない場合は、千五百円から二千円で十分である。つまり、半額で十分であり、残りの半額はエキスパート養成のための資金や、エキスパートの報酬にあてるべきである。

  はたして、本当に患者のことを考えている医療機関がどれだけあるだろうか?もし、こうした私の憂いに対して、「そうではない!」と、はっきり否定してくれる医療であれば、私が提案する「治す現実」という視点に関しても、真剣に考えてくれるはずである。経済的にみても、たとえば二十歳代に発病した統合失調症の患者が、八十歳まで生きられる場合、年間たとえば百万円の補助金を出すとして、六千万円の負担になる。しかし、もし根治療法が可能になって患者が健康になり、社会的にも生産的に生きていけるようになれば、一時的にかかる費用は三分の一以下に減少する。そうした点を、厚生労働省によく考えてもらいたい。我々が「治す現実」を獲得できれば、社会そのものの心の健康というレベルも上げることができる。そうすれば、多数の自殺者を出すこともなくなるはずである。ぜひ、私が二十年以上をかけて作り上げた「治すシナリオ」を有効に使ってもらいたいものである。

              新しい心の分析教室:精神科医療の課題(1)

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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