すでに私は六十代半ばであるが、最大限見積もって八十歳まで生きるとして、あと十五年ぐらいである。その間、精神科医療がどういう変遷を辿るかという予測は、かなりはっきりとしたものになりつつある。精神科入院患者の実態を見ると、明らかに「認知症」患者の入院が増えている。それは高齢者の急増による結果であるが、おそらく私もまた認知症に罹るような年頃になると、日本の認知症患者の数はピークに達し、以降は減少傾向を辿ってゆくだろう。すでに精神病患者の入院の短縮化が叫ばれているから、否が応でも精神病院の規模は縮小せざるを得ない。残りわずかになった私の人生ゆえに、精神科医として、さらなる変身を要求されることはないだろうが、これから精神科医になろうとする若い諸君の場合は、私のように「認知症」病棟と共に朽ちていくわけにはいかないだろうから、すでに精神科医療が「過渡期」の中にあるという認識をしっかりと持っていなければならない。

  それでは、精神科医療はどういう変遷を辿ろうとしているのだろうか?すでに、精神科診療所(メンタル・クリニック)における今後のあり方については言及したので、今度は精神病院について考えてみる。おそらく、精神病院は大きく「二分化」してくるであろう。ひとつは、いま話した認知症病棟を中心とした精神病院であり、もうひとつは、いわゆる「急性期」病棟を中心とした精神病院である。前者は時と共に朽ちていくので、それ以上の議論は必要ない。そこで、専ら後者に該当する精神病院を取り上げることにする。これもすでに言及したが、「急性期」という名前は不適切である。「急性期」病棟と命名するからには、統合失調症急性期と診断された患者だけを入院させる病棟でなければならない。ところが、実際にはそうした患者はごく一部であり、多くは重症人格障害や物質依存症の「再燃」患者が大きな割合を占めている。したがって、「短期入院」病棟と命名するのが正しい。いずれにしても、三ヶ月以内に軽快させて退院させれば、退院後さらに三ヶ月して、また「急性期」病棟に入院させることができる。

  はたして、その三ヶ月で、どういう治療が行なわれているか?その治療には三つの大きな特徴がある。つまり、それらは「隔離」と「薬物」、それに「電気」である。再燃して暴れているのだから、保護室で隔離し、観察する必要がある。そして、その際には薬物の大量投与を行なう。できるだけ早く落ち着いてもらうためである。多くの患者は、この二つの方法によって、たいがい落ち着くので、三ヶ月以上になるおそれがある場合は、電気ショック療法を導入する。そして、ぎりぎりでも三ヶ月以内に退院させる。なぜならば、三ヶ月以上入院させると、病院側に入る収入が激減するからである。しかし、こうした慌しい短期入院システムを遂行するとなると、危険なのは医療事故である。最近は、ちょっとしたトラブルでも医療訴訟にされがちなので、病院側もそれなりの準備をしなければならない。つまり、隔離となると、そのモニター・システムを設けなければならないし、電気となると、「麻酔科医」も必要になる。荒れた患者のケアを行なうのだから、スタッフもたくさん必要である。ただし、断っておくが、こうした準備は医療の質を高めるという目的ではなく、あくまでも医療事故を防止するための病院側の「管理能力」の向上をめざしている。だから、最近の「良い精神病院」とは、そうした管理能力の優れた病院のことを意味している。 薬物の大量投与や電気ショックによって本来の病気をすっかり隠蔽してしまう一方で、貧弱な治療能力や看護能力を完璧な管理能力で隠蔽してしまうといった状況を作り上げることが、良い病院になるための条件である。

  しかし、はたしてこのような精神科医療は誰のためのものであろうか?むろん、それは「患者様」のためのものである!いわゆる「急性期」病棟を持つ病院のスタッフは、挙ってそう言うに違いない。ところが、もう少し長いスパンで観察してみよう。幸いにして、三ヶ月以内で退院できた患者は、その精神病院の経営する診療所(メンタル・クリニック)に紹介される。クリニックもまた、すべて「自前」で設置されている。そうしないと、最近急増している他のクリニックに患者を奪われてしまう恐れがある。むろん、計算高くても、悪意はないので、患者の方もそうした病院の意向に従い、通院する。しかし、そうした維持は、患者が「患者としての立場を卒業する」日々を準備することはない。「再燃せずに過ごせるのは、大変結構ですが、三ヶ月経てば、また入院できますよ!」誰一人こんなことは言わないが、医療側では「暗黙のうちの了解」になっている。そして、実際にも、十回の入院歴など全く珍しくはない。二十回、さらには三十回という入院歴のある患者がいるのは驚きである。すでに言及したように、再入院の原因は、一方では入院中における患者や家族への教育不足があり、他方では、通院治療の「質」の悪さがある。

  短期入院は、患者の人権を尊重するという視点からの導入である。そして、仮に入院回数が多くても、在院期間が短縮すれば、その人権は守られているという主張である。そういう意味では、患者も生き残りを賭けた精神病院も、共に利するところがあるという結論になるかも知れない。しかし、今まで私はそうした精神科医療の外にいた。ニッタ・クリニックは、「根治(完治)療法」の場であった。私にとって、(たとえ患者が精神病を患っていても、)その患者を入院させることは「負け」を意味していた。くすりはほとんど使わず、しかし高額な治療費を払ってもらって、私は必死に治そうとした。そして、幸い治って患者というレッテルを外すことのできた患者のおかげで、私は「精神分析統合理論」を仕上げることができた。その中で書かれている内容は、いま私が話してきた精神病院の実態とは、全く次元の異なるものである。同じ精神科医療をやっていても、どうしてこれほどまでに違うのか?その原因は、医療側の「治す力」にある。「治す力」とは、何か?という点については、改めて取り上げることにするが、いずれにしても、患者の「維持」は精神科医療の真髄ではない。しかし、それがすべてであるという医療関係者の常識をベースにした医療の実態は、大問題である。精神科医療に携わるすべての人によく考えてもらいたいテーマである。

              新しい心の分析教室:精神科医療の課題(1)

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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