今一度、「精神分析とは何か?」という問いを発するが、私にとってこの答えはさほど難しいものではない。つまり、精神分析とは「転移操作」であり、それが効果的であるかどうかは、患者が治ったかどうかという、極めて明瞭な結果によって示される。

  感情転移という精神現象は、唯一、心の科学を可能にした治療概念であるが、それではこの感情がどこから発生するのか?と言えば、それは無意識という広大な心的領域から発生すると答えるのが常識的である。従来の考えによると、無意識は無限に近い神秘的な存在であるという評価を受けていて、沢山の宝が埋蔵されている世界であった。確かに、治療関係から発生する「動かし難い」感情の波は、我々治療者を相当に疲弊させる。これは、湧いてくる感情の源が、底知れぬ深いところにあり、特に不快な感情は汲めども汲めども尽きぬ傾向がある。このような神秘的で底知れぬところから「感情を伴った関係の仕方」を作り出す動態(力動)に注目したフロイトの観察は見事であった。

  無意識から関係と関係の間を転移する不快な感情が湧いてくるのだから、それを治療で「想起、反復、徹底操作」するという流れは極めて自然である。ところが、フロイトはこれだけでは物足りなく感じたのであろう。それは無意識の構造化、つまり「欲動、自我、超自我」という審級となって登場した。むろん、これらもまたフロイトの観察と考察によるものであるが、はたしてこの構造化は適切なものであったかどうか?その当時、これを提出された人達がその正誤について判断しようと思っても、フロイトに匹敵する観察と考察がなければ、太刀打ちできなかったのではないだろうか。一部の研究者はこのフロイトの考えに賛同しかねて離反していった。しかし、たとえ構造論を否定しても、感情転移という真実を否定してしまえば、その時点において、心の科学は存在しない。大切なことは、フロイトの発見した真実と、フロイトの独断とをしっかり区別することであるが、フロイトの発見に感動した人達は、フロイトの独断さえも正しいと、構造論を鵜呑みにした。かくして、精神分析は二つの顔を持つことになった。ひとつは、立派な治療法としての精神分析、もうひとつは、メタ・サイコロジー(超心理学)としての精神分析である。この後者に群がる人達は無数である。

  今までに存在する膨大なフロイト批判の中には、フロイト自身の考えに由来するものと、フロイトの発見を過小評価することに生きがいを感ずる人の考えと、二通りある。フロイト自身に対する批判は私の考えにあるので、他の人の意見を必要とはしない。それは、やはりフロイトの臨床体験の狭さである。いわゆる神経症の治療という点においては申し分ないが、重篤な精神疾患に関するフロイトの観察や考察には限界がある。むろん、フロイト一人で診れる患者の数には限りがあったので、そうした現実は仕方がないが、十分な観察に基づかない考察の流布は、その後の訂正をひどく困難なものにする。私がフロイトの真実と独断との間を割って入ることができたのは、精神病や病的状態の治療をやり、それなりの成果を得たからである。しかし、その際にも、やはり感情転移という真実を拠り所にしていたことは間違いない。転移性精神病を作り、それを解消するプロセスが重要であるということは、すでに紹介したところである。それと、もうひとつの理由としては、自分の心の問題に対して盲目であってはいけないということである。自分がわかっていないと、せっかく治療がスタートしても、その治療がゴールに辿り着けるという保証はない。この点、フロイトはどうだったか?

  フロイトの発見を過小評価することに生きがいを感ずる人は、良い意味では客観的にフロイト信仰を牽制できる人であるが、悪い意味では悪性羨望の持ち主である。いずれにしても、その対象はメタ・サイコロジーである。このメタ・サイコロジーという言葉であるが、これは一体、何物か?もう一度、「欲動、自我、超自我」を取り上げる。はたして、これらは「心」なのか、それとも「脳」なのか?このように問うと、答えに困る。熱心にフロイトを読めば読むほど、そうした曖昧さが浮上してくるので、ついに読者は「これは心でも脳でもない」と思って、フロイト理解を諦めてしまう。だからこそ、メタ(超)なのである。いつも、ここのところが槍玉に挙げられる。もっとフロイトが脳科学にラブ・コールを送るような書き方をしていれば、門外漢に弄ばれることもなかったかも知れない。そこで、いよいよ精神分析統合理論の登場である。私は堂々と「許しの環と救いの環」を強調する。精神分析統合理論の特徴は、第一に、これらを用いて精神病の詳細な治療経過と治療操作とを議論することができる。第二に、これらを用いてほとんどすべての精神現象を説明することができる。第三に、脳機能と重ね合わせて議論することができる。はたして、私の理論もまたメタ・サイコロジーであろうか?否、本物のメタ・サイコロジーかも知れない。しかし、実際には、精神分析統合理論によって、無意識という神秘的な領域は、ほとんどそのすべてが白日のもとに曝されることになった。かつては広大な海のようであった無意識は、今や小さな水溜りでしかなくなった。おそらく、そうした変化を生みだした精神分析統合理論を読んだ人は、かつてフロイト批判を行なった時のように冗舌になることはできないだろう。

              新しい心の分析教室:ノート(Ⅱ)

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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