精神分析に関する様々な記事を読んでみると、相当に辛辣な内容の書かれたものがある。たとえば、「精神分析は科学ではなく、フィクションに過ぎない」とか、「すでに精神分析は終わった」などである。私は精神分析の内部の人間、つまりインサイダーであるが、今から二十年前の私、つまり精神分析統合理論を書く前の私であれば、このような記事に触れると、かなり不快な思いを抱いていたであろう。しかし、今の私にとっては「なるほど」と思われる部分が多い。しかし、それと同時に、そうした批判はもう時代遅れのものであるという思いがする。そこで、今の私の精神分析に対する思いを少し紹介しておくことにする。

  何はさておき、人の感情は癌のように転移するというフロイトの発見がなければ、心を科学するなどという考え自体、存在していたかどうか、はたして精神医学などと言えるような学問が存在したかどうか、怪しい。それ位、感情転移という精神現象の発見には価値がある。その理由は簡単である。たとえば、親子関係である。もしその親子関係が歪んでいれば、そのせいで子は親から培った不快な思いを抱きながら、一生過ごさなければならない。ところが、その親に対する思いを治療者に転移させ、その治療者の健全な心でもって、親に対する思いを洗い流すことができれば、新たな人生を歩むことができるようになる。それを心の病気が治ったというのである。

  ところが、批判の趣旨は、こうしたフロイトの業績を無に帰してしまうような「科学でない」や「実証されない」である。はたして、批判する人達の心理はどうなのか?一番に考えられることは、批判者はすべて「せっかち」な人達である。なぜならば、人間の歴史の中において、心の科学は始まったばかりである。人が石ころを道具として使い始めてから、現在の物理学や化学を作り上げるまで、どれぐらいの時間がかかっているか。それに対して、転移は心の道具のはじまりに過ぎない。精神分析が未だそういうレベルのものであるということを理解していれば、それを何とか立派なものにしようと加勢しても、目くじら立てて罵倒する必要はない。おそらく、そうした批判者は、はじめ限りなく精神分析に憧れ、そして一時的には精神分析をかじってみたが、自由に使いこなせるレベルに届かなかった人達ではないだろうか?

  人の心の苦しみを数値化したり、人間関係の信頼度を数値化したりすることができれば、それに越したことはないが、現状においてそれはアニメの世界である。だからと言って、私は精神分析に実証性が要らないと主張するつもりは毛頭ない。おそらく、最も簡単に数量化できるものは、治療の効果であろう。治った、治した、という事実を数量化すれば、これほど実証的なものはない。しかし、今までの精神分析にはそんな力はなかった。いわゆる神経症の心のからくりを理解することで、精一杯だったのである。それでもって、精神分析はすごいと自惚れるから、行動療法や認知療法に追いつかれてしまった。しかし、これからが精神分析の本領発揮である。むろん、それが精神分析統合理論であることは言うまでもない。

  すでに紹介したように、精神分析統合理論に使用されている既存の発見は(不二の法則と)感情転移だけである。フロイトの、いわゆるメタ・サイコロジーは、原則的に使用していない。ただし、フロイトの防衛論に関しては、私の制御論とドッキングできるように作成した。実際に、「心でもなく脳でもない」曖昧な概念を使用していたのでは、正確な治療経過について吟味できないし、ひいては治療経過にまで支障をきたす恐れがある。そんなことは二十年以上も前に私自身が気づいていたことである。しかし、そうなると、フロイトの発見に匹敵する、否、フロイト以上の発見がないと、新しい実用的な理論など作り上げることはできない。そこで、私は病的状態(重症人格障害)や精神病(統合失調症や躁うつ病)の治療に勤しんだ。そして、多くの発見に恵まれた。たとえば、人の感情はごまんとあるが、その中の不快な感情は二通りの動きを見せるという発見である。それが怒りと脆さの相反する特徴である。そして、何とこの二種類の情動特性が健康な心の持ち主と、心が病気に侵された人達との間の差として出現するということを突き止めた。すでに紹介した内容は、世界中どこを探しても載っていない内容である。すべて私が発見したものである。

  そこで、再び質問を発する。これらもまた、メタ・サイコロジーではないか?と。答えは、その通りである。しかし、フロイトとは状況が異なっている。私には詳細な治療経過と、若干の治療成果がある。しかも、誰よりも脳機能に関心が深い。だから、もう百年も経ったフロイト批判は止めにして、精神分析統合理論を批判すればよい。フロイト時代と同じように膨大な議論が発生しても不思議ではない。私個人の気持ちとしては、一日も早く私の理論の実証性を確認して、患者さんやそのご家族の思いに応えて上げたいのだが、周囲がまだ十分気づいていないのでは、どうすることもできない。いずれにしても、現在掲載されているような類の精神分析批判はもう古い。次なる精神分析批判は精神分析統合理論を読んで理解し、実践してはっきりとした成果を出してから行なわれるべきである。今、この記事を読んで下さっている皆さんには、すでに新しい精神分析(学)はでき上がっているということを宣言しておきたいと思う。

              新しい心の分析教室:ノート(Ⅱ)

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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