自分にとって大切な人や、自分の身体の一部を失った際に生ずる、心の外傷体験を対象喪失という。すでに私の両親は他界しているが、中でも父は80才を超え、しかも認知症症状が進んでいたので、父の死は私の予測の範疇にあり、外傷体験にはならなかった。しかし、68歳で亡くなった母の場合は、その死が突然だったので、相当な外傷体験を味わった。程度の差はあっても、対象喪失は生きている人に苦しみを与える。その苦しみをいかに乗り越えるか?ひとつの大きな課題である。そうした心の反応とその後のプロセスについて、小此木先生が「対象喪失」(中公文庫)という本の中で、わかりやすく説明してくれているので、私が改めて説明し直す必要はないと考える。対象喪失は、それを体験する人に「喪の仕事」(悲哀の仕事)を要求するが、そうした場合においても、やはり情動制御の程度が問題になる。故人への憎しみや恨み、それに処罰型罪悪感に囚われる場合は、攻撃系制御システムが十分機能していないことを意味するが、そうした囚われがなければ、悲しさや寂しさを中心とした脆弱系制御システムをめぐる課題だけに留めることができる。

  その対象喪失が心の問題として浮上する場合、時々「対象喪失は自己喪失をきたす」という言い方をする場合がある。そこで、今度は自己喪失をテーマにするが、この自己喪失という概念は極めて曖昧であり、使用する際には注意を要する。怒っていても、悲しんでいても、あるいはもっと正気を失っていても、やはりそれは自己であるから、厳密には自己喪失ではない。それでは、どう表現すべきか?最も適切な表現は、自己の「主体性」を失うかどうかという言い方である。そこで、主体性とは何かという疑問が生ずる。主体性については、このホームページでも「いわゆる主体性」や「現代人のさとり」の中で言及するので、それを読んでもらいたい。対象喪失の際には、一時的に対象制御因子や対象制御補助因子を失うことになるので、うぬぼれ(開き直り)や、お節介(利他主義)でもって主体性を維持することになる。しかし、すでに情動制御がしっかりしていれば、まもなく制御因子は回復し、再び許しの環や救いの環が機能するようになる。むろん、主体性を失えば、様々な病的同一化などが活性化してきて、症状形成につながる危険性があるので、日頃の精神衛生が肝心である。

 

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