私が精神科医になってから、四十年が過ぎた。はじめのうちは、とにかく医師として、かつ精神科医として、一人前になるために、いろんなことを学んだ。そのためには、身体的なチェックから精神的な面接の仕方にいたるまで、幅広く勉強しなければならなかった。そして、ようやく自分で診断ができるようになり、先輩方から教わったくすりの使い方を基本に、自分で処方箋が出せるようになった。私の場合は、精神科医としての勉強と同時に、精神分析医になるための勉強も始めたが、その経緯については、私のプロフィールでも紹介しておいた。つまり、小此木先生のスーパービジョンを受けながら、精神分析セミナーに通い、さらにはメニンガー研究所で研修を受けた。そして、精神分析についても、一通りのことを理解することができるようになった。

  ここまで勉強すれば、自信満々になれるはずだったのだが、現実は全く違っていた。つまり、一生懸命、診療すればするほど、そして勉強すればするほど、私は如何ともしがたい苦痛に襲われたのである。それが理論と実践の狭間である。たとえば、ある時にはクラインを読んで「なるほど!」と思い、また別の時にはコフートを読んで「なるほど!」と思うのだが、心の中にはいつも「水のような」精神分析と「油のような」精神分析が同居していた。そうした不全感は私にとっては耐え難かったので、その辛さを何とかしようと思い、診療と勉学に拍車を掛けた。つまり、私はニッタ・クリニックで、毎日6〜7時間の精神分析と、毎日3〜4時間の勉強を15年間続けた。そして、ようやく情動制御理論を作り上げた。今まで読んだいかなる書においても、その何割かは観念や推察で占められている。しかし、情動制御理論は徹底した実践の積み重ねを基礎にしているので、飛躍や矛盾が少ない。診断さえつけば、その後の治療経過と治療結果とは自動的に出てくる仕組みになっている。そういう訳で、最近では悩ましい自分は解消している。

  ところで、そうした私の経験から改めて理論と実践の狭間について考えてみると、それは曖昧な理論と不十分な実践とから生じてくるものであると結論付けることが可能である。とりあえず、既存の理論から臨床に入るのだが、肝心なことは、やはり多くの患者を治したという経験である。それがあれば、理論の飛躍や矛盾が見えてくるので、自分なりに修正し、それを臨床に採用できる。そして、再び治療に成功すれば、さらなる修正が可能になり、より実践的な理論を作り上げることができるようになる。こうした本質化を徹底して行なうことが重要である。徹底した本質化の先には、必ず真実が控えている。それを掴むまで研究を止めてはいけない。途中で止めてしまえば、真実をゲットすることができなくなってしまう。私の得た真実は心に関するものであるが、今では「心の神秘」など全く存在しないという見解に達している。我々の心は、まさにコンピューターと同じく正確に機能しているというのが、偽らざる見解である。したがって、理論と実践との間に如何ともしがたい溝があると感じ、考えている研究者には、徹底した本質化が欠けていることになる。

              新しい心の分析教室:ノート(Ⅰ)

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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