一般に、精神科医が受診(入院)する患者と話した場合、たとえそれがどういう性質のものであっても、その時には精神療法が行なわれたということになる。それが五分以上であり、診療録(カルテ)に数行記載されれば、通院(入院)精神療法として保険請求ができる。今、私が精神療法について取り上げようとしている理由は、まさにそういう形(名)ばかりの、ちょっとした話し合いが通常の精神療法であると思われている、その常識を問題にしたいからである。確かに、同じ話し合いをしても、素人はもちろんのこと、様々なカウンセラーよりも、むしろ精神科医の方が、より多くの知識や経験を持ち合わせているので、その判断や指示などもまた、より専門的なものであるとする認識は正しいかも知れない。しかし、その精神療法がどれほど「疾病の治癒」に貢献するか?という問いを発すると、その答えは極めて不明瞭である。大概の精神療法では、「とりあえず、私は〇〇の方がよいと思いますので、そのような方向で・・・」という指示がなされ、患者やその関係者は精神科医の指示に従うのが通例である。その上で、その後の経過を追っていくことになるが、担当している精神科医がしっかりとした「治癒へのシナリオ」を持っているわけではない。

  一般に、精神科医が使用する権限や技術は、その診断能力や処方能力にある。ただし、診断に関しても、処方に関しても、すでに詳細なマニュアルが存在するので、研修時に先輩から教わったやり方で、受診する患者に該当する診断内容や処方内容を選択すればよい。しかし、受診する患者の心性について、精神科医がどれだけの理解を得たか?と尋ねると、ほとんどの場合、通り一遍のものばかりである。たとえば、問診の仕方ひとつを例にとってみても、研修時代に「見まね、聴きまね」したものを、そのままずっと続けるのである。患者の苦しみがどういう性質のものであり、それを知った精神科医にどういう気持ちが起こり、二人の間にどういう心の通いが生じたか?などという実質的な精神療法はほとんど存在しない。だから、もし患者やその関係者が今後のことについて尋ねると、精神科医はそうした実質的な内容を回避し、すぐに現実的な対応に走ろうとする。それが診断書の発行であったり、薬物信仰に基づく処方箋の発行であったりするのである。本来、精神療法の中で展開する治療関係は、様々な症状群を解消したり、歪んだ人格傾向を是正したりする力を持つ。しかし、多くの精神科医は、心の内部を観察し、それに対応する能力、つまり精神療法の基礎を身につけてはいない。むろん、患者の方もまた、そうした事情を薄々感じてはいるものの、面と向かって不満をぶつける場合は少ないようである。

              新しい心の分析教室:精神科教育の課題(1)

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精神分析統合理論は、革命的な精神分析理論である。心の健康と病気を定義付け、諸々の精神現象のメカニズムを解明している。その中でも、精神病である躁うつ病と統合失調症の成因を解明し、治癒をモットーにした根治療法を確立している。それによって、人類に課せられた最も大きな難問が解決されている。また、意識や自我意識の解明、「さとり」への道など、想像を絶する内容が含まれている。さらに、症例研究は比類なき圧巻である。精神医学や心理学の専門家だけではなく、心に関心を抱く知識人の方々にとっても必読書である。

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